凛と花咲くには 〜武子の恋〜

瑞野 明青

目覚めの刻に

第1話 駆け出す姫君

 少し小高い丘を馬を駆けらせていた。風が気持ち良い。ここから、見下ろす眺めが好きだ。田畑が続き川も見ることができる。家から煙が見えるのは、人々が生活をしていることだという話を聞いた。それに高い山も遠くないところにある。

「姫様、お待ち下さい」

「仙之助、そなたがのろいのであろう。仙之助を待ち受けては何もできぬ」

「たしかにおまたせしました。しかしお供はわたしの御役目です。だから、姫様は私と一緒に、お願いします」

「わかりました。あぁ確かにそうでした。それでじゃ、父上はいつお戻りになるのですか」

「そう、たしか3日後であったはず。そうしたら、つぎに殿が江戸に御出になるときには、姫様もご一緒されるのでしたね」

「江戸は楽しみです。今まで知らなかったことを、理解することができそうです」

「このようなお転婆、許されなくなりますが」

「どこに行っても、私は私です」

「姫様、よろしいですか。帰りましょう」

「わかりました」

 武子は来たときと同じように、馬を駆けらせ、仙之助を置き去りにして、屋敷に帰った。

「戻りました」

「あの、姫様。仙之助は」

「まだですか。そのうち着くでしょう」

 凛とした立ち姿と、聡明さがわかる目の輝きに、誰もが目を引かれていた。そして、幼い頃から馬に乗るのが好きで、誰もが認める乗り手でもあった。武家の娘としては当然と言うか、勝ち気さを紛らわすために始めた、薙刀なぎなたや剣もかなう人は限られる腕前だった。


「武子姉上。お帰りですか。私の手習いを見てくれませんか」

「あら、ずいぶんうまくなったものね。誠丸さん、その書の筆さばき、丁寧で勢いもある」

 そんな風にあれこれと切り回していると3日はあっという間に過ぎた。

「殿様のお着きでございます」

 先触れが屋敷について、声を上げる。武子は誠丸を座敷に座らせて、父の来るのを待ち受けた。

「誠丸と武子か、おとなになったな。今戻った」

「父上、おかえりなさいませ。お戻りをお待ち申し上げておりました」

 武子は長女として、父に挨拶をした。

「うん。これは、江戸の土産じゃ。好きなものをとるといい」

「ありがとうございます」

 二人は、父親の前を下がって、土産物を見定めていた。

「姉上、これをください」

 筆と読み本を誠丸は持っていってしまった。あとを見ると古典の本が残っていた。これは、古今集。そういうものを自分も読むべきだと思った。他に残った父親の見立てた女物は、若竹色の絞り模様の反物と銀のかんざしで翡翠ひすいがついている物だった。凛としたと言われる武子に似合うものだが、本当の希望を言えば淡紅色や桃色のかわいらしい花柄がいいのに。


 年が変わり、武子と誠丸が父とともに江戸に向かう日がやってきた。自分の愛馬を連れていけるかと父親にねだったが、姫が江戸に入るのに乗馬で入る訳にはいかないと言われてしまった。途中まででもいいし、その後は引き連れていけばいいだけのことと言い張った。

「父上、どうせ、参勤交代の正式な支度は江戸に入る直前でございましょう。なれば、私が馬に乗って途中まで行くのはなんの問題も無いのでは」

「たしかにそうであるが、そなたは『姫君』であることを失念しないで欲しいぞ」

「分かりました。きちんと姫になってみせます」

 無事、わらびに入ると着物を変えて姫様として、武子は江戸の屋敷に向かった。旗本寄合はたもとよりあい岩松家と言っても、100石と少しでは体面を整えるのはかなり無理で、江戸の入る直前に行列に仕立てるのだった。そして、江戸の屋敷に入るとすぐ解散させていた。


 武子は江戸の屋敷で、しばらく大人しくしていた。思い立って三枝の屋敷に遊びに行こうとおもった。ここには親しくなっていた、同い年の綾子がいた。

「綾ちゃん、本当にお久しぶりです。なにかお土産と思ったのだけど、面白いものがなくて、ごめんなさい」

「そんな気を使わないで、武ちゃん。二人でなら、いろいろなところに遊びに行けるし、楽しみだったの」

「たしかにそうね。大人しい姫様なんて、似合わないもの」

「ただ、黒船の騒ぎから町の様子が変わってしまって、危ないと言われているの。でも、武ちゃんが一緒なら大丈夫。とりあえず、甘味屋さんに行ってみない」

「そうね。行ってみよう。幸い私は地味な着物で来たし」

 そう言って、武子は綾子と日本橋の方へ行ってみた。

「なんか、本当に江戸に来たと言う感じがするの。こんなにお店が並んでいるなんて、新田の田舎ではみない光景だもの」

「ここよ。入りましょう」

「そうだね。思い出した」

 二人は甘味屋に入っていった。

「あんみつでいい? あっ、あんみつ2つください」

 綾子が店のものに声をかけて、あんみつを頼んでくれた。

「本当に、美味しい。なんか、幸せ」

「よかった、武ちゃんの笑顔、本当にホッとする」

「何かあったの」

「うん、御公儀ごこうぎの動きなんだけれどね。また戦があるかもしれないの」

「えっ戦って」

「長州を攻めるとかで、大阪に陣を張るらしいの」

「まあ、大変ね」

「家は関係無いようで、良かったのだけれど」

「そうだったの。江戸に来ないとわからないことが多いのね」

 武子には少し難しい話だったけれど、戦というものが近づいてきている気がした。

「女子の身にはどうかしら。そう言っても縁談とも関係もあるのかしら」

 綾子は不意に縁談という言葉を使った。

「縁談かぁ。そういう年頃なのね」

「武ちゃんは気にならないの」

「気にならないかと言われると嘘になるけれど、周りにも何か恋とかの感じって無い気がして。親が決めた相手に、そのままと言うのは、多分無理。それならきっと、このままじゃないかなぁって思うの」

「武ちゃんは自分よりも、強い人が現れたらきっと変わるのよ」

「そうかしら。綾ちゃんに言われるとそんな気もする。って、綾ちゃん縁談お有りなの」

「そんな訳ないでしょ」

「よかった。せっかく江戸に来たのに、綾ちゃんがお嫁に行ったらつまらない」

「ふふふ、そうね」

「あぁ、美味しかった」

「それじゃぁ、帰りましょうか」

「そうね」

 そう言って、綾子の三枝家に寄って、武子も家に帰った。そんな風に、時々家を行き来する楽しい日常があった。


 しかし、そういう日常に変化が忍び寄っていた。将軍徳川家茂が大坂で逝去された。長州を征討している最中のことだった。新しく一橋家から将軍になった慶喜は大阪や京で色々やっているようで、江戸に戻ってくる様子もなかった。

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