第3話

 誠は出勤すると同時にオフィスの本棚を漁っていた。

 仕事はシステムエンジニアだが、開発しているのはアプリゲームだ。そのためありとあらゆる参考書や文献がオフィスにあるのだがその中から一冊、今までだったら興味を持つことはなかったであろう本を手に取った。


「あった。進化の歴史」


 それは両手で持たなければいけないような大きな図鑑だった。

 仕事のふりをして図鑑を広げると、そこにはどの生き物がどれくらいの年月を経てどんな進化をしたのかが写真と共に記されている。 

 どっかに吸血鬼の進化が載ってればいいのに、と馬鹿なことを思いながら図鑑を捲っていくと気になる言葉があった。


「泳ぎの下手な魚は陸に適応するという進化をした、か。陽翔もどっかの環境に適応して吸血しなくなったのかな」


 そこまで考えると、読書は静かにという啓蒙ポスターを無視した男性社員の騒ぎ声が聴こえてきた。うるさいなと思ってちらりと振り返ると、どうやら話題は子供のことだったようで誠は思わず仲間入りをした。

 男性社員が自慢して見せているスマートフォンには陽翔と同じくらいの赤ん坊が写っていた。


「もうこんな大きくなったんだ!?」

「うん。もう離乳食も終わりだし。赤ん坊の成長って早いよね」 

「じゃあもうすぐ二歳かあ。洋服もすぐ小さくなるよ」


 動画の赤ん坊は小さい口を懸命に動かして離乳食を食べていた。

 真ん丸の頬は陽翔と同じようだが、陽翔は吸血鬼だ。唯一の食料である血を全く飲んでくれない。飲んでくれたらこんな風なのだろうかと思うと胸が締め付けられた。

 こんな風に食事をしてくれさえすれば――


「……そうか!!」

「うわっ! 藤堂君。どしたの」

「有難う!」

「え? 何が?」

「俺早退します!」

「へ?」


 誠は出勤して一時間ばかりで退勤した。


 誠はデパートであれこれ買い漁ると走って帰宅し、ばたばたと部屋に駆け込んだ


「澪!」

「あれ? 早いね。どうしたの」

「分かったんだ! 吸血鬼の進化は食生活だ!」

「食生活?」

「派閥が血統じゃないなら思想の違いだ。澪と逆なら都会に住み吸血しない方針!」

「住処はともかく食事は無理だよ。俺だって人間の食べ物だけじゃ生きられない」

「お前は進化途中なんだよ。人間の飯でも生きられるってのは食事の幅が広がったってことだ。これは種の存続という面で圧倒的な進化だ」

「……わかんない。純血は血だけでいいんだって」

「血統は関係無いんだよ。血だけでいいってのは血じゃなきゃ駄目ってことだ」

「まあそうだけど。それが吸血鬼だし」

「そうだよな。じゃあもし吸血しなくなったら?」

「別の生き物」

「そう。でも魚が陸に上がったのも進化なんだ。進化した派閥ってのはそれだ。都会に住み吸血せず人間の食事だけでも生きられる!」

「そんなのもう人間で――……え? まさか」

「そうだ! 陽翔の食事は血じゃない!」


 誠は買い物をしてきたデパートの袋からカップを一つ取り出し掲げた。そのラベルに書かれている文字は――


「……離乳食?」

「そうだ! 陽翔は人間なら離乳食を食べる頃だ!」


 誠が陽翔の食事として取り出したのは、人間なら一度は必ず通っているであろうものだった。

ラベルを剥がし小さなスプーンで中身を掬うと、とろりとしたおかゆで血液とは全く違う。

 恐る恐る陽翔の口元に運ぶとふんふんと鼻を動かした。そしてそのまま勢いよくぱくりとスプーンにかぶりついた。


「った、食べた! 食べた!」

「やっぱりそうだ! 澪! 食べさせてやれ!」

「う、うん!」


 今度は澪がスプーンを口に近付けると、陽翔はぐいっと澪の手を握って引き寄せた。

 そしてぱくりとおかゆを美味しそうに食べ続ける。食べ続けた陽翔は動画で見た赤ん坊と同じように幸せそうな笑顔を見せてくれた。

 そして完食した陽翔はきゃあきゃあと笑い声をあげた。その姿は今まで見たどの笑顔より可愛くて、澪の目からぼろぼろと涙があふれた。


「よかったな」

「うん……!」


 それから、誠と澪は人間の赤ん坊はどうやって世話をするのかを調べた。

 食事は飽きないようにいろんな味を食べさせてやろうと幾つかの離乳食を選び、澪は嬉しそうに陽翔に食べさせてやっていた。


「陽翔! 今日はかぼちゃのだぞ!」

「いっぱい食べろよ~」


 十日もすれば誠も澪も陽翔に食事させることに慣れていった。

 けれど誠はずっと聞きあぐねていることがあった。それを聞くのは少し怖いが、いずれ確認はしなければいけない。

 誠は意を決して澪に訊ねた。


「なあ、お前これからどうするんだ?」

「それは……」


 澪は聞きたくないと言うかのように誠から目をそらし俯いて、ぎゅっと陽翔を抱きしめた。その手は小さく震えている。

 誠はその反応に安心して、ふっと笑って澪の手を握った。


「三人で一緒に暮らそう。ここがお前たちの家だ」

「……いていいの?」

「ああ」

「俺も陽翔も? いていいの?」

「いてほしいんだよ。いいだろ?」

「……うん!」


 誠の部屋は1Kだ。一人暮らしするには困らないが三人で住むには少し狭い。

 澪と陽翔のベッドや家具が増えるのなら引越しをしなくてはならないだろう。

 どうせ引っ越すのなら陽翔にストレスのない穏やかな場所が良い。できれば近所に公園があって三人で遊びやすいところが理想だ。

 だがそういうところにはきっと他の家族もいてご近所付き合いもしなくてはいけない。

 今までそんなのはやった事が無いし、それなりに生きてきた誠はどうしていいかも分からない。けれど――


「お前達のことは俺がしっかり育ててやるからな!」


 それは家族になったばかりの三人で知っていくことだ。

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人と吸血鬼のそれなりな日常 蒼衣ユイ @sahen

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