結実 その十八

 一瞬止まった心臓が早鐘のように鳴る。


 いつまでも、固まっている訳にはいかない。もう一度、社の中に懐中電灯の光を向け中を覗いてみる。そこには顔を真っ青にした私が、丸い鏡に映っていた。


 先ほど見たのは鏡に映った私だったと分かり、ほっと胸をなでおろす。深いため息が自然にでた。


 もう一度中を覗くと、その丸鏡以外は特に何があるわけでもなかった。慎重にその丸鏡を社の中から取り出してから、膝をついた状態で社の中へと侵入する。


 まさに伽藍洞だった。


 トンネルの入り口があるとすれば、この床板の下である。さて、どうしたものかと懐中電灯で床板を照らしたときだった。みしみしと木が大きく鳴り、まずいと思った次の瞬間には、私の身体は床板を踏み抜き、腰から地面へと落下した。


 拳で脊柱を力いっぱい殴られたような衝撃と、鋭い痛みが走る。その衝撃で思わず「うっ」と息が漏れ、そこから息が出来なくなる。必死に酸素を取り込もうと酸欠となった魚のように口をぱくぱくさせ藻掻く。痛みと苦しみで悶絶し、身体をの字に曲げたまま、体をよじる。すると、硬い地面の感触が急に消え、私はもう一段落下した。横向きで硬く冷たい地面に衝突する。その二度目の衝撃に呼吸ができるようになった。大きく息を吸うと、喉の奥が冷気で焼かれ痛んだ。


 しばらく浅く息をして、背中の痛みが引くのを待つ。痛みが引くとともにほかの感覚が徐々に戻ってくる。まず感じたのは、埃とそして錆び鉄の香り。落ちた衝撃で口の中でも切ったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。血の味はしなかった。


 何かにつかまろうと右手を暗闇の中に突き出すと、何か金属と金属の当たるような大きな音が響いた。まるで銅鑼の音のようにこの空間に反響した。その音に驚き、飛び起きる。


 右手には懐中電灯が握られていた。どうやら、これだけは決して離すまいと強く握りしめていたらしい。


 懐中電灯で音の鳴った方を照らす。


 そこには、一メートル四方、高さ五十センチくらいのコンクリートの四角い塊があった。


 なるほど、私はこの上に落ち、その後、もう一度落ちたのか。


 懐中電灯の光で上方を照らす。社の床板が無残にも剝がれている。天井までは二メートルといったところであろう。祭壇は地面から大体一メートルくらいだったことを考えると、この空間は、地面を少し掘って作られているらしい。帰りはここを登らなければならないが、そんなことを今考えても仕方がない。


 もう一度、目の前にあるコンクリート製の構造物を見る。


 その構造物の天面には、黒々とした観音開きの鉄扉てっぴが付いていた。


 先ほどの銅鑼のような音は、これと懐中電灯がぶつかり合った音だったのだ。


 この扉は、あの夢で見たトンネルへと繋がっている、そんな確かな直感があった。


 扉には閂が付いていたが、鍵などはついていなかった。


 鉄扉の側面には適当に溶接したような中華鍋の取っ手のようなものが付いている。閂をぬいてから、左側の扉の方の取っ手をつかんで力いっぱい持ち上げる。しかし、びくともしない。何度か挑戦してみるが、やはりだめだった。


 ここに彼がいれば……。


 いや、ないものねだりしても仕方がない。私は一人であの化け物と立ち向かわなければならないのだ。そして、この戸を開けなければ姉には辿り着けない。


 私は、もう一度取っ手をつかみ今度は、スクワットの要領で腰を落とす。そのまま背筋に渾身の力を込め、そして立ち上がるようにして取っ手を上げる。すると、ほんの数センチ扉が浮く。その瞬間、急に扉の重さがなくなり、猛烈な勢いで開いた。あまりのスピードに一瞬手が持っていかれそうになるのを咄嗟に取ってから手を放し回避する。ガシャンという大きな金属音が床下の空間に鳴り響く。


「あっぶな……」


 開いた鉄扉の蝶番部分を見ると、バネが付いているのが見えた。おそらく錆びつき固着していたものが、少し動いたことによりゆるみ一気に解放されたのだろう。


 逆側の鉄扉に置いておいた懐中電灯を取り、開いた扉の先を照らす。


 そこにはコンクリート製の階段が地中深く続いていた。どれだけ先まであるのか分からない。強い懐中電灯の光でも届かない深い闇。きっとこの先は咬ヶ島につながっている。そして、その先にはあいつがいる。


 鉄と埃の匂いに交じって、嫌な匂い、腐肉のようなにおいが穴から立ち込め、そして、凍えるような空気が絶え間なく吹き出ている。


 底冷えするような恐怖がそこにはあった。


 初めてこの摂社を見たとき、凛子は近づくなと言った。もしかしたら、この隠しトンネルが続く先にいる恐ろしい存在を敏感に感じ取っていたのかもしれない。


「凛子、お願い。私に力を貸して」


 私はそう呟いてから、その深淵へと足を踏み出した。

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