結実 その二十四

 姉の存在が実験に必要な要素だと知って激しく動揺する。てっきり私にクチナシ様を幻視させるための最後の仕掛け程度に思っていた。しかし、もしそうなのだとしたら、危険を冒してまで実際に誘拐する必要はない。つまり、姉には何かの役目があるのだ。


 嫌な予感がした。


「どういう、こと?」

「僕の専門は犯罪心理学だ。犯罪者がその犯罪に手を染める精神状態に興味がある。殊更殺人にね。そして、殺人という行為に手を染めるためには超えるべき大きなハードルがある」

「ハードル……」

「そう。本能だよ。殺人という行為のリスクを理解していない人間はこの国にはほとんどいない。しかしね、真に人間の殺人衝動の枷となっているのは、刑法とその罰則なんかじゃない。人間の無意識化にある同族殺しに対する強烈な忌避感だ。これは生命の生存本能に密接にかかわっている。人間が他人を殺める最大の動機ってなんだかわかるかい? それはね、自身の生命を脅かす存在に対する防衛だよ。戦争なんてものが最たる例だね。種全体の生存という原初の本能を自身の生存欲求が凌駕したとき、人間は誰でも殺人者になる。しかし、あの日、この島での第二の実験の日、この祭壇の上に寝かされた女の腹を裂き、中の胎児をも殺した女がいる。その女の名前は黒田 ともえ。この女はあの村での実験の生き残りだ。あの村での神下ろしの儀で依り代となった黒田家の長女、その妹だよ。そして巴にはもう一人双子の姉がいた。その姉は身ごもり、第二の実験で依り代に選ばれた。巴はな、儀式の当日、双子の姉を殺したんだ」


 私はあの白昼夢で見た女を思い出す。


 自身の醜い嫉妬に駆られ、実の姉を殺したのだ。


「彼女が姉を殺したのは、まだ神下ろしの儀を執り行う前だ。だとすれば、クチナシ様の誕生を恐れてのことじゃない。彼女が殺人を犯したとき、彼女の姉も胎児もただの人間だった。しかし、彼女は殺したんだ。妊婦も胎児も自身の生命を脅かす可能性がほとんどない存在だ。そんな存在に対して抱く殺人の動機とはいったい、なんだと思う? 僕はそれが知りたい」


 全身に鳥肌が立つ。


 この男の言っていることが何一つ理解できない。理解できないのにとてつもなく恐ろしい闇が、この男の心に巣食っていることだけは分かる。


「だから、この場所を用意したんだ。君が、君のお姉さんとそのお腹の中の子供を殺すかどうか実験するためにね」


 狂ってる。吐き気を催すほどの邪悪な人間だ。


「しかし、そちらの方はどうやら失敗したようだ。なあ、最期に聞かせてくれないか? 君はそこに横たわるお姉さんを殺すかい?」

「お姉ちゃんを殺すくらいなら、あんたを殺してやりたい……」


 私の声は怒りで震えていた。


 それを聞いた槙島は再度深いため息をつく。


「そうか。僕の中に産まれたときからずっと存在している殺人衝動の正体が何なのか、わかるかと思ったんだが、どうやら今回はだめだったようだね」

「いったい、どういうこと……」

「僕の本名はね、敷島 真司。敷島桜と黒田巴の子孫だよ」


 あまりの衝撃に頭がくらくらした。


「僕の曾祖母が黒田巴だ。そして僕は生まれたときから、人を殺したいという欲求があったんだ。そのルーツをどうしても知りたかった。だから僕は犯罪心理学の道に進んだんだ。己を知るためにね。でも、分かったことは、普通の人間は、殺人を犯すとき、明確な動機を持っていること。でも僕には人を殺す一般的な動機がないんだ。殺人衝動だけがあった。いよいよ困った僕は自分のルーツを調べることにした。そのために遠縁だが敷島家の本家の人間である君にも近づいたんだ。調べるうちに、敷島桜の実験のことを知ったわけだ。僕は興奮したよ。先祖である黒田巴の殺人の動機はおおよそ一般の人間とかけ離れていたからね。全然合理的じゃあない」


 違う。


 あの白昼夢が事実なのだとしたら、ただの嫉妬だ。狂気的な愛が殺人の衝動だ。それは、ありふれた動機だ。


 槙島は興奮しているのか、熱にうかされるように語りつづける。


「だからを使ってあの日を再現することにしたんだよ」


 私に黒田巴の血がながれている?


 そんなはずはない。だって、敷島桜は私の曾祖叔父そうそしゅくふ、つまり私の曾祖父の弟にあたる人物だ。その妻に当たる黒田巴と私には直接的な血のつながりはないはずだ。


「ちょっとまってよ。私に黒田巴の血が流れてる? そんな訳ない!」


 槙島は一瞬眉を吊り上げるが、すぐに何か納得したような表情をした。


「ああ、そうか君は知らされていなかったね」

「何をよ!」

「君は養子なんだよ。君の本当の両親は僕の両親と同じ。つまり、君は僕の実の妹なんだよ」


 頭を殴られたような衝撃。あまりの衝撃で目の前が真っ白になった。

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