第20話 裁縫の魔女の真骨頂をみせてあげる!
皇太子の離宮から連れ出してもらったネリーは、そのままジーニアスが手配してくれていた宿屋へと移った。
ネリーは離宮で主張したようにジーニアスに機織り機の手配を重ね重ね頼みこむと、そのまま一晩、部屋に引きこもる。
【ミルクで育てた蚕の妖精さん。お願いよ、その糸をわたしに分けてくださいな。貴女の産む素敵な糸は、どんな恐ろしいものからも守ってくれる、とっても強い盾なのよ!】
とんがり帽子に詰めておいたネリーの秘密の荷物の一つ。蚕の妖精を詰めた小瓶の蓋を開けて、ネリーは蚕の妖精に激励を贈ると、一晩かけて、彼女たちからたっぷりの糸を紡いだ。
息も絶え絶えな蚕の妖精から、純白の糸を紡ぎ終わる頃、ジーニアスから機織り機の手配ができたと声がかかった。ネリーはできたての糸を持って、ジーニアスが用意してくれた機織り機のある場所へと向かう。
ジーニアスが用意してくれた機織り機は、皇都の機織り工房にあった。三台の機織り機しかない小さな工房だったけれど、三台もあれば十分。
ジーニアスが丸一日、工房を借り受けれるようにしてくれたので、ネリーは思う存分、魔女の本領を発揮した。
【さぁ、機織り機さん、お仕事の時間よ! 貴方はとっても正確に機織りのリズムを奏でられるものね? さぁ、歌って、踊って、願いと祈りの布を織りましょう!】
ネリーが指揮者のように指をふると、蚕の妖精から紡いだ純白の糸が一人でに動き出す。
糸の準備が万端になれば、後はもう織っていくだけ。
ネリーはとんがり帽子から小さめの竪琴を取り出すと、弦の代わりに紡いだ糸を張る。
不思議なことに、ピンと張り詰められた生糸が七色の音階を奏でて。
魔女の竪琴で爪弾かれた生糸たちは波打つように踊りだし、奏でられた音色に応じるように機織り機がカタン、コトン、と布を打ち始める。
これが裁縫の魔女の機織り。
ネリーは生糸でめいっぱいの布を織っていく。
三台を一緒に動かせば、半日で布が出来上がったけれど、ネリーの指は生糸の弦で傷ついて、血が滲んでしまった。
目覚めてから夜通し糸を紡いで、魔女の力を限界まで使って布を織って、それでもネリーは止まらない。
【布が織れたら、型をとらなくちゃ!】
機織りの工房にあったトルソーを借りて、ネリーはドレスの形に布を裁断して、縫い合わせていく。
一枚は胴に、一枚は袖に、一枚はスカートに。
ウエストをきゅっと絞った、フィッシュテールの純白のワンピースがあっという間に仕立てられて。
ジーニアスが一日で出来上がった衣装に目を丸くしていたけれど、ネリーはそれだけじゃ足りない。
これはまだ、
【さぁ、魔法を紡ぐのよ、わたし!】
ネリーがとんがり帽子から、とっておきの糸を取り出した。
新月の夜を落としこんだような優しい黒色の刺繍糸は、呪詛を祓う
この糸を使って、おまじないの文様を刺繍していかないといけないのだけれど。
こればっかりは、ネリーも魔女の力が使えない。
機織りのように同じものを三つ動かすのではなく、違う文様をいくつも描いていくというのは、ネリーの頭が追いつかない。
【間に合うかしら、間に合うかしら……!】
エルネストのことだから、きっとすぐにでも動き出すに違いない。手遅れになる前に。どうか、手遅れになる前に。
ネリーがとっておきの刺繍糸でおまじないを紡ごうとしたとき、工房の入り口をジーニアスが叩いた。
「手伝いはいるか?」
そう言いながら工房の扉を開いたジーニアスは、ネリーに向けて自分の背後を指し示した。
その後ろには、機織り工房の女性職人たちがいて。
ネリーは一瞬、ぴたりと動きを止める。
それからぽっふんっと首から雲を噴出させて。
【いけないわ、いけないわ! 首がないのを隠さなくちゃ!】
大慌てのネリーがばったばたとあちこちの物を引っかけながらトルソーの裏に隠れたけれど、ジーニアスはそんなことお構いなしに、工房の中にまで入ってくる。
「ネリー、時間がないぞ。明後日だ。エルネストたちはドロテ断罪のために動き出している。その準備に、今日を入れて二日かかるそうだ。それまでに、お前のやりたいことは、やりきれるのか?」
明後日。
それが、ネリーが間に合う期限。
ジーニアスがトルソーの裏のネリーの顔をのぞきこもうとして――顔がなかったのでその視線をネリーの雲の文字へとそらした。
ネリーは考える。
【刺繍が間に合わないわ。どんなに頑張っても、わたしのかぎ針の速さじゃ、眠らずに作ってもおまじないが五つしか作れないの。どうしましょう、どうしましょう】
トルソーを越えて、ネリーの雲の文字がけぶる。
