第6話 騎士様も弱音を吐くのね?

 あとに残されたネリーとエルネストは顔を見合わせ――ようとしたけれど、視線が合わないので、無言でそれぞれ動き始める。

 ネリーはとんがり帽子の中から火傷に効くものを探り当て、エルネストはネリーに背を向けて頭以外の防具を外した。

 一通り準備を終えて、ネリーがエルネストの身体を診ていく。鎧の中に隠されていたエルネストの肉体は、細身ながらも無駄のない張りのある筋肉に覆われていた。診察のためにそこへと触れるたび、ネリーの胸はドキドキしてしまいそう。 

 けれど、甲冑の中で随分と蒸されて熱を持っていたエルネストの身体。ネリーの胸はときめきなんて吹き飛んでしまって、不満そうに雲がけぶった。


【ねぇ、エルネストさん。どうして甲冑を脱がないの? 砂漠渡りに甲冑は不向きだわ。顔を隠さないといけないなら、ストールやローブでも大丈夫でしょう?】


 ネリーはとんがり帽子の中から引っ張り出した水筒の水を使って濡れたタオルを作ると、エルネストを横たえさせて節々にそのタオルを当てた。井戸の妖精を詰めた水筒の水は枯れることなく永遠に水が湧き、十分にエルネストの身体を冷やしてくれる。火傷になっていたところは、ラァラ特性の塗り薬をたっぷり塗りこめておいた。

 熱から開放された身体に、エルネストは兜の奥でほっと息をつきながら、ネリーからけぶる雲の文字を読んで、苦笑する。


「私が甲冑を着る理由、ですか」

【そうよ。もしストールもローブもないのなら、わたしが仕立ててあげる。魔女ネリーが一番得意なことは、刺繍のおまじないなのよ! うんと素敵なものを作ってあげるわ!】


 ネリーが横たわるエルネストの兜を覗き込むように雲の文字をくゆらせれば、エルネストは居心地が悪そうに兜の中で目を伏せた。


 エルネストには、葛藤がある。

 こんなことを言ってしまえば、ネリーを幻滅させてしまわないか。弱い男だと、そんな心意気でドロテを断罪できるのかと。そう言われてしまわないかという、不安がある。

 どうしたものかとエルネストが口をつぐんでいれば、ネリーがそっと彼のバイザーへと手を当てて。

 光がなくなったバイザーの奥。これではネリーの文字が読めないと、起き上がろうとしたエルネストを、動くなというようにネリーのもう一つの手がぐっと肩を抑えてくる。

 止む方なしとエルネストが大人しく身を横たえていれば、その内、火照っていたはずの身体の熱とともに、エルネストの中にあった不安もじんわりと消えていって。

 静かに、何も言わずに、そっと寄り添ってくれているネリーの存在だけが。

 バイザーの向こうの光からエルネストを隠してくれている事実を通して、伝わっている。

 まるでそれは、ネリーが「エルネストさんが言いたくないなら、言わなくていいよ」と、言外に伝えてくれているようにも思えて。

 もしかしたらネリーはすっごく気になっているのかもしれない。でも、本心を隠せない彼女はこうやって、エルネストから無理やり聞き出さないように気を遣ってくれているのかもしれない。

 闇に覆われていたバイザーの奥で、エルネストはふっと微笑んだ。


「……私が鎧を外さないのは、怖いからです」


 ネリーの文字は見えない。

 でも見たいと思って、エルネストは優しくバイザーに添えられたネリーの指に、自分の手を重ねた。


「私はドロテにこの呪いをかけられたあと、多くの者から嫌悪のまなざしを向けられました。素の顔で宮中を歩くことはできず、騎士団からは半永久的な暇を出されました」


 当然だった。

 素顔を晒して歩けないエルネストが自由に宮中を闊歩すれば、もし不審者が彼の姿を真似ていたとしても、誰も気づけないから。

 でも、それだけなら良かった。

 顔を隠すだけで、良かった。


「ですが、嫌悪だけではないんです。友人が、家族が、泣きながら醜いと私を罵って剣や刃物を握るのを見てしまうと、もう駄目でした。あぁ、私はいつか、彼らに殺されるかもしれないと、そう思ってしまった瞬間があるんです」


