結実 その二十五 最終話

「ヒントはあったろう?」

「……ヒント?」

「そうだ。例えば君のお母さんとお姉さんの名前とか」


 母は由実、姉は実咲。


「敷島本家の女は「実」の字が付いてる。一方、君の名前は瑠璃だ」

「でも、それだけじゃ……」

「それじゃあDNA鑑定の結果でも見るかい? 僕はこの事実を確かめるために、君と付き合っているとき、内緒で検査したんだ。僕と君が実の兄妹である確率は遺伝学的にほぼ間違いないことが証明されているよ」

「そ、んな……」


 しかし、あの白昼夢。どちらも黒田巴のものだとしたら、この不思議な縁は血によるものなのかもしれない。


「……そんなことのために、お姉ちゃんも、郁人さんも巻き込んだの?」

「そんなことのため?」


 槙島の声は、恐ろしく冷たいものだった。


「そんなことだと? 朝起きたとき僕の指が震える訳を、雑踏を歩くときポケットに突っ込んだ手が震える訳を、今、こうしている間も実の妹であるお前のその首を締めあげたいと本気で思う訳を、このどうしようもない殺人衝動のわけを知りたいと思うことがそんなことだと? お前には死ぬほど人間を殺したいと思ったことがあるか!」


 槙島の悲痛な叫び声がこの広い祭場にこだまする。


「僕はこの殺人衝動の理由を知るためならなんだってできた。お前の親友の子だって殺したし、お前に暗示をかけて姉を僕の元に来るように仕向けた。あの旦那が自殺した件だって当然僕が裏で手を引いていた。お前の姉を誘拐しやすくするため、旦那には浮気を疑ってもらったんだよ。仲違いすればそれで充分だったが、存外心の弱い人間だったみたいで自殺しちまったけどな。それから、お前のなかにクチナシ様の存在を強く植え付けるため、自分すら殺した! それも全部全部、この手が震える訳を知るためだ!」


 槙島は両手で顔を覆う。その指先は異常なほど震えていた。


「……もう、いい。おしまいにしよう。俺は結局この手の震えの訳は分からなかった。だったら、せめてこの手の震えを止めるために、お前を殺すよ」


 槙島はゆっくりと腰かけてた祭壇から立ち上がる。


 その目は何の感情も灯していない。恐怖も、怒りも、愉悦すら。ただ、無だった。


「やめて……」


 命乞いなど、今更何の意味もないことは分かっていた。しかし、目の前に迫る死の恐怖にあらがうことは出来ない。


 めちゃくちゃに力を入れて椅子から立ち上がろうとするが無駄だった。全身に縄が食い込む。


「いや! 来ないで!」


 槙島はゆっくりと近づいてくる。


 恐怖で胃がひっくり返りそうだった。


「いやああああああ!」


 次の瞬間、後頭部に強い衝撃を受け、意識が遠のく。痛みで眩む目を必死で開けると、闇が広がっていた。先ほどまでまぶしいほど見えていた蝋燭の光はなかった。


 すぐ近くで足音がした。


「やめて! お姉ちゃん……」


 私は必死で『助けて』と叫ぼうとした。しかし、声が出なかった。冷たい感触が首回りにまとわりついている。それは、徐々に私の首を締めあげていった。


 槙島の洞穴のような二つの目が私を覗き込んでいる。


 意識が遠のく。


 ――お姉ちゃん。助けられなくてごめんね。


 死を覚悟した瞬間、肺いっぱいに冷たい空気が満ちた。呼吸ができるようになっている。


 不思議に思って目を開けると、目の前の槙島の顔が歪んでいた。なんの感情も持ち合わせていなかった彼の顔が今は苦悶に歪んでいる。


 ゆっくりと槙島の顔が近づいてくる。咄嗟に私は首を捩じってそれをよけた。


 どさりという重たいものが地面に倒れ込むような音がした。どうやら私はいつの間にか椅子ごと倒れ、槙島に覆いかぶさられていたようだ。


 何が起きたか理解できず放心し、ただされるがまま天井を眺めていると視界に姉の顔が現れる。その手には私がタクシーの運転手から貰い受けたあの懐中電灯が握られていた。それには槙島のものと思われる血が付いていた。どうやら後ろから殴りつけたらしい。


「瑠璃!」


 姉のその顔色は真っ青だったが、確かに生きていた。


 生きてる。今度こそ間に合った。


 私は声もなく、ただ泣いた。


 姉は私に覆いかぶさっているままの槙島をどかし、椅子に縛られたままの私を抱き起した。


 姉の腕で強く抱きしめられる。


「瑠璃ぃ! よかったよぉ!」


 それだけで、私は今まで生きてきてよかったと思った。


「お姉ちゃん。全部終わったよ……」


 姉は泣きながら頷いた。


「ねえ、お姉ちゃん」

「どうした?」


 姉は私を離すと肩に手を乗せ、泣きはらした目で私の顔をまっすぐ見つめた。


「私とお姉ちゃんが血がつながってなかったとしたら、どうする?」


 姉は一瞬驚いたような顔をする。しかし、何か納得したような顔で小さく頷いた。


「馬鹿ね……それでもあんたは私の大切の妹よ」


 姉はもう一度抱きしめてくれた。


「私、お姉ちゃんの妹で良かった」


 その言葉が自然と口からこぼれた。


 姉は、ただ泣きながら何度も頷いてくれた。


「瑠璃、一緒に帰ろう」


 私は小さく頷いた。


 私はクチナシ様の像を見上げる。その恐ろしい顔は暖かい色をした光に照らされていた。それは、日の光に違いなかった。どうやら、この祭場には明かり取の窓はあるらしい。


 日の光に曝されたクチナシ様の顔は、やけに作り物っぽく、そして安っぽく見えた。


 真実などこんなものだと私は心の中でつぶやいた。

 

 徐々に祭場に光が満ちていく。


 それは夜明けに違いなかった。


                         梔子の実が開くとき(了)

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