第18話

 孝明館高校に到着した処理班と入れ替わりに、刀弥とうやは校舎を出た。ちょうど手配したMMMC所有の民間救急車も到着したので、天音あまねを連れてMMMCの地下区画・PNDRへと向かう。

 車内では、天音は俯いたままだ。自分の母親の死を目の当たりにした直後、自分の死を目前にした高強度のストレスに晒された状態で走り続けたことで、心身共に疲れ切ったと言われればそこまでだ。


―――「大丈夫って、言ったじゃない……」


 震えた口から出たあの言葉は、恨み節だ。

 ドクター・カルーアはもう大丈夫だ、忘れろ、と告げていた。

 刀弥も問題ない、と伝えていた。

 だが、結果は彼女の母の死と、自分の生命の危機。

 お前たちのせいで、と思うのも当然かもしれない。

 それでも、かわいそうだとか、励まさないと、などと思うことはのが朝桐刀弥という人間だ。

 車両が地下に入り、刀弥と天音は検査を受ける。

 天音は今回のことで万一感染していないかの確認を。

 刀弥は毎度の慣習で、戦闘後のメディカルチェックを。

 俯き黙る少女と、不愛想な少年は、ただ機械的に歩を進めた。



 刀弥のメディカルチェックは粛々と、普段通り済まされた。

 異常はない。傷を負ってもいないし、あるとすれば軽度の打撲程度だが、こんなものは数時間で跡形もなくなる。

 既定の検査項目を受け終え、帰ることもできたが、

「…………」

 刀弥は天音の様子を確認することにした。



 天音は一〇日前と同じ診察室のような部屋の中で、赤髪の女と二人きり。

「検査異常なし。擦り傷と軽度の打撲があるものの、まぁ数日で痛みも引くだろう」

 カルーアは特に天音に気を遣う様子もなく、卓上のディスプレイを横目に淡々と事実だけを述べる。

 対して、天音は転んだ時に打ったのかわからないが、右腕の鈍い痛みを感じながら、ただ耳に入る言葉を処理できずにいた。

「前に―――」

 それは、別にカルーアの言葉が難しいわけではもちろんなく、

「大丈夫だって、言ったじゃないですか」

 ただ、そう言いたくて。

 母の無惨な姿と、自分に圧し掛かる耐え難い恐怖の責任を、「お前のせいだ」ということで怒りの対象を作り上げる、人間の自己防衛反応。

「全然、大丈夫じゃない……!」

 カルーアは何も答えない。

 ただ目の前の少女が言いたいことを全て吐き出させる。

「あの時、警察に通報すればよかった!周りの人に、こんな危ない生き物がいるんだって触れ回ってればよかった!ネットに流したっていい!そうすれば、もしかしたらお母さんは死ななかったかもしれない!あなたの言うとおりにしちゃったから、こんなひどいことになったの!」

 膝に手をつき、その手を震わせながら、天音は唾飛ばし、喚き、目の前の女性を呪った。校舎で刀弥に向けた時よりも勢いも険もある、お前が悪いと罵る、感情の慟哭どうこくだった。

 それでも何も言わないカルーアに向けて、天音は顔を勢いよく上げて叫ぶ。

「何か言い返しなさいよ!言い訳とか、謝罪とか、いろいろあるでしょっ!」

 そこまで言われて、カルーアは口を開いた。

「言いたいことは全て言ったか」

 天音の剣幕に圧された訳でも、懺悔の言葉を選んでいた訳でもない。ただ、吐き出すだけ吐き出させてから言った方がいいと、そう思ったからに過ぎない。

「まずは、こちらの認識が甘かったことは認めよう」

 五日で寿命を迎える変異体に対して、一〇日以上の生存は想定外だ。

 しかし、あくまでそれだけのことだ。

「だが、それ以外のことで何かを言われる筋合いはないな」

 悪びれる様子のない発言に対して天音が睨むも、カルーアは構わず続ける。

「警察に何ができる?『怪物に命を狙われているから守ってください』か?『危険な生物が徘徊しているので警邏を強化して』か?ただの狂言と取られて終わりだ。万一、何かしら動いてくれたとして、一番良くても交番勤務の警官の見回り時間が少し増えるのが関の山だろう」

「そんな、あんな危険なのがいるってわかればいくらなんでも―――」

「口がたくさんあって、ナイフみたいな鋭い爪を持った凶暴な犬ですって?誰が信じるんだそんなもの。まだ凶暴な野良犬って言った方が動いてくれるだろうが、その情報で動けば間違いなく別の犠牲者が増えていたな。ああ、すまない。その方がいいもんな。母親が犠牲になるよりも、名も知らぬ警官が犠牲になってくれた方が君の心は痛まないし、世間に危機感を持たせるきっかけにもなってくれる」

