第7話 秋成の決意

 逃げるように小次郎達のもとから走り出した千紗は、市を抜け、人通りの少ない街の路地裏へと入って行く。

 そこまで来てやっと秋成は、千紗を捕まえる事に成功した。


「千紗っ、待てって!一人で出歩いたら危ないだろ」


 そう声をかけるも、背中を向けたまま、なかなか振り返らない千紗に、秋成は心配になって肩を掴むと強引に自分の方へと向かせた。

 瞬間、千紗は秋成へと勢いよく抱き付いてきて……

 突然の事に秋成は体を強張らせる。


「ち、千紗?」


 ぎゅっと、秋成の着物を握りしめる女子の小さな手。その手は震えていて、あの日の……雷の中一人寂しさに我慢するか弱い幼女の姿と重なった。


「………」


 秋成は、不慣れながらも優しい手付きで千紗の頭を撫でてやりながら、もう片方の手で、そっと震える千紗の体を抱き締める。あの日、小次郎がして見せたように。


「………」

「………」

「……どうしてお主は何も言わぬ? 我が儘な妾を叱りに来たのではないのか?」

「叱って欲しいのか? 泣いてる時くらい、優しくしてやろうかと思ったんだけど?」

「な、泣いてなどおらぬ。見くびるな」


 千紗の強がりに、クスリと笑みを零しながらも、それ以上何を言うでもなく、千紗の頭を優しく撫で続ける秋成。

 その優しさに甘えるように、千紗は秋成の胸に顔をうずめた。


「そんなに辛かったのか? 兄上に言われた事」


 自分の腕の中、震えている弱々しい千紗の姿に、秋成の口から不意に零れた言葉。その問い掛けに、千紗はコクンと小さく頷く。


「……妾はただ、今までのようにお主達と一緒にいたかった。ただそれだけなのに……小次郎にとってそれは、迷惑でしかないのだと思い知らされた」

「そんなにお前は、俺や兄上と共にいたいと望むのか?」


 二つ目の問い掛けにも、再び小さく頷く千紗。その頷きに、秋成の口から今度は小さなため息が漏れた。


「分かった。約束する」

「………え?」



ため息の後、秋成の口から出た言葉に、今まで伏せていた顔を思わず上げた千紗は、驚いた表情で秋成を見上げる。


「俺はこの先、何があってもお前の側にいる。たとえ裳着をしたって、結婚したって、しわくちゃの婆さんなったって、俺は、俺だけは、お前の傍でお前を見守り続けていてやるよ」

「……」

「……何だよ。お前はそれを望むんだろ? だから叶えてやるって言ってんのに、どうしてそんな驚いた顔をしてる?」

「どうして急に……? お主は、貴族が嫌いだったのではないのか? 貴族に仕える事をずっと嫌がっていたのではないのか?」

「あぁ嫌いだ。でも……いつも馬鹿みたいに元気な奴の落ち込んだ姿は、どうも調子が狂う。お前の我が儘に付き合わされる事にはもう大分慣れたし、こんな事でお前が泣き止むなら、いくらでも俺がお前の我が儘をきいてやるよ」


 落ち込む千紗を、何とか励まそうと言う、秋成なりの精いっぱいの気遣いだった。

 半ば、成り行きから出た言葉だったかもしれない。けれど、成り行きとは言え、秋成の言葉に嘘はなかった。


 いつの間にか、この強がりで、か弱い少女を守りたいと、思う気持ちが芽生えていて、この八年の間見て来た千紗の姿に、いつの間にか彼女を主だと認めている自分がいて、彼女が望むのならば、彼女の力になりたい。そう思う自分がいた。


 出会ったばかりの頃は想像も出来なかった想いに、秋成自身驚き、思わず溜息が漏れたのだけれど、でももうこの気持ちを誤魔化す事はできないと、観念した彼は決意を持って約束を口にしたのだ。


