第19話 騎士様ったらひどいわ!
目が覚めたネリーには相変わらず首がなかったけれど、彼女が起きたというのは、雲の文字がくゆることでエルネストにも伝わったみたい。
ネリーの枕元。椅子に座って看病をしてくれていたらしいエルネストが、安心したように息をついた。
ネリーが身体を起こそうとすると、背中を支えてくれて、ヘッドボードへとたくさんのクッションを積んでくれる。ネリーはエルネストに甘えて、そのクッションへと背中を預けた。
【カメオ、砕けちゃったと思ったけど……エルネストさんが、わたしを助けてくれたの?】
「はい。ラァラ殿から、カメオのスペアを預かっていたんです。本当に良かった……!!」
鎧をガシャリと鳴らして、何かに感謝の祈りを捧げるような仕草をするエルネスト。
ネリーが雲の文字をくゆらせながら、エルネストの気持ちが落ち着くのを待っていると、たっぷり六十くらい数を数えたところで、エルネストは姿勢をただした。
「ネリーさんは丸一日、目を覚まさなかったんです。気分はどうですか?」
【まぁ! わたしったらお寝坊さんね!】
エルネストの告げた言葉に、ネリーはびっくり。自分の感覚では、まだそんなに経っていないとばかり思っていたから。
寝すぎたときのような頭痛もないし……と雲の文字が思ったことそのままけぶった後で、あら? 首がないから頭痛はそもそもしないわよね? と、忙しなく雲の文字があっちこっちにネリーの内心を綴っては消えていく。
それもほどよくまとまったところで、ネリーはようやく別のことへと意識を向けた。
【ところで、ここはどこ?】
全く見覚えのない、はじめてのお部屋。
ネリーが眠っていたこの寝台のシーツの肌触りはとても柔らかいし、クッションはもふんとしていてとても気持ちいい。床は紺色のクラッシックな絨毯が敷かれていて、広い部屋にぽつぽつと置かれたラックやテーブルは、
今はもう夕方なのか、窓辺と視線を向ければ、茜色の日差しが優しく室内に降りそそいでいる。ネリーが寝かされていた寝台から見える大きな窓の向こうには、緑のグラデーションが美しい植木と、開放感あふれる芝生のお庭が見えた。
皇国に入国してから宿屋に泊まったりしたけれど、そのどれとも合わない、全く知らないお部屋。
ネリーの首からぷかりと浮かんだ疑問符に、エルネストが答えた。
「ここは皇太子殿下の宮ですよ。殿下が正気に戻られて、匿ってもらっているんです。ネリーさんが献上した、あの衣装のおかげです」
【良かったわ! 暗示の刺繍を見てもらえたのね! それだけじゃなくて、たっくさんのおまじないも刺繍しているから、着ていればどんな合金の鎧にだって負けないわ! わたしの
両手を叩いて喜んだネリーだけれど、もわりもわりと流れていく自分の雲の文字を見て、ハッと気がついた。
【わたしの
ネリーが今着ているのは、この部屋同様、全く見覚えのない清楚なネグリジェだ。着心地抜群でうっかりこのままお出かけしてしまいたくなるくらいに、フリルや刺繍の可愛い意匠が施されている。
でもネリーはカメオが壊れる前に、
ネリーの首からけぶっている雲の文字が、エルネストに迫る。どこどこ? と催促する雲の文字に、エルネストは椅子から立ち上がった。
何か、薄くて大きい箱のようなものが置かれているテーブルの方へと行くと、それを取って、戻ってきてくれる。
「ネリーさんが着ていたドレスと、割れてしまったカメオです」
衣装盆だったらしいその箱の中には、破れてしまったネリーのドレスがきちんと畳まれていて、その上には、砕けてしまったカメオ。
ネリーはカメオの破片を手に取った。
【悲しいわ、悲しいわ。このカメオはね、お姉さんからの初めての贈り物だったのよ】
このカメオは、首を持っていったドロテが、ネリーの首に置いていったもの。
ドロテの言葉通り、彼女のなけなしの愛情だ。
その愛情も、今は粉々に砕け散ってしまって。
【
お気に入りだったネリーの
無惨なほどに破れてしまっていて、破れたところを縫い合わせ、服としての形に戻せても、
ようやくドロテと邂逅できたというのに、なんという体たらく。
ネリーの一張羅である
「……ネリーさん。もう、ここまでで大丈夫です」
【え?】
唐突なエルネストの切り出しに、ネリーは一瞬なんのことかしら? と雲の文字が困惑に揺れた。
エルネストは顔をあげると、まっすぐにネリーの方へと向いて。
「殿下も正気を取り戻しました。ネリーさんが献上してくださったあの服ならば、殿下には呪詛が効かなくなるのですよね? ならば、ここでお別れしましょう」
突然の別れの言葉に、ネリーの思考が止まる。
止まってしまったネリーの思考そのままを現すように、つー……っと彼女の首からまっすぐ雲の煙が伸びていき。
【えっ? えっ?】
「私たちは甘く見ていた。魔女なら魔女同士で厄介事を収めてくれると、そう思っていたんです。……ですが浅はかだった」
どこか悔やむようなエルネストの声。