 だからエルネストは常に甲冑を着ている。

 起きているときはもちろん、眠る時すら甲冑を着ている。

 これはエルネストの弱さだ。騎士としてあるまじき弱さだと、エルネスト自身も痛感している。それでも、そうしないと不安ばかりが募って、いつでも正面から、背中から、誰かに刺される不安がつきまとってしまったから。

 エルネストがそっとネリーの手をバイザーから離す。

 バイザーの隙間から注がれた光の向こうには、ゆらゆらとネリーの雲の文字が、細く、か弱く、たなびいていて。


【悲しいわ。悲しいわ。とっても可哀想。お友達や家族に殺されるなんて、悲しいわ。なんてこと。どうしてエルネストさんがそんなこと、されなくちゃいけないの】

「ネリーさん、悲しんでくれるんですか?」

【悲しいの。悲しいのよ。どうしてドロテはそんなひどいことをするの? 家族を失う痛みが一番強いことを知っているのは、お姉さんなのに……】


 きっと、ネリーに顔があれば、涙を流していたのかもしれない。表情というものはとても大切で、そこから読み取れる感情というものがあるけれど、ネリーもエルネストも、お互いに表情が分からない今は、言葉以上にお互いの感情を共有はできなくて。

 でもその分、ネリーの裏表のない雲の文字に、エルネストは救われる気もした。彼女はエルネストに対して失望なんかしていない。悲しんでいるのはエルネストへの同情だけじゃない。彼女の言葉には、ドロテに対しての憤りもあったから。


「ネリーさん。鎧の中にいる私は、こんなにも情けない男です。貴方の人生を貰い受ける覚悟があると言っても、不安になることでしょう。……最悪、ドロテの断罪ができればいい。同じ魔女を味方につけることができれば、私の呪いなんて解けなくても良かったんです。国さえ、主君さえ、ドロテの魔の手から守ることができれば……」


 どうにかして、ドロテに対抗できる魔女が欲しかった。

 ドロテ断罪を掲げる同志たちの話し合いの元、エルネストの呪いの解呪に必要な魔女の婚姻というものは、便利な理由になると思われた。だからエルネストはここに来た。

 だけど実際に出会った魔女、繋がった魔女は、あまりにも純真無垢で。

 だからこそ。


「ネリーさん。きちんと本心を話さなかったことをお詫びします。それでも私は、父や母とまた笑いあいたい。友人と飲み交わすような夜をもう一度と、願ってやまない。こんな我儘だけで貴方に求婚した私を、受け入れてくれますか……?」


 エルネストはネリーの手をやんわりと握りつつ、身を起こして、彼女に向き合う。

 最後の方は声が震えてしまった。

 それでもまっすぐに、ネリーの心があふれる雲から目をそらさずにいれば。


【エルネストさんはとっても優しいわ。優しい男の人ってとっても素敵。それにとってもたくましい身体をしているわ。こんな身体ならわたし、お姫様抱っこもしてもらえるかもしれないわよね? 騎士様って素敵だわ! ちょっぴり情けなくたって、エルネストさんが真摯な人だって伝わってるもの。後悔はしないでしょう? ね、わたし!】


 たぶん、ネリーの自問自答だったのかもしれない。

 エルネストが見てはいけなかったような言葉も混じっているような気がするけれど、でもだからこそ、エルネストは安心と、なんだかおかしさも込み上げてきてしまって。


「お姫様抱っこをしてほしいんですか?」

【まぁっ! まぁまぁまぁっ! 恥ずかしいわ! 恥ずかしいわ!!】


 エルネストは、首がないこの少女のことを、少し可愛いとすら思ってしまった。


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