「ひおんほほうしゅえあうほ」 -2-

 応接間はその性質上、一階のエントランス横にある。庭に面した壁には足元まである広々とした窓が設けられており、座り心地の良い布張りのソファがいくつも設置された、明るく心地の良い空間だ。

 ノックをしてから扉を開けて応接間に入ったエヴァンを迎えたのは、バイオレットの不自然に高い声音だった。

「エヴァン様、お帰りなさいませー」

 自分の邸宅で、なぜか客人から「お帰りなさい」を言われるという不思議な状況に、エヴァンは続ける言葉を見失った。

 バイオレットの歳は二二。小柄で華奢な女性で、ピンク色の豪奢なドレスを身に纏い、栗毛色の長い豊かな髪を巻き、リボンで飾っている。ソファから立ち上がったバイオレットは、胸の前で手を組みながら、トトトッと可愛らしい歩き方でエヴァンのそばへとやってきた。

「エヴァン様がゴブリン討伐遠征からご帰還なされたと聞き、私、いてもたってもいられなくなってしまいまして」

「あ……ああ、そういうことでしたか。遠征は特に問題もなく、今年も役目をまっとうすることができました。お待たせして申し訳ありません」

 バイオレットの言葉の意味を理解し、エヴァンはようやく頷く。ついでに、本来は扉を開けた時に自分から言うはずだった言葉を付け足しておく。

「さぞやお疲れでしょう? ささ、どうぞお座りになって」

 エヴァンの返事に、間を置く事なく言葉を返すバイオレットは、そう言いながらエヴァンの手をとり、先ほどまで自分が座っていたソファへと促した。

 断る理由もなく、エヴァンは導かれるままにソファへと座る。すると、当然のように手を握ったまま、バイオレットもまた横に座る。彼女が妙に体を密着させてくるため、エヴァンは肘掛けギリギリの行けるところまで腰をずらし、背をのけぞらせることになる。

 応接間の中に視線を巡らせても、他の人影は見当たらない。

「イライジャ様はどちらに? 今日はイライジャ様とバイオレット様が、揃ってお越しになったと聞いていたのですが」

「父は先ほど、散歩をすると言って部屋を出ていきましたわ」

「散歩、ですか? 庭にいらっしゃるのでしょうか」

「知りませんわ。んもう、父のことは、お気になさらずともよくってよ」

 まるで自分だけを見てくれと言わんばかりに、バイオレットはドレスと同じピンク色の唇をツンと尖らせる。

 しかし、突然やってきた客が、一度も会わずに自分の邸宅で行方がわからなくなっていて、気にするなというのも無理な話だ。

 エヴァンは窓から庭の様子を見るため立ち上がろうとしたが、バイオレットはエヴァンの手を離しはしなかった。エヴァンが腰を浮かしかけたところで、バイオレットが強くその手をひく。小柄な体の、いったいどこから出てきたのかという力で引き寄せられ、エヴァンはうっかりと体勢を崩した。

 慌ててソファの背もたれに腕をつくが、その体勢は、まるでバイオレットを、己の腕と胸の中に囲い込もうとするかのようなものとなる。

「これは、失礼を」

「いいえ、構いませんのよ、エヴァン様。どうぞいらして」

「どこにですか?」

「ふふふ、エヴァン様ったら、私に言わせたいのですか?」

「いえ、結構です。申し訳ありませんが、その手を離していただけませんか」

 エヴァンはすぐさま体を引こうとしたが、この好機を逃すものかとばかりに回されたバイオレットの腕が、エヴァンの腰を掴んでいた。ちなみに、先ほどから握られている手もそのままである。

 助けを求める声を上げるわけにもいかずに静かな攻防は続き、エヴァンは強引にはならない範囲で、なんとかバイオレットから体を離した。できれば彼女とは違うソファに座りたかったのだが、離れすぎるとまた後を追いかけて来られそうだったので、同じソファに座り直す。

「今アフタヌーンティーの準備をしておりますから、半時ほど、もう少々お待ちください」

 意図せず乱れかけた服装を整えながら、エヴァンは話を変える。そして、ギルバートからの忠告に感謝していた。バイオレットは可愛らしい容姿をしており、一目にはなんら問題のない令嬢なのだが、この妙な押しの強さだけはいかんともし難い。

「あら、私たち、ちょうどアフタヌーンティーが始まるお時間に来たつもりだったのですけれど。読みが外れてしまいましたわ。エヴァン様はいつも何時にアフタヌーンティーをされるのですか?」

「俺は普段、アフタヌーンティーをする習慣はありません。俺自身、その空いた時間で荘園の仕事をよりこなすことができますし、使用人たちも、彼らの仕事を片付けることができますから」

 エヴァンとしてはごく当然のことだったのだが、バイオレットは元から丸い瞳を、驚きの感情を表していっそう丸くした。それから眉をキュッと寄せる。

「まあ、なんてお可哀想なエヴァン様。アフタヌーンティーができない生活なんて、私考えられませんわ。私がずっとエヴァン様のお側にいられたたら、毎日欠かさずにアフタヌーンティーを用意するように、使用人たちに言いつけて差し上げますのに」

「いえ、俺がアフタヌーンティーはしなくて良いと、指示をしているのですよ」

「ええ、そのお気持ち良くわかりますわ。やはり女主人がいないと、女の使用人は扱いにくいですわよね」

 話が通じているようで通じていない。

「……と、いうわけで。アフタヌーンティーが始まる前には、イライジャ様もお戻りになられると良いのですが」

 エヴァンは諦めて無理矢理話を元に戻すことにした。何が『と、いうわけ』なのかはエヴァン本人もわかっていない。

「メイドが気に入らなければ、すぐに戻ってくると思いますわよ。気に入ったら、多少はかかるかもしれませんけれど。まぁ、父の分も私がいただいてしまいますわ」

 バイオレットの口から突然出てきた『メイド』という単語に、エヴァンは首を傾げる。

「メイドがどうかしたのですか?」

「新しいメイドを雇われたのでしょう? エヴァン様が遠征されている時に、ユレイト領内に、メイド募集のお触れを出されていたと聞いておりますわよ。父は、どんな娘がやってきたのかと、気にしておりましたの。どんな女が新しくエヴァン様のお側に仕えるようになったのか、私も気になっておりましたわ。私との相性も重要になりますでしょう?」

「そう、でしょうか……」

 他人の邸宅にどんなメイドを雇ったかなど、本来気にする必要もないはずのことだ。エヴァンは目の前のバイオレットの言葉を適当に流しながら、新しいメイドを気にして『散歩』に出たというイライジャの行方に意識が向かった。

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