第29話 膝枕決戦
「か、換気を! 早く!」
冷や汗をかきながら、俺はベッドから距離をとる。
部長の発明品である「催眠誘導用香水 イシキコロン」のせいで、応接室はちょっとしたパニック状態となっていた。もはや香水ではなく催涙ガスだ。というか名前からして寝かせるための道具じゃないだろ。なるべく離れたつもりだったが、部屋中にイシキコロンが充満したことによって意味をなしていない。このままでは、勝負どころの騒ぎではないだろう。
「ふぅ、助かった……」
妹ちゃんと水瀬さんが応接室中の窓を開けたことで、とりあえずは難を逃れる。あと少し遅ければ、明日の朝刊一面は俺たちが飾っていたかもしれない。
とにかく今日の発明品はヤバイ。次のターンが来れば、今度こそ事故に発展しかねない。
「こ、このままじゃ埒があきませんよ!?」
一息ついたところで、話題を切り出す。言いたいことを察してくれたのか、朝比奈の三人は首を大きく縦に振った。あとは部長たち次第なのだが……。
「むう……」
側近君は返答に困った様子で俺と部長を交互に見ていた。やつでさえ部長を擁護しきれない状況だったのか。ホントによく生きてたな俺。
「お姉ちゃん、どうするの?」
「んー……」
このままいけば、勝負はここでお預けとなる。俺たちからすればかなり好都合であるはずだが、すぐに退かないのは最低限のプライドなのだろうか。
「こうなったら……」
「え?」
部長が答えを出し渋っていると、水瀬さんがおもむろに口を開いた。
「こうなったら……ひ、膝枕で勝負よ!」
「……はい?」
急に何を言い出すんだこの人は。というか千歩譲って膝枕をするにしても、言った本人が赤面しないでほしい。
にしてもなんだ? 部長ってのはこれくらい個が強くないとダメだっていうルールでもあるのか? 思考の方向性は違えど、アイデアのぶっ飛び方はうちの部長にも劣らないぞ。
「……何を言い出すかと思えば。本気なのですか?」
「えぇ、本気よ! 桜庭君の武器を活かし、あたしたちも白黒つけられる。合理的だとは思わない?」
他の皆はあっけにとられた様子で水瀬さんを見ていた。肯定どころか、否定的な意見さえ出ない状態に焦りを感じた水瀬さんは、さらに言葉を出す。
「ただし、一つだけ条件があるわ。膝枕をするのはあたしと夢原まくら。これは部長の意地も賭けた真剣勝負よ!」
「……それなら、私も賛成」
追加で提示された条件を聞き、大橋さんが乗ってきた。今まで意見を言ってこなかった彼女を、何が突き動かしたのか。疑問を解決したいところだが、それよりもこの流れを食い止めるのが先だ。なんで大衆にさらされながら膝枕をされないといけないのか。さっき秋野さんにされて実感したが、あれは結構恥ずかしい。あの羞恥を少なくとも二回も味わわないといけないのは御免だ。
何か交渉材料はないのか。応接室を必死に見回す。部長のゴーサインが出る前に反論しないと、また強引に進められてしまう。
「いやぁ、でももう下校時刻も近いですよ? また次回に持ち越しでも……」
「それだけは却下ですね。一度始めた勝負を先延ばしにはしたくないので」
「そうよ、どうせ一発勝負なんだから。観念しなさい」
絞りだした意見は、秋野さんによってせき止められてしまった。水瀬さんの意見に賛同しかねていたとはいえ、やはり俺の味方になっていたわけではなかったらしい。
「部長、いかがいたしましょう」
「面白そうだし、いいよー」
秋野さんの言葉を肯定ととらえたのか、部長は迷うこともなく提案を受け入れた。
結局こうなってしまうのか。
「それじゃ、さっきと同じで私からね」
当事者である俺の意思が反映されない戦いが再開してしまった。
覚悟を決めたのか、さっきまでと違い水瀬さんは落ち着いた姿勢で俺を待ち構える。
「……何してんの。早く来なさい。レディに恥をかかせるつもり?」
「は、はぁ……」
彼女の言葉に急かされ、俺は再びベッドに腰を下ろす。さっきは気が付けば足の上だったが、今回はそういうわけにはいかないらしい。水瀬さんは、俺が横たわるのをじっと待っていた。
「じゃ、失礼します……」
ゆっくりと、彼女のももに頭をのせる。枕とは違った柔らかさが、俺の頭を優しく迎え入れてくれた。二回目ということもあり、心に余裕が生まれている……ような気がする。しかし、少し考える余裕もできた脳が疑問を投げかけてくる。
どこに視線を向ければいいんだ?
