(玖)えんを斬る・壱

 消えかけの蝋燭ろうそくの灯りのような、ほろりとした光。

 二人の間に一瞬だけそれが落ちてきて、胸元へと吸い込まれるようにして消えていった。胸元に微かに火照りが残る。契約の証が刻まれたのだとおえんは呟いた。


「契約って思ったより、なんともないんだね。すごくあっさりしてる」

「そういうモンさ。無事に契約が終わればコレもなくなる。契約不履行の時以外はナ!」

「……待って、契約、不履行?」


ユキは眉をひそめた。当然、妖術の類も知ることなく、普段は屋敷の中で雑用ばかりしている身だ。初めて聞く話だった。にしし、とおえんが笑ったのを見て、ユキは己の軽率さに重い息を吐いた。


「……それって、どっちかの約束が果たされなかったらなんかあるってことだよね」

「おう! 程度は契約の重みによって変わるけどナ。簡単な妖術なら気にするでもないくらいだケド、よくあるのは命で払ってもらうクチだな。軽い奴ならちょっと身体を壊すとか──要は出来ない契約は結ばない、これが第一だぜ、ユキ」

「命を……」

「そういう奴らを見たことあンだ」


あまりにあっけらかんと言うものだから、思わず間抜けた顔でおえんを見つめ返せば、悪戯っ子のように笑った。


「あたしは優しいから教えてやるけどナ、ユキ。約束事ってのはちゃあんと細かいところまで確認してからじゃないと結んじゃダメなんだぜ? まあ、でも、おまえは全部くれるって言ったんだもん、なんも変わらンだろ」

「……十分悪どいよ。全部あげるのは、きみの言う通りだし、変えるつもりもないけど」

「ふふふ、起こりもしない未来なんてどーでもいいじゃんか! おまえの忘れちゃいけないことはひとつだけ、絶対に絶対にあたしを手放すなよ、ユキ? 一緒にいればこの先に何があったって、あたしはユキの仇の首を落とすし、ユキはあたしの剣士になるんだから」

「最初に言って欲しかったけどね」


言われたところで、きっと契約は交わしていただろうけど。おえんはからからと楽しそうに笑い声を上げた。


「妖物相手に契約してそりゃないぜ、ユキ。人間相手だってそうなのに。無知は仕方がねえが、無知の放置はとんでもないわざわいもたらすもんだぜ。覚えときナ」

「……そうだね、俺は何も知らないや。だからさ、きみが知ってることを教えてよ、おえん」


そういう約束でしょ、と今度はユキが悪戯っぽく言ってみた。


 ユキの知識はとても偏っている。子供が通うような文塾に通うこともなく、人との交流も限られている。父や芥間の教えもあって字が読み書きできるので、いくらかは本も読むのだがそれも芥間が買い与えてくれるものだけだ。或いは、古紙回収に出された紙切れを読み漁るか。

 いづれにせよ、屋敷の外の常識だとか、物事だとかについては基本的には八年前から変わっていないのだ。父と共に暮らしていた頃でも、日々剣を振るか家の仕事をするばかりで積極的に新しい知識を吸っていたわけでもない。


「まずは何を聞きたい?」

「きみの使い方を教えて」

「そンなことかヨ。いいぜ。ちょーどあたしもココに飽きてきたからナ、契約したことだしおまえにぶち壊して貰おうと思ってたトコなんだ」

「あの扉、きみに壊せるの? 刀で斬るには、硬そうだけど」

「ふん、あんなのどーせ妖術で閉じた錠だろ? それにおまえが出なきゃいけないのは此処だけじゃない、外にでなきゃだ。そンならただ壊すよりもうんと良い方法があるんだナ」

「良い方法?」

「えんきりさ」


 そう言うとおえんはユキの手を握った。心地を確かめるようにむにむにと何度か位置を変え押してから、ウンウン、と頷く。ユキはと言えば、覿面てきめんに顔を赤らめるしかなかった。

 相手が人間でないと知っていても、見た目の力は大きい。おえんは可憐な少女の見た目で、そのつぶらな瞳に見上げられれば狼狽もする。もっとも、意識しているのはユキだけだけれど。

 甘さもなく、おえんはズバリとユキに言い放った。


「おまえさ、全然妖術使えねえだろ」

「……そりゃあ習ってないし」

「そういう問題──もあるにゃあるケドナ。いンや、そういうんじゃない。おまえ、色んな気が滞ってンだもん」


 思わず閉口する。妖刀の妖なる部分を使えないと言うことかと顔を曇らせる。


「気?」

「心、感情、そう言った方がわかりやすいか? 妖術はナ、気力を上手く妖物に受け渡して、その対価に力を得る一種の契約なンだ。あたしらは人の気が大好物だしナ。それに気のない生きた人間なんてほとんどいない。理屈だったら妖術は誰でも使えるものなのサ」

「誰でも?」

「おうとも。ま、どれだけの気力を渡して、何が出来るようになるか──ギリギリまで出し渋った量で相手に働いてもらう、そのさじ加減ってのがケッコー大事なんだケド……。ユキの気は体のあちこちで詰まってンだもん! 上手く流さないと、渡す渡さないのどころじゃないぜ。今のままじゃ、妖術は使えないだろうナ」


 蓋をして、呑み込んできた感情が栓となっている──おえんが言うにはそうなのだと。


「あたしは妖刀だからナ。妖術刀として扱えば目に見えないモンを斬れるケド、ただの刀として扱えば見ての通りの古びた刀としてモノを斬るだけだ。勿体ねェだろ?」

「……妖術をマトモに使えないおれでよかったの、きみの剣士」


まさか後悔しているのではないかとうかがえば、大丈夫だと妖刀は胸を叩いた。


「平気さ、気前のいいあたしが力を分けてやるんだからナ。それにおまえ、一旦流れさえすりゃあ、あたし好みの気だ。言ってるだろ? いい匂いだって」


踊りに誘うようにおえんがユキの手を引っ張った。

 不思議と触れた指先は温かい。


「さ、ユキ。そんなわけであたしと踊ろうか」

「え?」


突然にぐいんと勢いよく引っ張られて、ユキは目を回した。気が云々という話ではないのか──。


「だから気を流す運動さ!」

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