結実 その十六

 意識を取り戻した私は、起き上がり、あたりを見渡す。そこは、姉のアパートだった。


 来ている服装も和装ではなく、パーカーにジーンズといった姿だった。見覚えのある自身の手、見覚えのある姉の部屋、見覚えのある服装。私は現実世界に戻ってこられたことを悟る。


 私は、一体……。


 そうだ。あいつが来て、それから……。


「お姉ちゃん!」


 私は急いで立ち上がり、あたりを見渡すが、姉の姿は何処にもない。玄関へと通じる廊下の扉は開け放たれている。その先の廊下に目を凝らすが、あの化け物の姿はない。


 廊下の先、外へと繋がる玄関の扉が開けっ放しになっている。そこから師走の冷たい空気が吹き込んでいた。


 連れていかれてしまった。


 絶望が冷気と共に私を凍えさせる。


 守れなかった。守ると決めたのに。


 唇を噛みしめ下を向くと、姉にあげた鳴らない鈴が落ちていた。それを拾い上げる。あの時、あいつが現れる直前、鈴の音が私の耳にもはっきり聞こえていた。今は振っても何の音もしない。あいつはもう近くに居ないといことなのだろう。


 あいつがどこに姉を連れて行ったのか、それは分かっている。


 咬ヶ島だ。


 そこであいつは、姉の腹を借りて産まれてくるつもりなのだ。それまで姉は無事のはずだ。まだ諦めるのには早い。


 そして、先ほど見た何者かの記憶。あれは十中八九、咬ヶ島での第二の実験の記憶に違いない。津田の調査によれば、第二の実験中母体が死亡したため、クチナシ様が暴走したとのことである。だとすれば、その原因は夢の私だ。私がクチナシ様を宿すはずだった妊娠中の姉をその手で殺したのだ。敷島桜を手に入れるために。


 しかし、そんな記憶よりももっと重要なことがある。あの鉄格子の先、その先は星見の岬、凛子が飛び降りたあの岬につながっているのだ。おそらく、島へと繋がる海中トンネルがあるのだろう。


 確か、日本最古の海中トンネルは、関門海峡をつなぐ関門鉄道トンネルで、昭和十一年に建設開始だったはずだ。以前周辺ボーリング調査に参加したときに少し勉強した。陸軍によるクチナシ様の実験が始まったのが開戦の少し前、昭和十五年ごろとなれば、海中トンネルを建設する技術はすでにあったはずだ。そして、凛子と二人で岬から見たとき、あの岬と咬ヶ島の距離は、一キロメートルほどの距離だった。あの夢で見た光景のとおり、島と岬をつなぐ海中トンネルが本当にある可能性は十分にある。


 もう、あれこれ考えている暇はない。今から電車に飛び乗れば、最終の新幹線には間に合う。T市までは電車ではいけないだろうが、京都からタクシーに乗れば良い。おそらく夜中の二時には現地に着ける。


 私は姉のアパートを飛び出し、東京駅へと向かった。


 新幹線の中、陸軍の地図をスマートフォンで撮影していたことを思い出す。スマートフォンの写真フォルダから咬ヶ島とあの岬周辺を移した部分を見つける。


 どれだけ目を凝らしても、トンネルらしきものも、トンネルの入り口らしきものもなかった。しかしどこかにあるはずだ。


 考えろ。


 その地図には、海岸線の外側、海底にも等高線が引かれている。しかし、実際に測量したというよりも、海岸線の形状をそのまま同心状に拡張していった、そんな印象である。当然、咬ヶ島の周りにも等高線が記されている。まるで水面に落とした石が作る波紋が島を中心として広がるように見えた。その波紋は本州の海岸線から広がる波紋と干渉し、海底の予測される地形を浮彫りにしている。


 ここである閃きが脳裏に浮かぶ。


 海中にトンネルを掘る時、なるべく浅いところを通るように掘るのが定石なのではないか? 海の深度が大きくなるにつれ、トンネルが絶えるべき水圧も上昇していくだろう。だとしたら、なるべく海底に連なる山の峰を通るように敷設するのが良いだろう。


 そして、咬ヶ島の南側、そこには等高線の間隔がやけに広い海底の峰のようなものがあり、例の岬に向けて一直線に伸びていた。


 ここだ、トンネルを掘るとしたらこのラインだ。そう直感する。


 その島から伸びるラインを指でなぞる。その終着点は例の岬よりも少し南側にずれている。そこは、岬の最も標高の高い場所、頂上に位置している。そこに今あるのは――あの神社だ。


 しかし、本殿は雷が原因の火災で焼け落ちている。その跡地にそれらしい入口はなかった。だとすれば、あの摂社が怪しい。


 私はスマートフォンをポケットに戻し、車窓に目をやる。雪が降っていた。それは今年初めて見た雪だった。

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