後編 不意打ちで奪われ……

 ある休日のこと。今日は特に予定がなかったため、私は店の掃除をしていた。すると、突然店の入り口が開く。


「すみません、まだ準備中で……」


 そう言いかけた時、入ってきたのは黒井くんだった。彼は店内を見回した後、なぜか気まずそうに視線を落とした。


「こんにちは。今日はお客さんとして来たの?」


「いや、違うんだ……」


 彼は言いよどんでいたが、やがて意を決したように話し始めた。


「実は……頼みたいことがあるんだ」


「なに?」


「俺を、ここに住ませてほしい!」


 予想外の発言に私は目を丸くした。どういう経緯でそういう話になったのかはよくわからなかったが、とりあえず事情を聞いてみることにする。


「ええと……どういうこと?」


「前に、ネカフェで生活してるって言っただろ?だけど、そこが工事で使えなくなったんだよ」


「なるほど……」


 確かに、ネカフェ暮らしを続けるのは難しいだろう。今住んでいる場所を追い出されたら行くところがなくなってしまう。


「それで、俺は考えたんだよ。この店で住み込みで働かせてくれないかってな」


「ええ!?」


 驚きのあまりに声が出てしまう。いきなりとんでもないことを言われてしまった。


「それはダメだよ!君は未成年なんだし、保護者の許可を取らないといけないでしょ!」


「わかってる。でも、俺には頼れる大人がいないんだよ」


「それは……」


 そう言われると何も言い返せなかった。親と離れて暮らしている上、母親は新しい家庭を築いてしまったのだから。


「頼む、一生のお願いだ!!」


 必死に懇願こんがんしてくる黒井くんを見て、私は困惑していた。いくら何でも突拍子がなさすぎる。だが、このまま追い返すというのも気が引ける。


「う~ん……」


 私はしばらく悩んだ末、条件付きで許可することにした。その条件とは、黒井くんが高校を卒業するまでという期限を設けることだ。


「本当にいいのか?」


「うん。その代わり、ちゃんと学校に行って勉強すること。それが約束できるならね」


「わかった。ありがとう」


 彼は嬉しそうな笑みを見せた。こんなに喜んでもらえると私も嬉しい。これで良かったのだと思えた。


 その後、黒井くんは早速店まで自分の荷物を運んできた。とはいっても、小さな段ボール箱一個だけだ。どうやら日用品や服など最低限のものしか入ってないらしい。


「じゃあ、これからよろしくね」


「ああ」


 こうして、黒井くんとの同居が始まった。最初は不安もあったが、意外にも上手くやっていけそうな予感がした。



 黒井くんと二人で暮らすようになって、一つわかったことがある。それは、彼がかなりの甘党だということだ。


「黒井くん、お菓子作ったんだけど……食べる?」


「……もらう」


 私が尋ねると、彼は間髪入れずに返事をした。どうやら相当お腹が空いていたみたいだ。


 今日は新作のガトーショコラを作ってみたのだが、試食してもらうために皿に乗せて差し出すと、彼はすぐさま口に入れた。そして、「うまい……」と言い残して気絶してしまったのだ。よっぽど気に入ったんだなぁと私は苦笑いをするしかなかった。

 また、コーヒーも砂糖を入れないと飲めないようで、ブラック派の私としては理解できない感覚である。


 ……いや、待て。以前私が出したコーヒーはブラックだったはずだ。その時、黒井くんは平然と飲んでいたはず。もしや、無理して飲んでくれていたんじゃないだろうか?


「あのさ……黒井くん。私のコーヒー、本当は苦かったんでしょう?」


「……」


 私の問いかけに彼は無言だった。図星ということだろうか。


「やっぱりそうだったんだね……」


「ごめん……」


 黒井くんは申し訳なさそうに頭を下げた。どうやら悪いと思っているようだ。


「ううん、謝らないで。残したら私に悪いと思ってくれたんだもんね」


「…………」


「それより、これからはもっと甘い物を食べようよ。ケーキとかパフェとか」


「いいのか……?」


「もちろんだよ。遠慮しないでね」


 私がそう言うと、彼はほっとした様子を見せていた。

 それからというもの、お店が休みの日には新作の試作と称したスイーツ作りをするのが習慣となった。黒井くんはいつも幸せそうに食べてくれるので、作る側としてもやりがいがある。

 こう甘いものばかり食べていると太ってしまいそうだが、不思議と黒井くんの体型は変わらなかった。さすが現役男子高校生といったところか。私にとっては羨ましい限りである……。



 そんなある日のことだった。私は黒井くんと二人で買い物に出掛けた。お店の材料が足りなくなったため、急遽きゅうきょ買い出しに行くことになったからだ。


「結構買ったなぁ……」


 私は両手いっぱいの袋を持ちながら呟く。だが、黒井くんは軽々と持ち運んでいた。


「大丈夫か?」


「うん、なんとか」


 心配してくれているのはありがたいが、正直かなり辛い。私は昔から体力がない方なのだ。


「少し休もうか」


「……うん」


 近くの公園に立ち寄ると、私たちはベンチに腰を下ろした。そこでようやく荷物を置くことができたため、私はホッとする。ふと黒井くんの方に目を向けると、彼はどこか遠くの方を見つめていた。何を見ているのかと思い、私も同じ方向を見る。