このまま上を向いていれば水瀬さんの顔がある……が、一歩間違えてしまうと胸に視線がいってしまう。かといって彼女のお腹に顔をうずめるわけにはいかない。下を向くのも同様。残されたのはお腹に背を向けるほうだが……みんなの視線をダイレクトに感じることになってしまう。
どこを見ても、俺にとってリスクしかない。あーあ、恋人同士ならこんな心配する必要もないんだろうなぁ! あぁもう、なんだかヤケになってきた。
「全然落ち着いてないじゃない」
「そりゃ、まぁ……」
「気にしないで、ゆっくりと休みなさいよ」
そうは言われても、だ。この状態でゆっくりとできるわけがない。
チラリと横目で皆を見ても、俺に視線が集まってるし。
「ほら、目を閉じて……」
そう言いながら、水瀬さんの手が目に覆いかぶさる。真っ暗となった視界に、必然的に目が閉じていった。
「そう、そのまま」
柔和な声色とともに、頭をなでる感触。それとともに、思考能力が一気に低下していく。これなら、いける……。
「はい、そこまでです!」
「うわぁ!?」
妹ちゃんの声と同時に、耳元でパン! と手をたたく音が聞こえた。夢の世界へと行きかけた俺の意識が現実に引き戻される。
「その起こし方はやめてくれ……心臓に悪い」
「あー、すみません。以後気を付けるっす」
あざとく舌を出す妹ちゃん。ホントに反省してるんだろうか。
……いや、これこそが膝枕専属隊長(自称)である妹ちゃんなりの意趣返しなのかもしれない。
「……いつまで乗っているつもりですの?」
「え……あ」
妹ちゃんのことが衝撃的で忘れていた。俺の頭は、まだ水瀬さんの膝の上にあった。
「す、すみません!」
慌てて起き上がる。勢いで立ち上がってしまった。水瀬さんとぶつかりそうになりヒヤッとしたが、咎められる様子はない。
こうして、ある意味拘束から解かれた水瀬さんは、逃げるようにソファへと向かった。怒っているのか、彼女はピクピクと眉を震わせていた。そんなに恥ずかしいならなんで提案したんだ。ツッこみたい気持ちを必死に抑え、改めてベッドに座り込む。
「それじゃ、次はお姉ちゃんのターンですね!」
「そうだねぇ」
ふわふわとした口調で、部長が立ち上がる。だが、心なしか自信にあふれた顔つきだ。いつも以上に暴走しているせいで、この表情にも不安しか覚えないことは黙っておくが。
「よし、風太君。始めようか」
「はい……」
隣に座った部長は、まるでお母さんのようにポンポンと太ももをたたく。これが別の人なら最高のシチュエーションなのだろうが……。あれだけ危険な目に遭わされた人物に欲情するはずもなく、俺は作業のように頭をつけた。
「さぁ、どうだい。あんな小娘とは違って柔らかいだろう」
「いや、特段変わらな……はい! 最高です!」
側近君から溢れ出る禍々しい気配に思わず世辞が出る。いや、あれ怒りというよりも嫉妬なのでは? すまんな側近君。可能なら君にこの席を譲ってやりたいが、今回は許してくれ。
心の中で謝罪を済ませ、入眠の姿勢をとる。今日だけで何回目なのか。もう数える気も失せたが、まだやってくる睡魔に尊敬さえしてしまう。
「ほうら、ゆっくり深呼吸だ。すぐに寝かせてあげるからねぇ」
戦術自体は水瀬さんと何ら変わりないはずなのに、やってくる睡魔の気配は今の方が強い。部長のゆったりとした声がそうさせるのか? この人もASMR出していいんじゃなかろうか。正直聞いてみたいかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、脳がボーっとしてくる。考える余裕さえなくなってきたかと思うと、俺はいつの間にか夢の世界へと旅立っていた。
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