第43話

 刀弥とうやは咄嗟にきびすを返し、天音あまねの手を引いた。

 来た道を瞬時に戻る。

(武器…)

 今は丸腰だ。に対抗するには銃が必要だ。ナイフも欲しい。

「朝桐君っ、待って――」

 手を引かれた同級生が何か言っているが、構っている暇はない。

「お母さん、生きて――」

「あれがまともに見えるのか」

 困惑の中にも希望を見出している少女、その輝きを、刀弥は一蹴する。

「蓮山の母親は目の前で変異体に殺された」

「でも――」

 ここ数日見せなかった、涙。

「お前の目の前で、腹を喰われて、両断されたんだろう」

「でも――」

 それが、天音の目から溢れていく。

「見た目だってどう見たっておかしい」

「それでも――」

 頬を伝い、落ちていく。


「それでも、今そこで、生きて、動いてるのっ!」


 目の前で殺された母。

 カルーアや刀弥を恨み、変異体に敵意を向けても、自分には何もできないと知り。

 不愛想だけど、実は思いやりがあると知った刀弥と、いつも明るくて、でも無責任な優しさを振りまくことはない観生みう。この二人が、母の喪失を埋めてくれた。

 そう思っていた。

 実際は、埋めてくれたのではない。

 そう、思い込んでいただけだ。

 母が死んで平気?

 そんなわけない。

 母の死を乗り越えた?

 そんなわけない。

 死んだと思った大切な人が目の前に現れて、何も感じない人間などいない。


「お母さんが、そこにいるのっ!」


 目の前で死んだ?

 今動いているではないか。生き返ったのだ。

 見た目が違う?

 確かに極端に若返っている。二十歳はたちそこそこくらいだろう。

 結構だ。どんな見た目でも、母は母だ。変なウィルスが絡んでいるのだ、若返ったくらいなんだというのか。結構ではないか。


 天音は刀弥の引く手を振り解こうとするが、その手が緩むことはない。

 この手を解けば、この同級生女子が逃げるのをやめるどころか、母親バケモノに向かって駆け寄りかねない。

 みすみす殺させるわけにはいかない。

 蓮山天音の死は、朝桐刀弥の望むところではない。

「あれは――」

 刀弥は通路を曲がって、真っ直ぐに元来たエレベーターの方へと駆ける。

「あれは、脅威だ」

 刀弥は視界に捉えていた。

 半透明の触手のようなものが高速で迫り、壁を抉っていった光景を。

 先ほど天音を突き飛ばしていなければ、両断された赤髪の女ドクター・カルーアと同じ運命を辿っていただろう。

 そして、天音が丁字路から――母親の姿をした何かの射線から消えるかどうかというタイミングで、床をガリガリと削りながら、半透明な触手が伸びてきた。

 途上にあったカルーアの左腕を難なく切り飛ばし、尚も迫る。

 間一髪、スカートの裾を風が薙ぐにとどまった。

(人体を容易に切断している。速度だけで?そういう組成か?)

 視界の端に捉えた敵の攻撃に、刀弥は思考を巡らせる。

「あれは、蓮山を殺そうとする、敵だ」

 そして、天音にも、現実を突きつける。

「もう、母親じゃない」

 エレベーター前まで辿り着く。

 振り返ると、唇を引き結び、刀弥の言葉を受け入れられないと表情で語る天音。

 その肩越しに、長髪の黒とベージュ色が見えた。

 先ほど切り飛ばしたであろうカルーアの肘から先を、白衣ごと右手に持っている。

「お母さんっ」

 天音が振り向く。

 直後、天音の表情が凍り付く。


 ガリ、ブチブチ、ニチャニチャ


 手に持っているカルーアの腕を、その指先に噛みつき、食い千切った。

 人差指と中指の第二関節の部分を、その歯で噛み千切り、頬張り、肉を削ぎながら、骨までごりごりと噛み砕こうとしている。

 血濡れの白衣ごと切断した腕を手にして、指先から食べ進める様は、まるでフライドチキンを食べているかのようだ。

(余裕はない…)

 急ぎ、左に曲がる。

 透明な触手が伸びて、今度は切断ではなく突きを繰り出す。

 エレベーターの扉を容易に突き破り、丸い穴が空いた。

(まさか、さっきの急停止はあの触手か?)