 そこには、仲睦なかむつまじく歩くカップルの姿があった。おそらく高校生くらいだろうか。制服姿のままデートしているようだ。


「いいなあ……青春だね」


 思わずそんな言葉が口から漏れる。すると、黒井くんはぽつりと呟いた。


「……俺じゃ、ダメなのか?」


「えっ?」


「……俺だって、男だ」


 彼の言っている意味がよくわからなかった。一体どういうことなんだろう。


「黒井くん、それってどういう――」


 こうとしたが、できなかった。なぜなら、私の唇は彼のそれによってふさがれてしまったから。

 突然の出来事に頭が真っ白になる。一体何が起きたのかわからず、ただ呆然と立ち尽くしていた。すると、彼はゆっくりと顔を離す。


「こういうことだよ」


 黒井くんは真剣な眼差しで私を見た。その表情に思わずドキッとしてしまう。


「なっ……なっ……!」


「白木さんのことが好きなんだ」


 真っ直ぐな瞳に見つめられ、私は思わず目を逸らす。顔が熱い。胸の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。


「い、いきなりキスするなんて……」


 動揺しながら言葉を絞り出す。彼は「嫌だったか?」と尋ねてきた。


「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


「なら、問題ないな」


「うぐ……」


 反論できずにいる私を見て、黒井くんはニヤリと笑う。これは完全にもてあそばれてるなと思ったが、不思議と嫌悪感はなかった。むしろ、心地良ささえ感じてしまう。


「俺の気持ちは伝えたぞ。次は白木さんの番だ」


 黒井くんはじっとこちらを見据えた。私は一瞬戸惑ったが、やがて意を決して口を開く。


「わ、私の負けです……」


 恥ずかしくて声が震える。きっと今の私の顔はとても赤くなっているだろう。そんな情けない姿を見られたくなくて、ついうつむいてしまう。だが、彼は私のあごに手を当てて強引に上向かせた。


「こっちを見て」


「む、無理……。今の顔見せられない……」


「ダメだ」


「ひゃあっ……」


 抵抗しようとしたが、彼はそれを許さなかった。無理やり視線を合わせられる。すると、彼は優しい笑みを浮かべた。その笑顔に私の心は奪われてしまう。


「好きだよ、香織かおりさん」


「うう……ずるい……」


 名前で呼ばれただけでこんなにドキドキするなんて知らなかった。これではまるで恋する乙女ではないかと思うが仕方がない。私は彼に恋をしてしまったのだから。でも……。


「返事は、黒井くんが卒業するまで待ってほしいかな……」


「どうして?」


「だって……高校生とはいえ、君はまだ子どもなんだから。もう少し大人になってから返事したいなって思って」


「わかった」


 彼は納得してくれたらしく、素直に首を縦に振ってくれた。私はほっと胸を撫で下ろす。


「でも、俺は待つつもりはないから」


「え?」


「卒業したら覚悟しておいて」


「ええ!?」


「俺がどれだけ本気か教えてやるよ」


 黒井くんは不敵な笑みを見せた。どうやら彼も譲るつもりはないようで、私はこれからどうなるのか不安になってしまうのであった。



 それから約半年後。黒井くんは無事に高校を卒業した。

 この日まで、私は毎日のように彼からアプローチを受け続けた。時には押し倒されたりもしたが、何とか耐えることができたのである。


「ねえ、黒井くん。本当に良かったの?卒業式の日にあんなことしちゃって……」


 家までの帰り道、私は不安げに尋ねる。というのも、式の後に黒井くんは校門前にいた女子生徒に告白されていたからだ。だが、彼はその誘いを断ったのである。

『悪い、今は他にやることがあるんだ』と言ってその場を去った時は驚いたものだ。だが、まさかそれが私とのことだとは思いもしなかった。


「ああ、あれね。断ったよ」


「そっか……」


「当然だろ。俺には香織さんがいるんだから」


「……ありがとう」


 その言葉にじんわりと喜びが込み上げてくる。彼はこんな私を選んでくれたのだ。嬉しくないはずがなかった。


「それで……返事を聞かせてほしいんだけど?」


 黒井くんは期待に満ちた目で見つめてきた。私は深呼吸をして心を落ち着かせる。そして、ゆっくりと口を開いた。


「はい、よろしくお願いします」


「やった……!ありがとう!!」


 彼は感極まったように抱き締めてきたが、私はされるがままになっていた。こんなにも喜んでくれるとは思わなかったので、ちょっと照れ臭い。だけど、幸せだと感じていた。


「これからは恋人同士だからな」


「う、うん……」


 改めて言われると恥ずかしいが、確かに私たちの関係は変わったのだ。


「じゃあ、早速付き合った記念に……」


 黒井くんはそう言うと、再び顔を近づけてきた。キスされると思い反射的に目を閉じる。しかし、いつまで経ってもその気配はなかった。恐る恐る目を開けると、彼は悪戯いたずらっぽく笑って言った。


「なーんてな」


「も、もう……」


 私は軽く小突くが、彼は楽しげに笑い続けるだけだった。私はそんな彼を軽くにらむ。だが、すぐに吹き出してしまった。だって、彼があまりにも幸せそうだったから。


「大好きだよ、拓実たくみくん」


「俺も」


 私たちは自然と手を繋いでいた。それはとても温かくて幸せな感覚だった。

 これからもずっと一緒にいたいなと、そう思うのだった――。

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喫茶店強盗のお目当ては 夜桜くらは @corone2121

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