開花 その十二

「この地図おかしいですよ」

「おかしい?」


 津田と山城が同時に声を上げる。


「ええ。見てください。この地図は、T市の西側にあるM市のこの山、この山の峰がこのA山のすぐ近くまで伸びてます」


 私はM市の東側にある、東西に延びる低い山を示す。


 山城は私の指さす山を見ると「でも、今でもこの山はありますよ?」と言う。


「確かに、今でもあります。でも、明らかに峰がんです。見てください」


 私は二人にスマートフォンの地図を見せる。


 スマートフォンに表示されている峰の長さはせいぜい三、四キロメートルである。しかし、目の前の地図に記されているその山は、倍ほどの長さがある。スマートフォンの地図を正とするのであれば、A山とM市から伸びる山の間には小高い盆地状の地形が存在するはずである。古地図では、その盆地が完全に消滅していた。


「あれ、ほんとですねえ。これ、紅葉寺のすぐ近くまで山脈が伸びてるように見えますね」と山城が答える。

「本当だ……」


 津田もスマートフォンの画像と古地図を何度も見比べながら呟く。


「福井地震で山が崩れたんでしょうか?」と山城が首をかしげる。


 福井地震は確かにマグニチュード七越えのかなり巨大な直下型地震であった。しかし、その震源は福井県の嶺北にある福井断層である。嶺南であるT市は震源からはかなり距離がある。それに、どれだけ大きな地震でも、峰が数キロにわたって崩れるような地形変化は普通起きない。


「地震で山が崩れることはありますが、ここまで大規模な地形変化は普通起きません」


 私がそう答えると、山城は「そうですかあ」と間の抜けた声をだした。


「だとすると、当時の測量が間違っていたんですかね?」

「いえ、その可能性も低いと思います。明治初期の段階で日本の測量技術は世界レベルに達していたらしいですし」

「でも、だとしたら何で間違っているんでしょう?」


 山城が首を傾げながら、もっともな疑問を口にする。


 それに答えたのは津田だった。


「あるいは、間違いではないか……」

「え? でも現に違ってますよ?」と山城が反応する。

「ああ。でも、間違いではなく、意図的だとしたらどうだ?」

「偽装改描ですか……確か戦時中なんかは重要な軍事基地を隠すためにそういったことが横行していたようですね」と山城がどこか納得した様子で言う。


 しかし、この地図に限ってそれは


「山城さん。それもあり得ないんですよ」

「ええ? なんでですか?」

「これが陸軍の地図、しかも極秘扱いだからです」


 そう私が言うと津田が大きな声で「ああ、そうか!」と叫んだ。


 山城はまだ納得できていないようで、眉根を寄せて怪訝な顔をする。


「だからこそなんじゃないんですか? 偽装改描していたのは軍部でしょう?」

「いいえ。だからこそ、内部文書かつ『軍事極秘』に指定されているこの地図には、正しい地形が乗っていなければならないんですよ。味方を欺いても仕方がないですよね」


 山城は今度こそ納得した様子である。


「なるほど。確かに」


 私は津田の方を見る。


 津田は顎に手をやって、何か考え込んでいるようだ。


「津田さん?」


 呼びかけても反応がない。目の前の地図をじっと見つめたまま固まっている。


「津田さん? 聞いてます?」


 私が大きめの声を出すとやっと気が付いたようで、ゆっくりとこちらを向いた。


「あ? ああ、すまん。考え事をしていた。どうした?」

「いや、これって例の村と関係あるんでしょうか?」


 私は小声で津田にそう問いかける。


「分からん。が、改竄されている場所は俺たちが目星をつけているT市の西側の地域だ。気になるな」

「調べてみます?」

「そう、だな」


 津田はそう呟くと、山城に話かける。


「山城さん」

「はい?」

「この辺りって、人が入れるのか?」

「この、偽装の跡が見られるあたりですか? まあ、この地図上で峰が伸びているあたりにはお寺さんがあって、その近くに確か林道かなんかがあるって聞いたような……」

「本当か? ちなみにその寺ってのは?」

「M寺さん言います。境内には紅葉が植えられていて、地元の者はみな紅葉寺と言いはりますわ」

「その寺には車で?」

「ええ、そうですなあ。この地図で言うと、この辺りですから、麓から歩くのは骨が折れるでしょうな」

「タクシーとかはあるか?」

「まあ、ないことはないですけど、捕まえるのは大変ですよ? もしあれなら呼びましょうか?」

「ああ、頼めるか?」

「ええ、少々お待ちを」


 そう言って山城は会議室を出ていった。


 私はそのすきに念のため古地図の写真をスマートフォンで撮ることにした。一枚の写真で全体を写すのは難しそうだったため、何枚かに分けて撮影することにする。

津田はそんな私の行動を黙って見ながら、まだ何か考えているようだった。


 私は写真を撮りながら津田に問いかける。


「津田さん、さっき怖い顔して何を考えていたんですか?」

「さっき?」

「ほら、私が声をかけても反応しなかったじゃないですか」

「ああ、あの時か。あれは、その……」


 なぜか津田は言いよどむ。


「なんですか? 言いにくいんですか?」

「いや、そうじゃないんだが、ただなあ……」

「何か気が付いたのなら教えてください。私達は協力関係でしょう?」

「まあ、そうだな……」

 

 津田が顎髭を撫でながら小さく頷く。


「あのな、もしこの地図偽装が例の村を隠すためなのだとしたら、それは当時のって事じゃねえか。それって、一体どんな秘密なんだろうな?」


 私は全身に鳥肌が立つのを感じた。


 津田の言うとおりである。


 そもそも、クチナシ様の伝承は誰かに改竄されている形跡がある。そして、ここに来て陸軍の極秘文書である地図すら改竄されている可能性まで出てきた。こうなってくると、もはや『誰か』というレベルではない。当時の陸軍すら欺くことのできる組織が関わっている。そんな存在はたった一つ――以外ありえないのだ。


 津田が静かに続ける。


「いずれにしろ、最悪な事実には違いねえだろうな」

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