「ただ、飽きてしまって」 -2-

「やあ、良い天気ですね」

 門をくぐってやってくると、賢者の男はそう言って朗らかに笑った。緩やかにウェーブした、銀色の長髪を風に靡かせるその男の年齢は、エヴァンと変わらない程に見える。少々痩せすぎを疑いたくなるほどの、華奢な体つきをしている。

 声をかけられると、軽く口を開けたまま呆然としてしまっていたエヴァンはハッとして軽く頭を下げた。

「はい、日柄が良く、何よりでした。俺が領主のエヴァン・ユレイトです。お迎えにあがりました」

「領主様自らのお出迎えとは、ご丁寧にどうもありがとうございます。私は賢者のルイス・バリエルと申します。この後ろのはブラザーのミカ・バリエルです」

 ルイスはそう言うと、自分の後に続いている馬に跨る男を示す。灰色の短髪の青年は、軽く頷くように会釈をする。同じバリエルと名乗っているが、それはあくまで彼らが王都の同じ地区の出身であることを示しているだけで、血縁関係があるわけではない。

「ルイス様、ミカ様、このような北端の地まで、遠路はるばるようこそいらっしゃいました」

「なかなか興味深い旅になりましたよ。そしてユレイト領がどのような場所なのか、ずっと楽しみにしていました。早速ご案内いただけますか? ……と」

 ルイスは笑顔のまま言葉を続け、エヴァンへ向けていた視線を横にずらし、その一歩奥に控えているロウを見る。と、彼の言葉と動きがピタリと止まる。静止して数秒。

「あっはははは、なんですか、その格好。君、男じゃないですか、てっきりメイドさんだとばっかり思っていましたよ。びっくりしたー」

 ルイスは屈託なく笑い出した。

 メイドであるロウの姿を初めて見た者は皆、例外なく驚く。ロウを連れ出している張本人であるエヴァンは、彼らが驚く表情をもっとも多く、間近でみている。しかし、ここまで素直な反応をした者は初めてだった。

 大抵の者は、驚きに目を見開いてロウを凝視した後は、見てしまったことに対し、申し訳なさそうに視線を逸らすのだ。そして、エヴァンと会話を続けながら、また時折ちらちらとロウを見る。そういう、気にかかっているが直接問うのは憚られるといった、控えめな反応である。

 だがしかし、ルイスは疑問も好奇心も、抱いた感情のいっさいを隠そうという気がないようであった。

 見方によっては失礼にも感じられる態度だったか、エヴァンは逆に好感を抱いた。理由は、ルイスの反応に、悪意を含んだところがなかったというのが大きい。

「これは確かに男ですが、れっきとした俺のメイドで、ロウ・レナダと申します」

 エヴァンは微笑みを浮かべ、ごく自然にロウを紹介した。ロウはその紹介に合わせ、軽く頭を下げる。

「え、本当にメイドとして雇っているんですか? なんで男をメイドに? ロウくんはその服を着てどういう気持ちなんだい? ああ、聞きたいことがたくさんあって長くなってしまいそうだ。立ち話もなんですから、さっそく移動しながらお話しましょう。ははは、面白いなぁ。やはりここに来てよかった」

 ルイスは瞳を輝かせながら、そう早口で捲し立てる。

 エヴァンとロウは、そんなルイスの様子が逆に興味深く見えて、お互いに顔を見合わせた。

 ロウは今までの人生で、一度も賢者を見たことがなかった。エヴァンは以前王都を訪れた時に、何人かの賢者と会話を交わしたことがある。しかし、その会話もあくまで表面的なものであり、彼らの人となりを知れるようなものではなかった。

 ルイスの様子を見て抱くのは、賢者とは皆このようなものなのだろうか、という感想である。それほど、ルイスは他の者とは違う、独特の雰囲気を醸していた。

 二人は促されるままに馬へ乗り、ユレイトの中心部目指して、来た道を戻り始める。ルイスの横にはエヴァン、その後ろにロウとミカが続くという並びである。

「実は俺も、お聞きしたいことがありまして」

 馬に乗って歩き始めてすぐ、問いかけたのはエヴァンの方だ。

「うん? 何でも聞いていただいて構いませんよ」

「前回、町の教会にシスターをお招きした時は、賢者の方の付き添いはありませんでした。今回ルイス様がいらしてくださったのは、ミカ様と親交が深いからなのでしょうか」

 エヴァンの言葉に目を丸くした後、ルイスは誤解を払拭しようとするように手を振った。

「ああ、違いますよ。私はミカくんの付き添いで来たわけではありません」

「付き添いではないというと、何かご用事が?」

「私自身が、こちらの教会に赴任することになったんです。ただ私は一人で生活できないので、ミカくんについてきてもらいました。彼は私の補佐というところでしょうか」

 目を丸くするのは、今度はエヴァンの番だった。

「そんな、まさか……こんな辺境の教会に? 賢者とは王都から離れぬものでは?」

「通常ですと、そうですね。どの領地であれ、賢者が教会に赴任することはありません」

 ルイスは一度そこで言葉を区切り、改めてエヴァンの瞳を見返した。

「ただ、飽きてしまって。王都での生活に」

「……はあ。そうですか」

 つい適当な相槌を打ちながら、エヴァンの口は無意識のうちに開いていた。そして、エヴァンはいまの何とも言い難い感情を、最近別の場面でも感じたことを思い出す。

 それはギルバートから、ロウがどうしてもメイドになりたがる理由を聞いたときだ。「メイド服が好きだから」という理由のとんでもなさと、ルイスの言いようにはかなり近しいものを感じた。

