誰かが何かを捜している

そうざ

Someone is Looking for Something

 公園に駆け込んだサチの目に最初に飛び込んで来たのは、同級生のリコの姿だった。

 リコの周りにはいつものように取り巻きの女の子が三人居たが、どの顔も焦りの色を滲ませながら、キューティ~、とそれぞれに声を上げている。

「サチちゃん、猫を見なかった?」

 サチの存在に気付いて駆け寄って来たリコの額には、玉の汗が浮いている。誰よりも狼狽している事が瞬時に判った。

「見てないけど」

 サチの正直な回答にリコが舌打ちをした。

 何でも、最近飼い始めた猫が逃げ出したのだという。そう言えば、ペットショップで十万円以上したと言いながら教室で写真を見せびらかしていた。自慢しようと散歩に連れ出したら、隙を見て逃げられてしまったらしい。この公園は広大だから、猫が隠れるような場所は幾らでもある。

「サチちゃんも一緒に捜して! お礼なら何でもするから」

 さっきからリコがをしている事に違和感を覚えていた。リコを友達と思った事はない。教室でもほとんど会話をした事がないくらいだ。それどころか、何かに付け自慢話をする彼女に良い印象を持った事はない。

「……今は忙しいから」

「はぁ?!」

 忽ちリコの眉根に険悪な立て皺が寄り、それが合図かのように取り巻きの三人が集まって来た。

「リコちゃんがこんなに困ってるのに、それでもクラスメートッ?!」

 一際背の高い子がサチを見下ろした。

「キューティーが見付からないとリコちゃんはお母さんに叱られるんだからねっ!」

 赤いフレームの眼鏡を掛けた子が、顎をしゃくるようにして言った。どうやら、母親には内緒で猫を連れ出したらしい。

「あんた、キューティーに何かあったら責任取れる訳っ?!」

 小太りの子が鼻息を荒くする。自分の詭弁には気付いていない様子だ。皆、一人でも多く連帯責任者を増やしたいようだった。

 今にも泣き出しそうな空模様を気にしながら、サチはこれ以上の返す言葉に窮した。忙しいのは本当だ。しかし、事を荒立てたくはない。世間体、家庭内の問題、親の苦労――色んなキーワードが頭の中を駆け巡る。

「明日からクラス中にあんたの噂が広がるよ。困ってる友達を平気で見捨てる子だって」

 リコちゃんは腕組をし、薄い笑みを湛えている。さっきまで焦燥に囚われていた面差しが、今は嘘のように残酷な色に染まっている。

 最後通告を浴びせられたサチは、もう首を縦に振るしかなかった。


「キューティ~」

 日暮れにはまだ早いが、折しも降り出した霧雨の所為で辺りはもう薄暗く、公園に残された人影は五人の女の子だけになっていた。

 知らない猫の名前を呼びながら、サチは本当に発したい名前を喉の奥で堪えていた。しかし、取り敢えず今はさっさと猫を捜してリコから解放されるのが先決だ。

 母親の顔が浮かぶ。母親の苦労は日々感じている。いつも少しでも手助けをしたいと思っているのに、今は逆に迷惑を掛けている。今日はパートの帰りが少し遅くなりそうだからしっかり戸締りをして留守番をしていてね、と連絡があったのに、つい油断をしてしまった。

 慌てて家を出てしまい、携帯電話を持つのを忘れた。連絡すら付かず、今頃、母親は動揺しているだろうか。サチの視界が涙で曇り始めた。

 遊歩道を抜けると、公園の真ん中の大きな池に行き着いた。霧雨の細かな波紋が、生まれた次の瞬間には消えて行く。池の周りは簡単な柵が設えられているだけで、雑草が茂った池の縁は危な気に泥濘ぬかるんでいる。

 もしここに落ちたら、直ぐに沈んじゃうかな――自分の想像で鼓動が速まる。どうしてこんな想像をしてしまうのか、とサチは思わず首を左右に振った。


「キューティー!」

 リコの叫びが耳に飛び込んで来た。

 薄暗い雑木林のに、リコのピンクのトレーナーが小躍りしているのが見える。声を聞き付けた四人が一斉に駆け寄ると、ベンチに腰掛けた老婆が驚いたように辺りを見渡した。居眠りをしていたようだ。

 老婆の膝でしわしわの掌に包まれていたのは、猫だった。ちんまりと丸くなり、アメリカンショートヘアの縞模様をすこやかに微動させている。その姿は老婆の灰色のスラックスに溶け込むようだった。

「おいでおいでしたら寄って来たの。捨て猫かしらねぇ」

 訊かれる前に答えた老婆から引っ手繰るように猫を取り返したリコは、誰に言うでもなく言った。

「見付けたのは私だから、お礼は無しね」

 微睡みを破られた猫が甲高い声を上げた。


 暴君とその家来が立ち去ると、それが合図であったかのように雨雲はすっかり遠退いた。

 サチは、母親が子供時分によく遊んでいたという公園の話を思い出していた。その公園には、雑木林や遊歩道、そして大きな池があったという。手掛かりはそれだけだったが、サチは自分の勘が間違っていなかった事にほっとした。

「雨が降りそうだったから迎えに来たのよ。さぁ、ヨっちゃん、お家に帰りましょう」

 そう言って、老婆は傍らに立てておいた二本の傘を手に取った。

 我が子を案じる親心――それが、サチがちょっと目を離した隙に祖母が家を出て行った理由だったのだ。

 サチは、幼い頃の母親の振りをしたまま、祖母の身体にしっかりと寄り添った。

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