第5話 騎士様だめよ、そんな破廉恥なこと!
どこまでも広く澄んだ青空の果ては、雪のように白く輝く白銀の境界線。
まだまだ建物のひとつも見えやしない白夜砂漠を征くキャラバンの頭上。ネリーはぷかぷかと浮かぶエニシダの杖に腰かけながら、ゆっくりと旅の歩みを進めていた。
【白夜砂漠って広いのね。もう魔女の森すら見えなくなったわ】
風に舞い上がる白銀の砂塵よりも更にその上で、ネリーの雲の文字がそよりそよりと流れていく。まるで狼煙のように遠くまでたなびいてくその言葉は、誰も拾うことはなくて。
ネリーの華奢な足では、二十日もかかる長い砂漠渡りには耐えられない。そう思って空を飛べるようにエニシダの大きな杖を持ってきたのに、空の上ではおしゃべりをする相手もいないから退屈だ。
かといって地上近くを浮遊しようとすると、人や荷物が風の流れを阻害してしまって上手く滞空できないし、荷物を牽引してくれている黄色い羽冠の飾り羽ラクダからは熱いまなざしを受ける。ネリーの雲の文字が飾り羽ラクダの興味を引いてしまうようで、ラクダを引く隊員に追い払われてしまった。
けぶるような睫毛の隙間からのぞく、つるりと潤った飾り羽ラクダの空色の瞳はとっても愛嬌があって、いつまでも見ていられるのだけれど。さすがに砂漠渡りの邪魔になるならと、ネリーは一人寂しく空の上の人に甘んじていた。
魔女のおまじないをかけたエニシダの杖が、ご機嫌に空を泳いでいく。ネリーが退屈しのぎに長く伸びるキャラバンの隊列を見下ろしていると、先頭の方でキャラバンの指揮者と話し込んでいた甲冑の騎士様が不意に蒼い空を仰いだ。
「ネリーさん、降りてきてください。休憩しますよ」
【は〜い】
ネリーはエニシダの杖に高度を下げるようにお願いする。杖はちょっぴり物足りなさそうにしながらも、ふんわりとネリーを地上に運んでくれた。
白砂の色を反射して、きらきら輝く銀色の甲冑。太陽が段々と頂点へとやってきて、じりじりと砂漠を焼き焦がそうとする中、ずっと鋼鉄製の甲冑を纏っているエルネストは異質に見えた。
【エルネストさん、暑くはなぁい?】
「まぁ……鍛えてますから」
お茶を濁そうとするエルネスト。
だけどネリーに顔があれば、彼女はきっとまなじりを吊り上げていた。
【なに言ってるの! ほらここ! お日様の熱が籠もって湯気が立ってるわ!!】
「なんだと? おい、エルネスト、平気か?」
顔がないのに目ざとく気がついたネリーの主張を流し読みして、エルネストと並んで歩いていた男も声を上げる。
ワタリガラスの羽根のように黒々とした黒髪に、獰猛な獣を彷彿とさせるような金の瞳。焦がしキャラメルのような甘い色をした褐色の肌を覆うように、古びて黄ばんだストールと長衣を身にまとう、キャラバンの指揮者・ジーニアス。
彼はネリーが指を差したエルネストの足下に目をやると、甲冑のつなぎの隙間からもわりもわりと蒸気が出ているのを見つけてしまい。
「蒸されてんじゃねぇか!! おぉーい! ちょいと早いが休憩だ休憩! 天幕張りやがれー!」
ジーニアスの号令で、キャラバンの隊員たちは各々飾り羽ラクダから荷物をおろして天幕を張り始める。
ネリーもエニシダの杖の先に引っかけていたとんがり帽子から、ずるりと自分の天幕を引っ張り出すと、まるで音楽の指揮者のように指を振って、天幕を組み上げてしまった。
「魔女ってのは便利だなぁ。俺らにもそれができればいいんだが」
【修行すればできるんじゃないかしら? この天幕も、エニシダの杖も、魔法とは違って、魔女のおまじないだもの!】
「その修行する時間とキャラバンの稼ぎを天秤にかけると、キャラバンに傾いちまうんだよなぁ」
ぼやくジーニアスの前でするするとひとりでに組み上がった天幕は、ぺろんとその入り口の布をめくりあげて、天幕の主を手招いている。
【エルネストさん、どうぞどうぞ】
「えっ、いや、私は他の天幕の手伝いに……」
「さっさと休めこの野郎。まだ十日以上も歩かねぇといけねぇんだよ。てめぇは治療優先だ。まさかとは思うが、行きもこんな状況で黙ってたんじゃねぇだろうなぁ……?」
ジーニアスのドスの聞いた声に、ネリーは思わずエルネストを見た。甲冑の騎士様は微動だにせず、その顔色も視線も、バイザーの影に隠れてしまって全くわからない。でも居心地が悪そうなのはなんとなく分かってしまった。