 エヴァンの表情からどういった感情を読み取ったか、ルイスは慌てたように補足する。

「ああ、ご心配なさらずとも、当然、法王の許可は取ってありますから。後々文句を言われたり、私が王都に連れ戻されて、代わりの聖職者を呼ばないといけなくなったりということはありませんよ。末長くこちらでお勤めを果たすつもりで来ていますし、教会での仕事がどのようなものかはわかっています。迷惑はおかけしませんから、ご安心を」

「いえ、そのような心配はしていませんでしたが。しかし、許可は取ったということは、ルイス様自ら、こちらへ赴任することに立候補? いただいたのですか?」

 ルイスは中性的な顔立ちに微笑みを浮かべ、こくりと頷く。

「このユレイト領へ、新たに聖職者を送ることになったと聞きましてね。私に行かせてほしいと、法王様に直談判しました。先ほども申し上げた通り、王都に飽きたというのが、まあ、一番の理由ではあるのですが……あなたの噂を聞いていたのですよ。それこそ、この目で見ているかのようにね」

 微笑みの表情を保ったまま、ルイスの銀色の瞳がきらりと光る。

「俺ですか?」

「ええ。名領主であると」

 ルイスの言葉に、エヴァンは小さく声を漏らして笑った。世辞を交えた、ルイスの冗談だと思ったのだ。

「耳に心地よいことを言っていただけて、ありがたい限りです」

「おや、ご存じではない? ユレイトの名領主エヴァン様。王都では有名な話ですよ。賢者は何も日がな一日、本に齧りついて過ごしているわけではありません。国中の情報を集め、どの領がどのような状態にあるのか正確に把握して、問題があれば対策を考え、法王にお伝えするのが我々の本来の役目。当然、各領主の話には敏感になる」

 本気で話しているのだとわかるルイスの声のトーンに、エヴァンは目を瞬かせた。

「しかし、俺が噂になる理由がわかりません。俺は一〇年前にユレイトに来てからというもの、毎年の冬の遠征を除いて、ユレイトを離れていません。やっていることと言えば、領主として当然のことくらい。それにユレイトは国の中でもっとも小さな領地ですからね。そこで起きる問題も、特段大きなものはありません」

「やるべきことを当然のように行うというのは、存外難しいことです。特に領主は、領地において最高権力になりますしね。やろうと思えば誰の目を気にすることもなく、好き勝手できてしまう」

「そういうものでしょうか」

「そういうものですよ」

 ルイスはのんびりと応える。しばらく馬で進むと、草原の中に次第に民家が増え始めた。民家が増えれば当然、そこで働く農民たちの姿も見える。

 道を行く領主と賢者の姿に気づいた民たちは驚きの表情を浮かべ、皆一様に脱帽して、深々と頭を下げる。子供たちは大人とは対照的に、歓声をあげて手を振ってくる。

 ルイスは柔和に微笑み、彼らに手を振って応えた。

「民の姿を見れば分かります。この荘園は、実に健全に運営されている。やはり来てよかった。ねえ、ミカくん」

 そう言ってルイスは後に続くミカに声をかけたが、ミカは返事をするでもなく、無表情のまま進行方向を見据えたまま、無言を貫いていた。

「ミカ様はユレイトに来たことに、何かご不満があるのでしょうか?」

 そんなブラザーの様子に、エヴァンは小声でルイスに問いかけた。しかしルイスは笑い声を漏らしながら首を振る。

「いやいや、あれが彼の平常運転ですよ。無愛想で無口ですが、怒っているわけではないのでご安心ください。ミカくんが笑っているところは、付き合いの長い私も見たことがないくらいで」

 ルイスはそこで一度言葉を切り、ところで……と話を続ける。先ほどの好奇心に満ち溢れた瞳の輝きが戻ってきた。

「ロウくんをメイドとして雇うことになった理由といきさつを、ぜひお聞きしたい」

 それから、エヴァンはギルバートから聞いていたロウを雇うまでの話と、自身とロウのやりとりについてなどを、ひととおり話した。しかし、そこからルイスの質問が延々と続いた。

 結局、一行は目的地であるミレーニュ村に到着するまで、ロウの話題を話し続けることになったのだった。

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