第5話 戦う人と

 落ち着いてきたところで馬小屋に向かった。ここの馬小屋には見事な白馬がいる。もとは将軍が乗っていたとか言うのだが、誰も世話をする人がいなくなっていたのを大隈が引き取ったという話を聞いた。この馬もなんでここにいるだろうと、思ったりするのだろうか。似たような境遇なのを知ってか、この馬は自分に優しいと思う時がある。なでてると大丈夫だという声が、聞こえる気がするのだ。


 広間に戻ると、綾子がお茶の準備をしていた。

「武ちゃん、お茶にしましょ」

「はい、ありがとう」

 武子は続けて言った。

「昨夜はいつもよりも大変かもと、お話だったのでビクビクしたの。でもそれほどでもなくて良かった」

「本当に。ところで武ちゃん、これから先、どうなさるの。急かしたりするつもりじゃないのだけれど、少し突っつかないと、落ち着かれてしまいそうだから」

「まだ少し、お世話になるというのは無理かしら。あまりすぐに新田の地に帰るのも気が重いの。しっかり考えないといけないのは、わかっているのだけれど」

「それは大丈夫、問題ないから。私もお話相手がいると楽しいし」

「ありがとう、綾ちゃん」

 綾子としては、このむさ苦しい男がたくさんいる状況で、娘が住んでいるということが、少し気にかかっていた。これ以上悪い虫を付けないようにしなくては。

 夕暮れ間近になると、また騒がしい夜がやってくる。この夜は少し特別になっていた。


 大隈が帰ってきて、夕食をとったところはいつもどおりだった。少し酔っ払っていた井上がやってきて、一人で庭の見える場所で飲みだした。しばらくすると、伊藤博文がやってきて、大隈と共に井上を囲んで飲みだしていた。


「大村さんの立てたプランをもとに兵制を整えておる。それで奇兵隊や諸隊の整理をすることになったんじゃ。ここらへんはわしや木戸さんが献策して、国に居る杉辺りが実行してくれてるはずじゃった。だが奇兵隊や諸隊の連中は、殿や藩に忠義があるわけではないし、士族との差に不満も多く持ってるんじゃ。それは四境戦争のころから十分わかっておった。しかしまさか、兵たちが脱隊して、反乱を起こすなどと。面倒なのはあいつらは戦なれしとることじゃ。戊辰戦争にも出したからの」

 井上が東京に来た原因を話し出していた。

「それで木戸さんはなんて」

 伊藤が尋ねた。

「木戸さんは、大阪の兵部省の兵学校の部隊を、山口に差し向けてほしいといってるんじゃ。そのための手続きをわしにしてこいってな」

「それは大丈夫だ。すぐに送れる」

「わしは干城隊を動かして、すぐに鎮圧すれば良いと思っていたんじゃが。木戸さんは正式な手続きに、こだわっておってなぁ。喧々諤々している内に、大久保さんが下関に来てしまって。わしの案は詰んでしまった。あいつらの反乱など、首謀者の大楽とかを潰せば烏合の衆じゃ。なんとかなると思うたのになぁ」

 最後は愚痴になっていった。心のなかにわだかまりがあって、何かと戦っているようだった。

「この乱は前原さんは送れぬから、おぬしと木戸さんに、頑張ってもらうしかないのである」

「あぁ、前原さんは東京から動かぬよう、三条公にもご協力いただいたのじゃ。前原さんは奇兵隊と諸隊に、良くも悪くも影響力を持っとるからの。強硬手段に反対されるのは、もっと面倒じゃ」

「聞多、僕の家でゆっくりしないか。ここは人が多いじゃろ」

「大丈夫じゃ。わしはあの長屋でどうせ一人で寝ておるんじゃ…。すまぬ、一人にしてくれないか」

「聞多、僕は君がそんな様子じゃ…」

「大丈夫じゃいっとるだろ。うるさい。帰ってくれ」

 井上が急に大声を出し始めた。大隈が伊藤に話しかけていた。そうして伊藤も思い直したようだった。

「わかった、僕も帰る。山口に帰る前にかならず声をかけてくれよ」

 帰る姿の伊藤が、ものすごくつらそうだったように、武子には見えた。


 感情の起伏の激しい井上が気になった。武子はとりあえず、湯呑に水をいれて持っていった。

「こちらをどうぞ、お水です」

「おぬしは、この前のおひいさんか。すまんな」

 井上が笑おうとしたが、流石に元気はない。

「あっあの…」

 武子は何も言わずに、下がるしか無かった。

「大隈様、井上様は」

「馨は大丈夫じゃ。武さんが心配することじゃなか」

 広間の皆が引き上げたのを見て、井上が大隈と相談を始めた。

「明日兵部省で兵を動かす許可が出たら、その足で横浜に向かい一番早い船で山口に向かう。俊輔には会う暇がないので変わりに謝ってほしい」

 そう言われると大隈もわかったというしかなかった。これは伊藤に恨まれるな。


 話のとおり進んで、井上馨は山口に向かった。この長州の脱隊騒動と言われる反乱は、このとき大阪から派遣された兵と、木戸が立て直した常備兵によって制圧された。

 しかも井上が山口に着いたときにはすべて終わっていた。反乱兵の殆どが斬首となるが、首謀者の大楽は逃亡する始末で、あまり良い結末とは言えなかった。


 そして、復命のため東京に馨は戻ってきた。首謀者の逃亡もあって、捕縛のための使者と軍を出すことに、意見を求められていたのだった。

「馨、用の済むまでここで暮せばいい」

「そりゃええ。あのおひいさんのいる家に、暮らせるのは楽しそうじゃ」

 そう言って井上は綾子と武子の方を向いて笑った。その様子を見て、大隈は固まっていた。

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