「ひおんほほうしゅえあうほ」 -3-

 小柄なバイオレットの、父であるイライジャもまた小柄である。横に並んで立ってみたとすると、彼の身長はエヴァンの肩のラインよりも低い。

 豪華な刺繍をふんだんに入れたフロックコートを身に纏い、鼻下に生えている整った髭をいじりながら、そのイライジャは今、邸宅の中を徘徊していた。

 無遠慮にあちこちの部屋を見て周りながら探しているのは、バイオレットが言う通り、エヴァンが新しく召し抱えたというメイドであった。イライジャは、一階の廊下に並ぶ扉をしらみ潰しに開けては、気分で部屋の中にまで入って探すということを繰り返す。

「んー、ここにもおらんのか。なかなか見つからんなぁ」

 一階の全ての部屋を見終わり、独り言をぼやく。しかし、その人相の良い丸顔に浮かぶ表情は、徘徊を始めたときから変わらず、楽しげなものだ。

 イライジャは、途方もない女好きであった。どんな娘だろうかと想像しながら新しいメイドを探す旅は、イライジャにとって非常に楽しいものだったのだ。

 と、エントランスまで戻ってきた彼の耳に、女の話し声と、絨毯に吸収される控えめな足音が届いた。視線を上げれば、階段の先の二階に、ヒラリとメイド服の長いスカートの裾が揺れたのを捉える。

「おほっ」

 イライジャのテンションが上がり、また、あげた声も一段高くなる。彼は弾む足取りで階段を上り、スカートの裾が消えていった方へと向かった。

「では花の部屋をお願いしますね。私は白の部屋をやりますから」

 廊下の先から、リリーの声がしてくる。イライジャは廊下の曲がり角に身を隠しながら、そっと、声のする方を覗き込んだ。二人のメイドがそれぞれ別の部屋へと入っていく様子を見届け、足音を消しながら廊下を進む。

 手前の部屋は、先日ロウが試験で掃除をした、白と金で揃えられた客室だ。部屋の中を覗き込めば、中にはリリーがおり、掃除とベッドメイクを行っている様子が見えた。

 邸宅にたびたび訪れているイライジャは、もちろんリリーのことは知っている。

 リリーは可愛らしい見た目をしているため、イライジャも彼女に、たびたびちょっかいをかけている。そのたびに、ロウの前任者であるマリアンヌにみつかり、咎められた過去があったりする。

 しかし、今のイライジャの目的はリリーではない。初々しいはずの、新しく入ったメイドだ。

 イライジャは女好きの上、新しいもの好きでもあった。

 抜き足差し足廊下を進み、リリーのいる部屋を通り過ぎて、隣の部屋を覗き込む。そこに、ベッドの方へと屈み込み、ベッドメイクに勤しむメイドの姿があった。

 室内は、花柄のインテリアで統一されている。淡いピンクの地に、大小さまざまな花のあしらいが施された部屋は可愛らしさに溢れて、その中にいるメイドの姿をひきたてている。

 イライジャの心臓は跳ねた。まるで恋を覚えたての思春期の少年のように、トキメキを抱えながら部屋の中へと入っていく。

 音を立てないように後ろ手でドアを閉め、そのまま、足音を殺してメイドの背後へと近づく。

 背後から抱きつくか、いっそベッドに押し倒してしまおうか。メイドが可愛らしくあげる悲鳴を想像すると体が熱くなり、イライジャは自然と舌なめずりをした。そうして、腕を広げてガバリと抱きつこうとした時だった。彼はふと違和感を覚える。あれ、このメイド、わたしの背が低いとはいえ、やたらと大きいな、と。

 その違和感が解消される間もないまま、イライジャの体は宙を舞った。

 世界がぐるりと一周し、背中からしこたま床に叩きつけられる。

「うぐおっ」

 胸の奥から、押しつぶされた声が出た。背骨から痺れが広がり、身動きも取れないまま、さらに腕と体を抑えつけられる。床に顔を押し付けられ、視界を奪われた上に、もはや指先以外どこも動かせない。

「貴様、どこから入ってきた」

 頭上から、低い男の声がした。イライジャは貫禄を持って応える。

「ふにお、ふにふは、ひおんほほうしゅえあうほ」

 ちなみに今のは「何をう、わたしは、リオンの領主であるぞ」と言ったのだが、もちろん誰が聞いても意味不明な発言となっていた。床に顔を半ば埋めながら、ピクリとも動かない体に力を入れて、フゴフゴと鼻息を荒くする。

 イライジャの体を抑えつけている力は全く緩まないが、その数秒後、小さな悲鳴が聞こえた。

「ロウさん、何をしているのですか」

 リリーの声だ。

「こいつが襲いかかってきたから捕縛した」

「ともかくすぐに離してください。その方はリオンの領主様ですよ」

 状況は何もわからないものの、聞こえてきたリリーの言葉に、イライジャは全力で頷いた。実際には、唇が尖ったり凹んだりを繰り返しただけであったが。

 しかし、イライジャの体を押さえ込む力はいっさい緩まない。

「その方は、ご主人様のお客様です、ロウさん」

 リリーが言葉を付け加える。すると、ようやく体が解放された。イライジャは慌てて体を起こし、床の上を、ずりずりと尻餅をついた状態で背後へと移動する。本当は走って逃げたかったのだが、しこたま打ち付けた背中と腰が痛んで、立ち上がることができなかったのだ。

 自分を抑え込んでいたロウの姿を改めて真正面から見つめ、イライジャは驚きのあまり、あんぐりと口を開けた。

 ロウはイライジャを抑えていた体勢からあまり動かず、いわゆるヤンキー座りという格好でしゃがみ込んだまま、彼を睨め付けていた。いつもどおり、黒の短髪に白いヘッドセットをつけ、足先までばっちりメイド服を着こなしている。

 ロウの整いすぎている顔立ちにより、その姿はよく似合っているのだが、やはりどう見ても男である。

「こ、この、変態!」

 イライジャが叫んだ。

「どっちが変態だ。突然、背後から抱きつこうとしてきたやつに言われたくねぇわ」

 ロウは憮然とした表情で言い返す。

「はじめからお前が男だと知っていれば、だ、だ、だれが貴様など抱こうとするものか。紛らわしい格好をしおって」

「女を襲おうとしてたんなら、なお悪いじゃねぇか。開き直んな」

「ちょっとロウさん、駄目ですって……イライジャ様、大変申し訳ありません。お怪我はありませんでしょうか」

 息つく暇も無く始まった二人の口喧嘩の間に入り込み、リリーは床に膝をつくと、イライジャの腕に手をかけ、その体を引き起こそうとする。だが、イライジャは足をバタバタとさせて再度叫んだ。

「痛い痛い痛い! 絶対にどこかが折れておる」

「骨を折るようなことはしてねぇよ」

「貴様のような下賤の者には、わたしのような高貴な者の、繊細な体のつくりなど解らぬのだ!」

 口を挟んだロウを、イライジャは床に座り込んだまま、地団駄を踏むように足をばたつかせて睨む。

「人間の体のつくりに、身分は関係ないだろ」

「あるに決まっておる。わたしは子供の頃から、剣を持ったことすらないのだぞ」

「領主のくせに、自分の怠惰を誇るんじゃねぇ」

 また始まったやりとりに、リリーは途方にくれてため息を漏らす。その時。

「いったい何事だ」

 腕にぶら下げるようにバイオレットを伴って、騒ぎを聞きつけたエヴァンがやってきたのだった。

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