 どこでどう暴れてどんなルートを通ってきたのかわからないが、エレベーターのワイヤーもせん断するならば、もうあれはチェーンソーなんて生易しいものではない。

「触れたら即死のギロチンだな」

 触れたものを容赦なく切断する最悪の凶器だ。

 母の姿をしたものが人を喰う様を目撃した天音は、認められないと首を振りながら目にしたものを否定しようとしているが、刀弥は無理に手を引いて走る。


 昨夜に引き続いての死線。

 もう慣れたはずだが、今回ばかりはハンデが大きすぎる。

 現実を受け入れられない同級生女子を連れて、丸腰状態。


「敵性体と接敵。武器が無いため後退する」

 ここは、大人しく観生の誘導ナビに頼った方がいい。

『おーけー、装備保管庫まで行ける?』

 装備保管庫は現在位置より上層、第三層にある。そこに行けば刀弥の装備があるし、うまくすれば処理班の持つ別装備も手に入るかもしれない。

 だが、エレベーターは待っていられない。待っていたらあの触手に細切れにされてしまうだろう。自分一人ならともかく、天音が一緒なのだから尚更だ。

「無理だな」

 素早く断じる。

 頑張るとか、そういう精神論は語らない。

 できないものはできないと判断し、別の現実的な手段を講じる必要がある。

『となるとー、ちょいまちー……おっしゃ、カメラ来たー!』

 何やらマイクの向こうではすでにひと仕事進めていたらしい。発言から、恐らく社内の警備系システムへクラッキングでもしていたのだろう。警備室への入室権限などない観生がPNDRに起こっていることを理解するにはそうするしかない。そういえばエレベーターの状況も遠隔で確認していたようだし、異変に気付いてから、というより、普段から社内システムにクラッキングを仕掛けていて今日も不正ログインしていたから気づいたと言われても驚かない。今更「普段からバックドア作っててねー」とニコニコ顔で言われても「だろうな」と返すだろう。

『そのまま進んで、角をみぎー』

 全てを網羅できているわけではないが、研究室内に通路と、保安上必要な場所や実験室内のデータ持ち出しなどを警戒して、施設内には至る所に監視カメラが設置されている。そこに建物の構成図と刀弥の位置情報まで加われば、詳細な情報が観生の元に集まるはずだ。

 それに従うのが最適解だ。

 天音の手を引き、刀弥は指示通りに通路を駆ける。

『んで、そこの扉くぐって』

 刀弥の位置情報まで把握しているので、狙ったようなタイミングでで指示が出る。

『んで、そこに死体が転がってるから、銃回収して』

 そして、こういうことをさらっと言うのもこのロリ娘の特徴だ。


 ドカッと両開きの扉を開く。

 二メートルの長机と椅子が並んだ一〇メートル四方の部屋は、休憩室だ。一面に並んだ自販機は缶とペットボトル飲料の他にドリップコーヒー、軽食のものが並んでいる。四方に申し訳程度の観葉植物が置いてあり、そこに首のないスーツ姿の死体がもたれ掛かっていた。

「ひっ」

「待っていろ」

 天音の悲鳴をよそに、刀弥は死体に駆け寄って右手に握られた拳銃を奪い取る。

 さっと上着を漁るが、予備弾倉は見つからない。

「急ぐぞ」

 時間はかけられないのですぐに奥に続く扉へ向かう。


 その時、刀弥たちが入ってきた扉がゆっくりと開く。

 全裸の長髪女が、濁った目を生者の二人へ向けた。

 刀弥は手に入れた拳銃を構え、瞬時に照準・発砲。

 ダン!と九ミリパラベラム弾が狙いたがわず眉間に吸い込まれ――


 キュン――!


 ――るかと思われた瞬間、跳弾が天井を貫いた。

「ちっ」

 舌打ちと共にもう一度引鉄トリガーを引くが、同じように弾が弾かれた。

 先の大型変異体のように強固な表皮を持っているわけではない。むしろ、その肌はヒトのそれと変わらず、命中さえすれば弾頭がその体内に入り込んで身体を破壊することだろう。

 つまり、それ以外。

 半透明な一本の触手が、背中から伸びている。

 その触手が、時速三〇〇キロで迫る銃弾を、弾き飛ばしていた。

「バケモノか…」

 銃は――少なくとも拳銃でちまちま撃っていても全て防がれる。

 手持ちの武器は通じないと断じ、刀弥は天音の手を引いて、目指していた扉から飛び出して通路を進む。

『最近は銃が利かないのばっかだねー』

 どんな危機的状況でも、観生の調子は変わらない。

「お前も考えろ。使えそうな武器とルート選定を」

『はいはい、わかってますよー』


 珍しく、刀弥の表情に焦りの色が滲む。

 普段なら、失敗してもだが、今回はそうもいかない。

 ちらりと後ろを、息を荒げて走る同級生の顔を見る。

 天音の体がバラバラになる光景を想像し、首を振る。

 そんな結末は迎えたくないと、状況打開の手段を考え続ける。

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