「わたし、そんなことまで―――」

「じゃあ、なぜ学校に逃げた?あの時間、まだ教職員どころか部活生徒も残っていると、当然知っているな?」

「それは、咄嗟に―――」

「自分以外の人がいる場所に行けば、誰か別の人間が襲われて、その隙に逃げられると思ったか?」

「—――っ!?」

 天音は思わず息を詰まらせた。

「学校に行けば、まだ大勢人はいるし、その道程でも多くの人の目に触れるだろうと。誰かが助けてくれるかもしれない。誰かが通報して、あの変異体をどうにかしてくれるかもしれない。そう思ったんじゃないのか?」

「そんな、そんなこと―――」

「報告は聞いている。君は自宅から学校まで、直線路を避けてどうにかあの変異体から走って逃げ延びていたな。実に頭がいい。最短距離で学校に向かっていたら、とっくに追いつかれていただろう。で、だ」

 カルーアは醜悪にわらう。

「どれくらいの人とすれ違った?」

 それは、「どれだけの人を犠牲にして、生き残ろうとした?」と聞かれていると、天音は感じていた。

「あの時間帯だ。買い物帰りの主婦やペットの散歩、遊びに出ていた子供がいただろう?自分の心配ばかりで、覚えていないか?」

 天音は思い返す。

 確かに、何人もの人が、自分を―――その後ろから猛スピードで駆ける巨大な黒い生物を見て驚き、おののき、悲鳴を上げていた。その過程で、誰もあの牙の、爪の、巨体の猛進の餌食になっていなかったなどと言えるか?いや、いない方が不自然だ。

 学校ではどうだ?

 校舎の外には運動部がいたような気がする。でもよく覚えていない。廊下で人影を見たような気がするが、バケモノの姿を見てすぐに引っ込んだと思う。高校の人たちは無事?そんなのわからない。気に留めている余裕などなかったし、様子を見に廊下に出てバケモノに轢き潰された人がいなかった保障などない。刀弥が来てくれてから、昇降口方面に逆順路で走ったが、特にそんな―――無惨な光景はなかったはずだ。

 でも―――

「そんなこと、思ってない……」

 誰かを犠牲にしてでも自分だけは生き残ろうなんて、そんな卑怯なこと、自分は思っていないはずだ。

 いつの間にか、天音は糾弾する側からされる側になっていることを、カルーアの誘導をまだ自覚できずにいた。

 自分はこれまでルールを守ってきた。それが巡り巡って自分を守ることになるのだと、両親から教わってきた。ならば今回のことはどうだ?自分は社会のルールを破ったか?否、破っていない。自分の身を守るために誰かを危険に晒してしまうことは、法律上問題ない。ならば、自分の行いは問題ない?ルールは破っていないのだから。

 そんな心情などお構いなしに、カルーアは天音の耳元に顔を寄せた。

「あの追いかけっこに巻き込まれたヤツは君のことをどう思うかな?君が逃げてこなければ、自分はこんな目に遭うことはなかった。こんなことになったのは、あの女がわざわざ人のいるところに逃げてきたせいだ。そう思われても仕方ないよな?」

 誰か、犠牲者が出たのだろうか。自分が逃げた先で巻き込まれた被害者が。

「別に君を責めようなどとは思っていない。現に、法律上その行いを裁くことはできないだろう。だが、正真正銘、巻き込まれた者たちからすれば、君は『加害者』だ」

 天音の視線が下がり、自分の膝を見つめる。正確には、視線が向いているだけで焦点は合わず、何も見えてはいない。

 ここにいない誰かが、天音を見下ろしているような錯覚を覚えた。

 たくさんの人に囲まれ、指差され、「お前が悪い」と責め立てる。

 じゃあ、どうしろと?

 あのまま大人しく、あの巨大なバケモノ犬に喰われればよかったと、それが一番いい結果だったとでもいうのだろうか?

 そんなこと、想像できない。自分の死など、ましてや『捕食される』という、生物にとって根幹的な恐怖に対し、多くの人のためにそれを受け入れるなど、できようはずがない。

「後悔しているか?だが、終わったことはもう覆せない」

 カルーアは天音の心情を読み取りながら、唇を歪ませる。

「ならば、行動で示すしかあるまい。贖罪も、復讐も、お前が望むならな」

「え……」

 天音は反射的に顔を上げた。

「我々に手を貸せ」

 それは、天啓にも、救済にも思えた。

「あの変異体を、仕留めるためにな」

 それが、天音のことなど考えていない、悪魔の囁きであることなど想像できないくらい、暗くなった視界の中に現れた一筋の光に思えてしまっていた。


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