(肆)興長の提案・弐

 窓の外、夜鳥が啼く声が聞こえはじめる。

 一方でこの部屋には変な沈黙が落ちていた。おほん、と興長は咳払いをひとつ。


「カゲユキ、これは急ぐ旅だったりするのかな」

「いえ、そこまでは……でも俺、あんまりお金がないんです。あなたを雇えるほどは」

「まさか! 僕が少年から金をむしり取る男に見えるのかい」

「……流石に何にもなしにとはいかないです。それに、さっき知り合ったばかりなので」

「そりゃもっともだ」


興長は肩を竦めた。


「うん、僕の言葉不足だな。確かに雇わないかとは言ったが、金を取る気はないよ。君からモノを奪る気もない。代わりにきみの妖刀ときみ自身について教えて欲しい。その対価として、僕の力をきみに提供しようという話だよ」

「欲しいのは俺の情報ってことですか」

「そう、興味があるんだ。きみと、きみの妖刀に。勿論、きみが秘匿にしたいことは尊重するし、害する気持ちはない。誓おう」

「……少しだけ待ってくれますか。俺一人の旅ではないので」

「どうぞ」


 ユキはそっと刀に触れた。すぐにおえんが囁いてくる。ユキも声を落とした──とはいえ、狭い室内だ。あまり意味はなさないだろうが。


「おえんはこれでいい?」

「約束は変わねェからナー、モンモンがいてもいなくても。おまえは仇を殺す、あたしはおまえを全部貰って妖刀として名を馳せる。それだけさ」

「……そうだね」


 ユキの目的を知った時、この親切な男は止めるだろうなというのは想像に難くない。少なくてもユキにはそういう人だろうなと映っていた。

 とは言え、興長自身が「ミヤトまでの道案内」と言っているのだ。短期間とは言っても興長と行動を共にするメリットは大きい。ユキは何も知らないし、それよりも物を知っているであろうおえんですらこの辺りには疎い。外の情報はあればあるだけありがたいのだ。

 そしてなにより彼は強かった。ユキにとっては父や芥間イヅミこそが最も強い存在であったけれども、彼の動きもそれに並び立つ。ユキなんかよりはうんと強いのは確かで、その剣や妖術を学べる機会があるのなら。


 地に堕ちた生天目の名で、何処ぞの剣士の首を斬り落とし、父の雪辱を果たす。そのためには使えるものは使って、早く力をつけなくてはならないのだ。

 暫くして、ユキはまっすぐに興長を見た。


「結論は出たかな、少年」

「はい。ミヤトの街までお願いします。……だけど、今すぐにはあなたの分の路銀や、食事のお金もだせないんです。本当に俺の話だけで良いんですか」

「無論、そう言ったろう。そうだな、あとで言った言わないにならないように、ひとつ紙に書こうか」


 興長は荷物から筒を取ると、中に丸まっていた鳥の子色の巻紙を引き出した。掌ふたつほどの紙切れに、今度は筆箱から玉虫色の筆を取り出す。


「これも妖具でね。都度墨を入れずとも文字を書くことができる筆なんだ。気によって色もある程度は調整できる。きみにもあとでひとつあげようか」

「い、いえ。書く機会は、そう多くもないので」

「きっとこれから出てくるよ」


 興長は紙に手をかざした。すかさずおえんがユキに手を重ねてくる。ばちりと電気が走るような感覚がして、視界がぐんとクリアになった。


「ようく気の流れを見てろ、あいつが妖術を使うぜ。 古式ゆかしいモンだがナ!」

「どんなもの?」

「おまえたちふたりの契約書を作るのさ。書いてあることを守ると誓ってさ、約束を守らねぇと……」

「どうなるの?」

「あれは簡単な契約だから軽いもんさ。せいぜい鴨居に頭をぶつけるとか木の根につまずくとかだナ。あとはおまえの目の前で買いたいものが売り切れるとか」

「……地味だね」

「だけど実際起こるとめちゃくちゃ嫌だろ? ひひ、まー簡易的な約束ごとだからナ、破っちまうのも簡単だぜ。おまえだけ無傷で破りたかったらあたしに言えよナ!」


 ユキとおえんがこそこそと話す合間にも興長は紙に筆を走らせていた。紙のキワに沿うように四角く線を引き、天辺に誓約とつづる。その下に己の名前を続けた。


「口約束でもできるが、こちらの方が言った言わないにならずに済むだろう。さて、カゲユキ、きみの家名は?」

「……家名はありません。小さな村の出なので」

「では、契約は興長モンドとカゲユキとの間に結ぶ。ここに名を書けるかい」


街から遠く暮らす人間には家名がないことがままある。大体は何処其処村の何某と名乗るのだが、それすらしない土地だってある。故になんら不自然ではない。咄嗟につけた名前でも良いのか不安だったが、おえんに言わせれば「名を刻む行為が重要なんだヨ」ということで、ほっと息を吐いた。

 興長モンドは己の名を書いてから、紙をユキに渡した。ユキは慣れた手つきで筆を動かす。色は何故か薄墨色になってしまったが、文字自体は問題なく刻めた。

 名前がほんのりと色づいて光って見えた。


「では、確認していこうか。まずはひとつ、興長モンドはカゲユキをミヤトまで案内して、道すがら僕の知ることを極力教えよう。剣術や妖術も、その他のことも──それでいいかな」

「はい。代わりに俺はあなたに話をします。俺とおえんの話、ですよね」

「うん。しかし話すことを望まない話題である場合、これを拒否する権利が互いにあることにしようか。答えられない、その場合は別の質問を投げかけるとしよう。つぎにひとつ、興長モンドはカゲユキに一切の金銭を要求しない。代わりにミヤトまでの道中の方針は僕に委ねて欲しい」

「方針?」

「そう。窮屈きゅうくつな旅にしてしまうだろうけどね、どうか委ねてほしい。きみがどうやって旅を続けるか、ゆっくり決めるべきだと思うからね。無論、不都合があれば都度嫌だと言ってくれればいい」

「……いえ、それで構いません。ミヤトまでの旅の道中はあなたの方針に従います」

「ありがとう──では最後に、ここに円を描いて」


おえんを見上げれば、おえんが小さく頷いた。聞く限り、ユキには損のない契約だった。むしろ、興長の方が旨味の少なさそうな契約である。

 ユキは言われるままに紙の右下に丸を描いた。今度は紙全体が淡く光を帯びた。二色の線が伸びて絡み合っている。光はユキと興長に吸い込まれるようにして、消えた。


「よしきた! これで契約完了だ。改めてよろしくな、カゲユキ」

「……よろしくお願いします、興長さん」


ずいと差し出された手、ユキはそっとそれを握り返した。

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