開花 その十五

 目を覚ますと、私は津田に抱きかかえられていた。


 体勢からすると、一瞬意識を失い、倒れかけた私を彼が横から咄嗟に抱きとめた、そんな感じである。


 目の前には必死の形相で何かを叫ぶ津田の顔があった。


 酷い耳鳴りがした。


「……さん!」


 徐々に耳鳴りが引いていく。


「敷島さん! 大丈夫ですか⁉」

「だ、大丈夫……です」


 私は一人で立ち上がってから、頭を軽く振ってみる。


 足は少しふらつくものの、猛烈な頭痛は引いていた。


「今日は、もう帰りましょう」


 津田は心配そうな顔でそう言う。


 彼の言うとおりにした方が良いのだろう。


 しかし、この恐ろしい物語の中心に居るのはきっと私だ。


 私が呼ばれているのだ。


 つまり、本当の意味で凛子を巻き込んだのだ。たまたま私が誘ったからではない。


 私とクチナシ様のこの縁こそ、凛子の死の真実なのだ。


 ならば、私はここで足を止めるわけにはいかない。


「大丈夫です」

「しかし……」

「本当に大丈夫です! 私はここで帰るわけにはいかないんです!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。


 津田は、まだ何か言いたそうだったが諦めたように肩をすくめると、煙草を取り出した。火をつけてから彼は私に背を向け、本殿の右側の斜面、林の中を指さして言う。


「あれ、見えるか?」


 彼の指さす方を見ると、林の奥に何か石碑のようなものが見えた。


「あの石碑みたいなものですか?」

「そうだ」

「なんですかね? あれ」

「あれはたぶん、ドウソジンだ」

「ドウソジン?」

「ああ。『道』に祖先の『祖』に神様の『神』と書いてドウソジンだ」


 私の頭の中で『道祖神』と変換される。


 その文字面は、なんとなく記憶にあった。


「それって、何なんですか?」

「結界の一つだよ」


 津田は煙草の煙を吐きながら答える。


「結界……」

「峠や辻などの道端に置かれる神を模したものだ。悪疫などの侵入を防ぐ役割がある。そしてな、この道祖神は、村の入口、外界との境界にも置かれる」

「それって……」


 津田は振り返ると静かに頷く。


「つまり、この先に村があるってことだ」

「その村って、例の……」

「ああ、たぶんな。それからもう一つ分かることがある」


 津田の顔に陰りが見える。何か苦虫をかみつぶしたような、そんな表情だ。


 私の落ち着きを取り戻していた心拍数がわずかに上がる。


「何ですか?」

「まずこのクチナシ様を祀っている神社にはおかしな点が二つある」

「おかしな点ですか?」

「そうだ。一つは村の外に置かれていること」


 確かに、あの道祖神の先に村があるとすれば、この神社は道祖神が張る結界の外側に存在していることになる。


「そして、二つ目は鳥居の位置だ」

「鳥居の位置?」

「鳥居ってのは、神のと人との領域の境界を表す。神社を参拝するときは鳥居をくぐって、神域の最外部に立ち入るわけだ。つまり、。しかし、今通ってきたとおり、この神社の鳥居は村とは反対側に存在しているんだ」


 なるほど。それは確かにおかしい。


 村からこの神社を訪れる場合、道祖神が立てられている斜面をおりてくることになるはずだ。しかしその道を進んでたどり着く先は神社の裏手である。


 津田は滔々と語り続ける。


「おそらく此処は村の入口なんかじゃない。裏手なんだ」

「裏手? でも、村の入口には道祖神を立てるってさっき……」

「ああ、だが、俺がここが裏手だと思うのには理由がある。それは、この場所が村の南東側に位置しているってことだ。南東はな、裏鬼門といって古来より忌み嫌われる方角だ。ちなみに鬼門封じには大きく分けて二つの種類がある。徹底して無視するか、または逆に敬うかだ。この神社は明らかに後者を意識して建てられている。そう考えると、村の方角、神社から見ると北東側に道祖神が祀られているも腑に落ちる。あれも鬼門封じなんだよ。つまりだな、この神社は裏鬼門に巣食う鬼を祀り、鎮めるためのもので、あの道祖神はこの神社に住まう鬼が村に侵入してこないための、最後の砦ってわけだ」


 なるほど。さすがはオカルトライターを名乗るだけのことはある。彼の知識に裏打ちされた仮説は十分納得できるものだった。


 津田は携帯灰皿に短くなった煙草を押し付けてもみ消して、そのまま吸い殻を携帯灰皿に放り込んでから私を見て言った。


「この村の連中は、このクチナシ様を信仰していたんじゃない。災厄をもたらす存在として、


 私は、全身に鳥肌が立つのを感じた。


 そんな神社を立ててまで鎮めようとしていた恐ろしい存在であるクチナシ様。そんな存在にこの村は壊滅させられたという。


 まだ、この村にその恐ろしい何かが巣食っているのだとしたら? 


 そんな非現実的な存在がいるわけないじゃないかと鼻を鳴らす自分のほかに、静かに恐怖している自分も確かに存在していた。


「あの道祖神の先、方角で言えば北東方向にきっと村があるんですよね?」

「ああ。十中八九な」


 津田は村があるであろう方角を向くと、目を細める。


 正直怖い。


 怖いが、この私のクチナシ様にまつわる物語の結末に辿り着かなければならないという使命感が私を動かす。


「行きます、か……」」


 私は津田に声をかける。


 津田はにこちらに振り返ると「ああ。さっきの崖を降りるよりは簡単そうだ」と言った。

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