第5話 43歳*2

「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 丁寧に手を合わせ、お辞儀をした彼女に、私も思わず背筋を伸ばしてしまった。


「さぁ、寝ましょうか――と言いたいところだけれど、まだ早いかしら?」

「んー、いえ。なんだか疲れているので、直ぐに眠れそうです」


 私としてはもう少し雑談したかったのだけれど、彼女がそう言うので寝室に案内することにする。


「わあ……すっごくふかふかですね」


 そう言って、彼女は満足そうにベッドに潜り込んだ。

 私は少し申し訳なく思いながらも、彼女にすることに決めた。


「――あの、少し、私の話を聞いて貰えるかしら」

「ん、はい。聞きますよ」


 彼女は私を見て少し首を傾げながら素直に応じてくれた。


「貴方と私って……今日、初めて会ったのかしら」

「えっと、私はそう思ってます。もしかしてどこかでお会いしましたか?」


 やっぱり、彼女は記憶が無いようだ。


「例えば、二十八歳の時、とか。覚えていない?」

「え、っと……――すみません」

「私たち、何度か会っていると思うのだけれど。本当に覚えていないようだし、どういうことなのかしら……」


 彼女が悪いとは思っていないのだけれど、彼女は私の言葉を聞いてそうは受け取らなかったようだ。


「すみません……あの、もし良ければ、いつどのようなことがあった、とか教えて頂けると思い出せるかもしれません」

「貴方が七歳の時と、十八歳の時、二十八歳の時に、ここで同じように貴方と会ったの」


 彼女が訳が分からないと言いたげな反応をしているので、私は不安になる。


「――だけれど、少しの間だけだったし、貴方は覚えていないかもしれない」

「あの、私が七歳の時って、今から三十五年くらい前ですよね? そこまで小さな時からお会いしていたなら、両親も貴方のことを知っていると思うのですけれど……?」


 彼女は私を恐ろしそうに見ている。


「――本当よね。私には、貴方と会っている時の記憶しかないの」

「もしかして、冗談ですか?」

「残念ながら、全て本気。ごめんなさい、動揺させてしまったわね、今日は考えるのは止めにして、寝ましょうか」


 私まで、なんだか怖くなってきてしまった。

 私があまりにも無理矢理に話を終わらせたので、彼女は少し不審そうな顔をする。

 でも、結局諦めることにしてくれたようだ。


「わかりました。また明日、おやすみなさい」

「おやすみなさい」


何が起こっているのだろう?

私は何者で、彼女は何者なのか?

ここは何処で、何をする場所なのか?



自分がここに存在する意味すら分からなくて、頭がおかしくなりそうだ。



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「あの、昨日のお話、考えてみたんですけど……」


 翌朝。

 朝起きると、彼女は何事も無かったかのようにしていて、私は少しほっとしながら朝食を用意した。

 しかし、朝食を食べ終わり、私が片付けをして居間に戻ってきた瞬間彼女はそう言ったのだ。やっぱり見逃しては貰えないらしい。

疑問に向き合う覚悟を決め、私は彼女の顔を見た。


「聞かせて貰える?」

「はい」


 彼女は頷き、一旦息を吸ってから、話し始めた。


「考えてみると、私、自分が何故ここにいるか分からないんです。自分の足でここまで来たはずなのに……。でも、だからこそ思ったのは、ここは天国なのでは、と」

「天国?」

「はい。そうでも無いと、何もかもが分からないことの説明がつかないので……」


 そうなのかもしれない。

 私は既に死んでいるのかも。


「なるほどね。すると、ここは死者が一息つく場所っていう感じかしらね」

「そうだと思います。――ただ、貴方はここのオーナーだという印象があるので、ただの死者ではないかもしれませんね」


 死者、か。

 そう思って心臓に手を当てると、とくとくと脈拍が聞こえて、やっぱり死者だという実感は湧かない。

 でも、きっとそうなのだ。私は死んでいて、彼女を癒している。

――あれ? すると、


「すると、貴方と何回も会っているというのは……?」

「ええと、そこまでは……わかりません……すみません」


 申し訳なさそうな彼女に、私はこの疑問を解消する意味がないような気分になってきた。


「貴方の言う通り、ここが天国なのだとしたら、ありえないようなことが何回も起こることもあるし、時系列だって記憶通りとは限らないわよね。やっぱり貴方の言っていることが正しいと思うわ」

「――そうですか? ありがとうございます」


 彼女は微笑み、私も微笑んだ。

 この瞬間、お互い疑問が残っていることを察していながらも、私たちは諦めるということに同意したのだった。



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 彼女は、とは違って、日々の生活に悩みなど無いようだった。

 思えば、今までの彼女は日々に疲れ、救いを求めていた。今の貴女には何をすれば……? と首を傾げた私に、彼女は「多分貴方へのご褒美の時間ですよ、貴方が癒される番です」と笑った。


 本当に、彼女は優しくて、私は彼女の言葉通りにかなり癒されてしまった。私と彼女は共通点が多く、話してみると中々に気が合った。

 それと同時に、私はかなり疲れていたことも自覚した。疲れている理由は相変わらず分からないが、とにかく私は疲れていたのだ。私に癒しが必要だという事も、彼女は当てていた。



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「結局、此処が何処かは分かりませんでしたね」

「そうね……。でも、貴方との時間が私為にあったというのは正解ではないかしら?」


 彼女と何ヶ月も暮らし、お互いに生活に慣れきった時。私は、急に彼女との別れが来たと悟った。いつも私の直感の通りにことが進むので、


「長い間、ありがとうございました。お世話になりました」

「それは私の台詞よ。本当にありがとう」


 私と彼女は握手をして、私は名残惜しく思いながら彼女のことを見た。

 彼女は悪戯っぽく微笑んで、言った。


「では……

「ええ。


 次は、何歳の彼女に会えるのだろうか?

 私は楽しみだった。

 彼女にまた会えると信じていた。



 そして、幸せな気持ちのまま目を閉じて……――






 何処かで、ピー――という機械音が鳴っていた。

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