「本当に……ずっと妾の側にいてくれるのか?」

「あぁ。約束する。だから、もう泣くな」


 秋成の決意に、千紗は嬉しそうに微笑む。微笑みながら、また甘えるように秋成の胸へと顔を埋ませた。

 そんな彼女を優しい瞳で見下ろしながら、秋成は彼女を抱き締める手にそっと力を籠めた。




「お兄ちゃん達、こんな所で抱き合って何やってるの?」

「うわっ!?」


抱き合う二人の背後から、突然掛けられた声。驚いた秋成が思わず大声を上げる。

 振り向けば、十一、二歳くらいだろうか、まだ幼さの残る男の子が二人立っていて……


「馬鹿春太郎。二人の秘密のおうせを邪魔したらいけないんだぞ」

「おうせ?あぁ、分かった。僕知ってる。こう言うのあいびきって言うんでしょ?」

「あ、あいびき?! おうせ??! 馬鹿な事言うな。これはただ……」


まだ幼い見た目彼等の口から、次々に飛び出すませた言葉の数々に、急に先程の自身の発言や行動に恥ずかしさを覚えて、秋成は慌てた様子で千紗を自分の元から引き剥がした。


「そんな隠さなくて良いよ。俺達、兄ちゃん達の事は誰にも言わないから。な、春太郎はるたろう


「うん。お姉ちゃんの方はきっと、どっかの貴族様なんでしょ。清太きよたも僕も、お姉ちゃん達の身分違いの恋を応援するよ。絶対誰にも言わないから安心して」


 一人は子犬のように人懐っこくて、気の強そうな印象を持つ男の子は清太と呼ばれ、もう一人、清太が春太郎と呼ぶ男の子は反対におっとりとして、気弱そうな印象の男の子。

 まだ幼いはずの彼らが発する、大人顔負けの発言の数々に、秋成は頭痛を覚えた。


「……お前等、意味分かってて言ってるか?」

「「勿論!」」


 頭を抱えながら、秋成が問いかけた内容に二人は息ぴったりに答える。


「兄ちゃんと、姉ちゃんは、深いふか~~~~~い仲、なんだろ?」


 清太と呼ばれていた方のの子が、両腕を左右に大きく広げながら言った。

そんな清太の発言に、やっぱり分かってない。と、秋成は憤りからか顔を真っ赤にして頭をかきむしっている。

 そんな秋成とは対象的に


「そうじゃ!妾と秋成は、深い、それはもう、ふかぁぁぁ~~~~~い仲なのじゃ!今まさに、その為の契りを交わしておった所でな」


 先程まで落ち込んでいた筈の千紗は、自慢げに答えた。


「おいおいおい!千紗、お前も、ちゃんと意味分かって喋ってるか?」

「勿論じゃ。お主は、永遠に妾の下部として」


“ゴン”


 千紗の発言を途中で遮って、突如盛大な音が辺りにこだまする。


「痛いではないか、この無礼者! 主の頭をぶつとは何事か! しかもげんこつで!!」

「誰が下部だ誰が!! あ~そうか、分かった。お前がその気なら、さっき言った言葉は全て撤回だ!お前なんかの従者などやってられるか!」

「むむむ、何を申す。そんな勝手は許さぬぞ!」


 幼い男の子達をそっちのけで、喧嘩を始める二人。


「お前なんかもう知らねぇ!一人で勝手に落ち込んでろ!!」

「待て秋成! 護衛のくせに妾を置いて何処へ行くつもりじゃ。妾を置いて行くなっ!」


 男の子達の存在を忘れているのか、喧嘩に没頭する二人は、子供達の元から遠ざかっている事に気づきもしない。


「お兄ちゃ~ん、お姉ちゃ~ん!喧嘩しちゃダメだよ~」

「仲良くしろよ~~!」


 離れて行く二人を楽しそうに見送りながら、子供達は千紗と秋成の背中に向かって大きく手を振って見送った。



「……行っちゃったね。」


 春太郎が静かに言う。


「あぁ。でもあの二人、なんで喧嘩になったんだろうな?」

「ねぇ~、何でだろう?」


 春太郎と清太は、二人の姿が見えなくなるまで見送った後、お互いに顔を見合わせて、そんな疑問に首を傾げあっていると……


「お前らっ!」


 突然後ろから声を掛かって振り返る。すると、そこに立っていたのは――


「「あっ、兄貴!お帰りなさい!!」」


二人が兄貴と慕う年若き青年。

背格好は秋成と同じ程、年齢も秋成と同じくらいだろうか。


「何してるんだ? 今の奴らは?」

「兄貴を探してたら、抱き合ってるお兄ちゃんとお姉ちゃんがいてね、僕達、二人のおうせを邪魔しちゃったみたい」

「逢瀬?」

「うん。あの二人、身分違いの恋をしてるみたい。それでね、ここで永遠の約束を交わしてたんだって」

「馬鹿春太郎! それは秘密にするって約束だろ」

「あっ、そっか……。兄貴、今の無し! 今の全部忘れて~」



忘れてと言う春太郎に、何故か彼らの“兄貴”はニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべている。


「面白そうな話だな。よし決めた」

「……兄貴が何だか悪い顔して笑ってる。いったい、何を決めたの?」


怯えた表情で、春太郎が訊く。


「次のカモは、あの姫さんだ。お前ら、見失わないよう後を追いかけろ」

「えぇ? 兄貴、本気か?」


“兄貴”の提案に、清太が驚いたように声を上げた。


「あぁ、本気さ。ほら、さっさと行け。見失ったら、お前ら二人、ただじゃすまさないからな」

「わ、分ったよ兄貴。おいら達に任せて。 ほら、春太郎、ぐずぐずしてないで早く行くぞ」

「あ、待ってよ清太~」


 “兄貴”の命令に、清太と春太郎は渋々千紗達の後を追いかけ走り出す。

 一人その場に残った“兄貴”と呼ばれた少年は、相変わらずニヤニヤと、気味の悪い笑みを浮かべながら、清太達の後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。

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