第16話

 刀弥とうやは調理室の一番窓際のテーブル上に着地し、即時二発の銃弾を変異体に向けて発砲。狙うは側頭部と胸部—――脳と肺だ。

 蓮山家から五分以上、してからの窓枠を越えた跳躍、そして着地と同時の射撃は、狙い違わず変異体の頭部と脇に命中した。

(—――!)

 だが、命中しただけだ。

 潰れた銃弾が、床に落ちた。

 変異体は不快そうに体を震わせるだけで、倒れるどころか流血すらしていない。

(一撃で仕留めるはずが―――)

 変異体は調理室の後方入口付近に立ち、その一メートル先では天音あまねが床に転がっている。今は刀弥に意識が向いているが、以前の交戦時のことを鑑みれば、変異体はすぐに天音に向かってしまうだろう。

「朝桐く―――」

「立て!」

 刀弥はすぐに足を踏み出した。

 中央のテーブルに跳び移り、変異体の胴部に一発発砲。次の跳躍で天音の横に跳び下り、再度天井付近—――変異体の頭部に向けて発砲する。

「バオゥッ!」

 怒り心頭を表すような吠え声から、またも効いていないことがわかる。脇の関節部と眉間に命中しても、先と同様ダメージはなし。牽制程度の意味しかない。

 刀弥は天音の手を引いて無理矢理立たせ、変異体がいるのとは反対側のドアに向かわせるために、背中を押して調理室から追い出す。調理室は校舎の行き止まりにあるので、廊下を戻る形になる。廊下は巨大な変異体のせいで、床面がボコボコになり、壁もところどころひび割れや変形を起こしていた。

(火力不足だな)

 廊下に追い出した天音の後ろを駆けながら、刀弥はどうやって変異体を始末するかを考える。拳銃では無理だ。あれを銃でどうにかしたいなら、九ミリパラベラム弾ではなく七.六二ミリのライフル弾でも心許ない。一二.七ミリ—――対物ライフルが欲しい。

(無いものをねだってもしょうがない)

 この場に無い、調達してくれるかどうかもわからないものを強請ねだったところで意味はない。

 考えるべきは、限られた装備でどうやってあの巨大変異体を仕留めるかだ。

 刀弥の手持ちは九ミリ拳銃一丁に、投擲用ナイフ一本と鋼糸一式。学校帰りから駆けつけたため、装備が限られている。学校の持ち物検査を誤魔化すための最低限の量で、予備のマガジンもサバイバルナイフもない。

 ドガッ!、と調理室の壁が粉砕された。

 変異体はお行儀よく回れ右してドアから出てくることはせず、前足を振るって壁を粉砕し、廊下に躍り出る。

 間一髪で、前足からも破片からも免れる。

 あの前足の一撃を受ければ、骨が内臓ごと粉砕されるだろう。いや、形が残るかも怪しい。ヒグマの一撃よりも重いであろうことは、容易に予想できる。

 有効打を与えられるとしたら、拳銃ではなくナイフだ。関節を狙うか?先の銃弾は何で防いだ?体毛による緩衝か?それとも表皮の硬度が高いのか?もし体毛ならば刃物を差し込めば刺さるかもしれないが、いけるか?目を狙うか?持っているダガーを根元まで押し込めれば脳に損傷を与えられるかもしれないが、体高が三メートル近くあるため到達が難しい。投擲では防がれてしまうだろう。

「なんだ、さっきからうるさ―――」

 刀弥が考えているうちに、周囲の教室から何事かと廊下を覗き込む生徒が出てきた。

 廊下を駆ける、緊迫の形相の女子生徒と、その後ろの無表情男子生徒、そして廊下一杯の巨大な黒い何かを見て、部活中の生徒は固まった。

「戻っていろ!」

 刀弥の警告を聞き入れたのか、その後ろから迫る異形の生物に恐れを抱いたのかは不明だが、顔を覗かせた生徒はすぐにぴしゃりとドアを閉めて教室内に閉じこもった。

 周囲でも、生徒や教職員が騒いでいるのがわかる。ちらほらいる、変異体の目撃者が「あれはなんだ」「何かがいる」と動揺し、興味本位で顔を出し、自分の目を疑いながら、目の前の光景を正確に処理できずにいる。

 変異体の視界にはそれら生徒や教職員の姿も入っているはずだが、そちらには目もくれずに刀弥たち—――いや、天音を執拗に狙っている。

(何か狙いがある?それとも、本当に熊のように一度狙った獲物に固執している?)

 目撃者多数という、組織的にはよくない状況なのだろうが、それを考えるのは刀弥の仕事ではない。刀弥がすべきことは、この巨大な変異体を始末することだ。ドクターカルーアの言う「第一優先は捕獲」は困難であると判断している。いや、殺すつもりで挑んでも無力化できるか怪しい。


「グァウッ!」


 変異体は背後一メートルまで迫っていた。

 刀弥は足を動かしながら、半身になって右腕を後ろに向け、二発発砲。

 一発は首の根元に当たるがその場にぼとりと落ち、一発は首にある牙に命中し、跳弾が職員室の壁上方にある小さな窓ガラスを砕いた。職員室から女性の悲鳴が上がった。

 嫌がるように変異体が体を震わせたが、彼我の距離を一メートルから三メートルに広げるだけで、形勢は変わらない。

 残り一一発。

 拳銃の残弾を数えながら、刀弥は考える。

 孝明館高校の校舎の構造は、二から三個の教室ごとに廊下が折れ曲がっている。廊下の狭さも相まって、変異体はその大きさから最大速度を出すこともできず、曲がり角がある度に減速を余儀なくされている。それがなければ、刀弥はとっくにあの前足で切り裂かれるか粉砕されている。

 また二発撃ち込む。

 頭部に命中するが、一瞬速度を緩めさせる効果しかない。瞼を閉じて首を嫌々と振っているので、胴体を撃った時よりも若干減速させるのに有効に思える。だが、それも誤差の範疇かもしれない。

 残り九発。

 正面に見えるのは、昇降口。

 選択できる進路は三つ。

 右に行けば昇降口がある。だが、変異体のせいなのか、下駄箱が薙ぎ倒され、道を塞いでいる。探せば通れそうなところがあるかもしれないが、探す余裕はない。それに、あの巨体を広い屋外に出すよりも、行動を制限できる屋内で対処すべきではないかと考えた。

 左には階段がある。この校舎は四階建てで、三箇所ある階段のうちの一つがここだ。一二段上るとガラス張りの壁面にぶつかり、踊り場を経て一八〇度曲がってまた一二段上ることで二階に繋がる構造だ。懸念は、階段を上る際に減速を余儀なくされ、追いつかれる可能性が高いことだ。

 このまま真っ直ぐ廊下を進むこともできる。階段の三メートル先で折れ曲がり、先ほどの調理室のような特別教室がいくつか並んでいる。この場をしのぐならば、真っ直ぐ進むべきかもしれない。

(いや―――)

 刀弥は思い直す。

 このまま逃げるだけではジリ貧だ。攻撃手段は限られている。

 振り返ってまた変異体に向けて二連射。胴と首に当たるが、牽制以上の効果は得られない。

 残り七発。

 今考えるべきは、どう逃げるかではない。

 どう仕留めるかだ。

「階段だ!」

 前を走る天音の背を押し、階段へ誘導した。

 逃げ道を示したのではない。

 ここで、あの変異体を討つ。

 そのための選択だった。

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