(漆)しばしの休息

 おえんは、意外にも興長が眠りに落ちるまで待ってから食事を始めた。

 ユキの手をとったおえんが興長に触れると、鮮やかな色が光のように溢れてきた。おえんが手繰り寄せれば糸のように伸びる。それを手繰り寄せてはっていく。結構な長さになってもひたすら撚り合わせて、適当なところで千切った。

 それを更に一口大に丸めて口に運ぶと、「うんげ、ゲロ甘」と顔を顰めるのだ。繰り返すその様子を眺めながら、ユキは首を傾げる。


「そうやって食べるんだね。縁の糸と見え方が同じだ」

「ン。まー似たようなモンだからナ」

「美味しいの、それ」

「不味かないケドげろ甘い。まー、好きなやつは好きそーだナ」

「俺も眠ってた方がいいかな」

「うんにゃ、モンモンは起きてるよりはマシだと思ったンだろ。おまえは逆に起きといて、嫌ーな感覚を知っといた方がいいかもナ。結構気持ち悪い感覚だけど、知らなきゃ語れないだろ?」

「わかった」


素直に頷いた。どうせ倒れるだろうけど、とは思わなくもないが、踏ん張れたならそれはそれでいい。運試しだ。おえんに「いつでもいいよ」と声をかける。時間を延ばすだけ無駄だ。

 おえんがくるりとユキに向き直った。手は繋いだまま、もう一方の手でユキの額と、胸元に触れる。

 とん、とんとん、とん。

 あやすように叩いてから、そっと囁くと、


「ンじゃ、いただくぞ」

「──っ」


おえんは何かを引き抜いた。

 ばちん、と弾かれるような痛みが身体に走る。

 無理だ、とユキが思った時にはぐらりと身体が揺れていた。世界がぐるんと回転し、背中が床にぶつかる衝撃がある、手にも足にも力が入らず、這おうにも目眩がひどくて動けない有様だ。何が起きたかすら、わからない。

 思考だけは忙しなく動く。吐き気が込み上げる。けれど吐くには至らない。頭の中で景色が浮かんでは消えて切り替わっていく。視界すら歪んできて、覗き込んでくるおえんの顔もわからなかった。


「わお、見事にぶっ倒れたナ」


驚いたように呟くと、ユキの両脇に腕を差し入れて、ずりずりと布団まで運ぶ。「おえん」のたった三言が言葉にならないで、呻き声をあげた。


「仕方ない、仕方ない、まだまだ慣れてねーからナ。でもこれでやっと約束してた対価の半分なんだぜ、ユキ。なんならモンモンの方から足りねェ分をとってるからサ、少ないモンさ。ま、この感覚は覚えとけヨ」


ユキは視線だけおえんに向ける。おえんはユキに雑に布団を載せると、ぺしぺしと叩いた。これであやしているつもりらしい。

 笑う力もなくて、口角を僅かに緩めるだけしかできないが、おえんには伝わった。笑顔を返される。


「おまえの気力は今空っぽだ。身体がそれを補充しようと頑張るから暫く眠くて、寝てても辛いと思うけどナ。その間、たくさん夢を見ることになると思う」


夢、とユキは目線で問う。


「そう、夢だ。おまえの感情が強く動くような夢を見る。お前の心が揺れ動く夢を見る。その悪夢もあたしの飯になる──ケドヨ、全部全部夢ってコトは忘れンなヨ。ぜーんぶ、おまえに手出しできない幻なんだから」


おえんの声が遠ざかる。

 ややもしないうちにユキの意識は深く深くに沈んでいった。遠くで「おやすみ」と声がした。




+++



 夢を見る。

 夢はいつだって同じシーンだ。

 櫻葉の手首を刎ね跳ばし、胴体に斬り込み、血が流れる。恨みがましい視線がユキを貫いて外さない。子供が怯えてそれを見ている。群衆が取り囲む。


「ひとごろし」

「人斬りの子は人斬りだな」

「生天目ユキノスケはひとごろし」

「よくもよくも斬りやがったな」

「おまえこそが悪人だ」


人がそう口々に叫ぶ声。その中に父の声を聞いた気がして、ユキは振り返る。人々の顔がくるくる変わる。アンドレだったり、父だったり、芥間だったり、興長だったり。

 場面が転換して、父が倒れてる。己の手の内に血まみれの刀がある。仇の顔が近くに溜まった水面に映る。


(俺はこの顔を知っている、当然だ、だって──)


 声にならない悲鳴をあげながら、ユキはぐっしょりと汗をかいて何度も飛び起きた。しかし力が入らずに、再び布団に横になるしかなく、そのうちに意識がまた沈んでいく。

 その繰り返しだった。


 ある時はまだ見ぬ仇を前にして、震えて動けぬ夢を見た。櫻葉の最期の感触が甦り、上手く刀を持たないのだ。せせら笑う声。ユキの声だ。


「そうら、仇討ちすら満足にできないのか」


やめろ、と叫ぶ。迷うな、やるべきことはひとつだと、言い聞かせる。仇の首が欲しいと、それがおえんに乞うた願いなのだ。ユキは刀を振り翳す。振り下ろす。打ち落とす。

 それがまた、櫻葉の首とすげかわる。

 ごろりと転がるそれは呪詛を吐く。


「もういやだ」


ユキは咽び泣きながらも、刀を落とさなかった。また画面が切り替わる。血飛沫が飛ぶ。

 その繰り返し。



+++



 何度目かに目が覚めた時、興長が心配そうにユキを見守っていた。


「起きたか」


 興長はユキ以上に気力を支払ったと言うのに、翌朝からは何食わぬ顔顔を装って食糧を調達してきた。よくよく見れば血の気の失せた顔色をして、戻ればすぐに休んでいるのだが、表に出ればシャキシャキと動いて普段通りに応対している。身体も動かせないユキとは違う。

 それでもユキも、興長に言わせれば回復が早い方らしい。悪夢は続くし、立つと眩暈に襲われるが、二日経てばなんとか言葉だけは紡げるようになった。三日目の晩には少しだけ身体を起こせるようになっていた。

 身体よりも心が疲れ切っていて、起きている時間が長くなっても、ユキはぼんやりと天井を見ているばかりである。


「転移、気軽に使えないわけですね。使えたらいいな、なんて思ってたんですけど、一人じゃ何日掛かっても支払いきれないな……」

「自分で責任を負える以上は望んじゃあいけないのさ、他人にも、当然自分にもね。自分ができる限りのことをするだけだな」

「俺ができること……」

「まあ、転移については言い出しっぺの僕が偉そうに言えた義理じゃないんだがな────すまん、実のところ、僕も転移は一度やってみたかったんだ。付き合ってくれてありがとう」


半分背負ってくれたおかげだ、と微笑まれてはくすぐったくてかなわなかった。まだまだです、と顔を背けると、そんなことはないさと返される。


「今回の件、辛いものも慣れぬところもあっただろうに、改めてよくやったな。僕もきみも、足りないことはこれからひとつずつ、知っていけば良い」

「……はい」

「もう少し眠っておくといいよ」

「そうします。おやすみなさい、興長さん」

「おやすみ、カゲユキ。今夜はゆっくりと眠れるように」


ごつごつと大きな掌が額に触れる。温かさに微睡む。ユキは大人しく眠りについた。

 その晩だけは、悪い夢を見なかったような気がする。

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