ネリーの気持ちが追いつかなくて、困惑したまま何も言葉を綴ることもできずにいれば、エルネストがその内心を吐露してくれた。
「ネリーさんが死んでしまうかと思った瞬間、色んなことが頭を駆け巡ったんです」
【いろんなことって?】
ようやくネリーが絞り出せた雲の文字。
もっと言わなければいけないことがあるはずなのに、そんな言葉しか出てこなくて。
でも、その問いかけで良かったのかもしれない。
エルネストが、その本音を語ってくれたから。
「……私の打算だらけな求婚にうなずいてくれたこと。私の悲しみに共感してくれたこと。頭が戻ったらケーキを食べたいと言っていたこと……あなたは魔女である前に、ただの女の子だったんです。そのことを、忘れていました。いい大人の私が、そんな女の子にすがるだなんて、かっこ悪いじゃありませんか」
エルネストの声が震えていた。
それはまるで、何かを耐えているような、そんな声。
ネリーが言葉を紡ぐよりも早く、エルネストは。
「ジーニアスを呼びました。皇太子殿下には私から伝えておきます。あなたは、ドロテに見つからないうちに帰ってください」
そう言って、ネリーのことを切り捨てようとする。
当然、ネリーは納得がいかなくて。
【いやよ! そんなのいやよ!? わたし、一度始めたことを途中でやめるのはとっても嫌いなの! それにどうするの? 私が帰ってしまったら、魔女の婚礼はどうするの! エルネストさんの呪いがとけないわ!】
「いいんです。この甲冑生活には慣れました。皇城の出入りには制限がかけられてしまいますが……幸い、実家も裕福ですし、母がやっている領地の経営をついで、屋敷にひきこもるのも悪くはありません」
ネリーの首から火山のように雲の文字が勢いよく吹き出した。
怒髪天を衝くとはまさにこのことで、どんなにドロテに意地悪されても、ネリーはここまで怒りの感情を感じたことはない。
諦めたような、もう決断してしまったかのような。
そんな口調のエルネストに、ネリーは抗議の気持ちを籠めてめいっぱいの反論をするけれど。
【駄目よ! そんなの駄目! わたしをお嫁さんにしてくれるって言ったじゃない!】
「くどい! 大人の言うことは聞いてください!」
エルネストが、怒鳴った。
びりびりと空気が震える。
ネリーはエルネストに怒鳴られたことが衝撃的で、雲の文字が一瞬途切れた。
じわっと雲の文字が、空中で、滲んで。
いつもなら風に溶けて消えていくのに、ネリーの生み出す雲はまるで曇天のように、天井近くで滞留していく。
「お伝えすることは以上です。別室にジーニアスがいるので、呼んできます。さようなら、ネリーさん。どうかお元気で」
鋼鉄の鎧をがしゃりと鳴らして、エルネストは部屋を出て行ってしまう。
ネリーは沈黙したまま。
微動だにせず、首から立ち昇っていく雲は何も文字を綴らず。
ぐるぐると天井で雨雲のようにとぐろを巻く、ネリーの感情。
行き場のないその感情に、ネリーが業を煮やしていると、先程エルネストが出て行った扉がノックされた。
「ネリー? 起きたって聞いたんだが……、って、うっわ」
鴉の濡羽のような黒髪に、獣のような金の瞳。
いつもの黄ばんでくたびれた長衣じゃなくて、明るい黒の三つ揃いを着ているジーニアスが、部屋に入ってきて、ネリーの頭上でとぐろを巻いている雲を見て絶句した。
一度背後を確認して、ため息をついて部屋に入ってくると、ジーニアスは窓を大きく開けた。夕暮れ時のちょっとぬるい風がぴゅうっと吹いて、ネリーの行き場のないもやもやをさらっていく。
「ネリー、帰るぞ。首のことも、エルネストが心配するなと言っていた。そもそも、お前とドロテじゃあ相性が悪いんだ。エルネストの判断は正しいと思う。お前だって、死にたくはねぇだろ。拗ねてたってなぁ、どうにもならないぞ」
ジーニアスが窓べりにもたれながら、ネリーにそう言い聞かせた。
拗ねてる、と言われて、ようやくネリーの首から文字が噴き出す。
【そんなの納得いかないわ!】
「納得いかないっつってもな」
【大人っていつもそう! お師匠様もラァラもスティラも! エルネストさんもジーニアスさんも! わたしにはできないって決めつける! 最初からできないことは諦めろって、いっつも言うわ! わたしだってやればできるのよ!】
ネリーの首から、雲の文字が大きく主張した。
ジーニアスをのみこむような勢いで噴き出した雲の文字に、思わず窓から離れたジーニアスは、寝台の上でお行儀悪く立ち上がったネリーを見あげて。
【ジーニアスさん、場所を貸して頂戴! あと、機織り機! 裁縫の魔女の真骨頂を見せてあげるわ!】
ジーニアスの言葉も、エルネストの態度も、ネリーには逆効果。
首からぷすぷすと怒りの感情を噴出させるネリーを留めることは、ジーニアスにはできなかった。
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