ジーニアスはそんなエルネストに呆れたように息をつくと、ネリーにさっさと連れていけと手を振った。
「昼飯の用意ができたら持ってきてやる。それまでに手当しておけ」
【はーい】
「すみません……」
申しわけなさそうなエルネストにジーニアスは苦笑すると、背を向けて他の隊員たちの方へと行ってしまう。
ネリーはエニシダの杖を天幕の外に立てかけ、エルネストを中へと誘うと、さっそくその甲冑を脱ぐように指示した。
【さぁ、脱いで頂戴! 全身の火傷を調べてあげるわ!】
「いや、その、レディにそんなことさせるわけには……!」
【まぁ、わたしったらレディ? 嬉しいわ、嬉しいわ! でもね、今はね、エルネストさんの火傷を治す、薬師の魔女でいさせてね!】
そう言うと、ネリーはエルネストの甲冑に手を添えた。
瞬間、ぽっふんとネリーの首から雲が破裂するように吹き出して、その手をひゅんっと引いてしまう。
「ネリーさん?」
【熱いわ! 熱いわ! とっても熱いの! どうしてエルネストさん、これで平気なの!?】
「っ、ネリーさん、もしかして火傷……!」
それまでぐずぐずしていたエルネストは、すごい勢いで手甲を脱ぎ捨てると、ネリーの白い繊手を掴んで、自身の甲冑に触れたところを見た。
ネリーの指先が、赤くなっている。
「すみません、俺のせいで……!」
【はわっ……っ! あのっ! てっ、てがっ】
「火傷させてしまいました……俺がくだらないことを気にしていたせいで……俺の水筒は確か、ええっと」
エルネストはネリーの手を掴んだまま、彼女の手を冷やすために自分の水筒を探し始めた。男らしく皮の厚い、節くれだってごつごつした指が、ネリーの柔らかな手に触れている。
エルネストを治癒しないといけない気持ちと、自分の浅はかな火傷と、初めて触れた男の人の手の大きさに、とうとうネリーの雲の文字は大噴火してしまった。
「ネリーさん!?」
「ネリー? エルネスト? 煙が外までっ、て……うぉ、なんじゃこりゃ」
外へとこぼれ出た雲の文字に気がついたらしいジーニアスが、天幕をのぞき込んだ。白いもくもくとした煙がネリーから噴き出していて、その手をエルネストが握っている。ジーニアスはすっかりと呆れてしまった。
「エルネスト……ラァラから聞いてないのか」
「えっ? あの? 何をですか?」
「ネリーは生粋の箱入り娘だ。そこらのご令嬢なんかよりよっぽど男に免疫がない。触るとそうなる」
エルネストは気がついた。
そういえば、初めて出会ったとき、彼女に求婚をした際にも、今と同じ状況になったような……?
エルネストはネリーの手をそっと彼女の膝におろして、諸手を挙げた。敵意はないですよ、の姿勢に、だんだんとネリーの雲の文字も落ち着いていく。
【だめよ! だめよエルネストさん! そんな! 直接手を触れてしまったら! 赤ちゃんができてしまうわ!】
「えっ」
「すげぇぶっ飛び方したな。魔女の教育どうなってんだ」
もし顔があれば火照った頬に指を添えていたような身振りで、ネリーが体を揺らした。ぶんぶんとふられる雲の文字の乱れ具合が、ネリーの幼い乙女心を物語っている。
「で、エルネスト。鎧の中の具合はどうなんだ?」
「あの、いや、今それどころでは……」
「仕方ねぇなぁ。ネリー、落ち着け。まだまだおこちゃまだな。それでも一人前の魔女かぁ?」
パンパンと手を叩いたジーニアスが、ネリーに挑発するように言えば、くねくねしていたネリーの雲の文字も徐々に落ち着いてきた。
しばらく、細くたなびくだけの雲が生まれたあと、もくもくとしっかりとした文字がネリーの首から生まれて。
【わたしは魔女ネリー。もう立派な魔女よ! 魔女の婚姻をしないと赤ちゃんも生まれないものね! あせったわ! んもぅ、でも駄目よ、エルネストさん! 手をつなぐなんて破廉恥なこと!】
「……はれんち」
「エルネスト、後でネリーが好きな恋物語本を教えてやるよ」
呵呵と笑ったジーニアスはそう言い残すと、また天幕の外に出て行ってしまった。
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