機織り機を動かす魔法とは違って、おまじないの刺繍は左右の手で違う絵を描くようなもの。ネリーがどんなに頑張っても、同時に複数の刺繍は指揮できなくて。
焦れるネリーの心を表すかのように、雲の文字もどんよりと滲むように漂う。
どうしたら間に合わせられるのかを、ネリーは必死に考える。思いつくことを片端からぐつぐつ煮えるような文字にして、ネリーが首からぷすぷすと打ち出していれば、それまで扉の外にいた女性職人たちも、中へと入ってきて。
「……それは、あたし達が手伝ってもいいものかね?」
ネリーの首からとめどなく生まれていた、どんよりとした雲がふつりと途絶えた。
【手伝って、くれるの?】
一瞬、ネリーの聞き間違いかとも思った。
散々、頭のないネリーは化け物だと言われていたから、彼女たちから歩み寄られるとは、思ってもみなかったから。
おずおずとした様子でけぶるネリーの雲の文字に、話しかけてきた恰幅の良い女性は神妙な表情でうなずいた。
「図案さえもらえれば、刺繍くらい、あたし達にもできるさ」
【わたしのこと、怖くはないの?】
「そりゃあ、驚いたがね。だがトルソーが機織りして自分のドレスを縫ってるって思うと、なんだか可笑しくってね」
かなり失礼なことを言われているのだけれど、ネリーは女性職人の言葉を素直に受け取った。確かに、首のないネリーは、動くトルソーみたいなものかも?
うっかり同意を示してしまったネリーに、ご婦人は笑った。
「あんたのことは、そこのジーニアスから話を聞いたよ。手伝ってやりたくて手をこまねいていたんだが……あんたがやってるのは、魔女の特別な刺繍なんだろう? あたしたちが触ってもいいものなのかね」
真摯な眼差しでネリーを見据えてくれるご婦人の後ろにいる女性たちも、それがかなり気になっている様子。
ネリーは考えた。
魔女のおまじないで必要なものは、魔女の力じゃない。
精霊や妖精の森羅万象の力。
彼らへの目印を、魔女は紡いで、指揮をするだけ。
――だから。
【……手伝って、もらえますか?】
ネリーがひと月、ふた月かけて、細々と刺繍していくようなものを、二日で作れるわけがない。
でも、手伝ってくれる人がいるのなら。
「よし。ちょっと待ってな、刺繍ができる娘たちを集めてあげるよ。ジーニアス、これは借りだかんね!」
「わかぁってるって。お代は魔女の反物だろ?」
この機織りの工房の女主人にジーニアスは片目をつぶると、ネリーの背中を押す。
トルソーの影から追い出されたネリーは、ちょっとためらいながらも機織り工房の女職人たちを見渡して。
【みなさん、お願いします! どうか力を貸してください! わたしの大切な人たちが悲しい思いをしているのを、見たくないんです!】
エルネストも、ドロテも。
たとえ出会った期間が短くても、どんなに嫌われていても。
ネリーの大切な人たち。
ネリーの人生を作り、これから作っていく人たち。
そんな人たちがこれ以上争い、傷ついていくのを、黙って見てなんかいられない。
腰を折って、雲の文字をけぶらせながら頭を下げるネリー。
当然頭はないけれど、工房の女主人は驚く様子もなく。
「女だって譲れないもんはあるんだ。あんたのその手を気にいったよ。――みんな、刺繍針を持ってきな! 図面を引く紙と木炭もね!」
皮がめくれて血が滲むネリーの手を握って、女主人は笑う。
名前も知らない、顔もない、生きてるのも不思議なくらい不気味な姿をしているネリーを、工房の女主人はそのふくよかな体で抱きしめた。
「針を握る娘の手に血がついてちゃあ、糸も布も汚れちまう。あんたはよく頑張った。もう少し踏ん張らないといけないだろうが、針を握るのは、その手を綺麗にしてからだよ」
ネリーの首からくゆる雲が、大きく膨らむ。
嬉しい。とっても嬉しい。それに、温かい。心にとても温かいものが湧き上がってくる。
【ありがとう、ありがとう……! 皇都ってとても素敵な人たちが住んでいる場所なのね! わたし、魔女の里を出て良かったわ! とっても素敵な人に出会えたもの!】
「はははっ! ありがとうよ! とっても素直でいい子じゃないか! 魔女がおそろしいなんて迷信、お上の人たちはほんと、くだらないもんに振り回されとるね!」
本当はその迷信というものは、あながち嘘でもないけれど。
でも、人にだって良い人や悪い人がいるように、魔女にも善悪がある。
その悪を諭すために、ネリーは。
【魔女のおまじないの紋様を描くわ! 編み方も、分からないところは聞いて頂戴!】
とっておきの
これが魔女の鎧。
二度と呪詛の魔女ドロテに負けないための、裁縫の魔女ネリーにできることだ。
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