開花 その十一

 次の日は、昨日とはうって変わって、晩秋らしからず快晴だった。


 日も照っているため、昨日に比べればずいぶんと暖かく感じた。


 津田と私は、民宿で簡単な朝食を済ましたあと、すぐにT市役所へと向かった。


 市役所はT駅から近く、町の中心地に在った。その庁舎は意外なほど大きく、また、和モダンと言うのか、洒落たデザインをしていた。都会的な雰囲気の建屋に対し、屋根は瓦葺きであり、伝統的なデザインと都会的なデザインが微妙なバランスで混じりあっていた。


 特筆すべきはその屋根の取り方である。海側の屋根はバッサリと切られている格好で、横から見ると山側と海側で屋根の面積が大きく異なっている。南側に面する山側の屋根が異常に長い。太陽光発電パネルを敷設するための作りに見えた。事実、屋根の上には太陽光発電パネルが在った。しかし、屋根のほとんどの面積は瓦で埋め尽くされており、パネルの占める面積は小さかった。申し訳程度というレベルである。もしかしたら、予算やらの都合で十分なパネルを敷設できなかったのかもしれない。


「なんだか、この街に似つかわしくないくらい綺麗だよな」


 津田が失礼なことを呟く。


 しかし、私の感想も概ねそれであった。


「そう、ですね……」


 津田と私は連れ立って、大きなガラス張りの自動ドアをくぐる。中も驚くほど綺麗で小洒落ている。


 ロビー中央に置かれた案内板を見る。そこには様々な課名が記されている。


「可能性があるとすると、建築設備課か?」


 津田が案内板に記される課名の一つを指さす。その下には、小さな文字で課の説明が記載されている。曰く――建築、道路、河川、町営住宅、都市計画、入札に関すること、とある。河川や都市計画に関することであれば地図を管理しているだろうと考えたのだろう。しかし、この課には恐らく我々が求めている情報はないと思われた。


「たぶんこの課は古地図を扱ってないと思います。最新の地図はもちろんあるでしょうが」


 津田は私の意見に「そうか」と素直に従う。


「あるとしたら……ここですね」


 私は教育委員会事務局の表示を指さした。


「教育委員会事務局? 地図なんか扱っているのか?」

「古地図って地図と言うよりも歴史資料なんです。もちろん、地質学やなんかでも使いますが、古地図は呼んで字のごとく古いので、それ自体に歴史的価値がある郷土資料なんですよ。そして、そういったものを管理するのは基本的に、『学問・教育』の機関なんです」

「なるほどなあ。言われてみれば納得だ」


 津田は関心したような声を出す。


「しかし、なんでそんな事を知っているんだ?」

「ああ、私大学院で地質学の研究をしているんです。フィールドワークに出ることもあって、ここ百年くらいの比較的新しい地層や地形の変動を調べる時なんかは古地図が役に立つんです。まあ、それで……」


 津田は驚いた様子で目を丸くする。


「女性で地質学研究者とは、これまた珍しいんじゃあないか?」

「まあ、そうでもないですよ。少ないですけど居ないわけではないです」

「そうなのか。なんにせよ経験者がいて良かった。とりあえず、この教育事務局に行ってみるか」


 津田は案内板の地図を見つめ、事務局の場所を確認する。私も案内板の事務局の説明をもう一度読む。するととある言葉が目に飛び込んできた。


「あ、ここか」と津田が呟く。どうやらお目当ての窓口の場所が分かったらしい。


 歩き出そうとする津田の腕をつかんで引き止める。


「ちょっと待ってください。ここには無いかもしれません」

「ない? 古地図がか?」

「はい。あるとしたら、市役所ではなくて、ここだと思います」


 私は案内板をもう一度指さす。それは教育委員会事務局の下部組織や施設の一覧表だ。


「T市郷土資料館……」

「そうです。さっきも言いましたが古地図って郷土資料なんです」


 郷土資料館の場所を調べようとスマートフォンをカバンから取り出す。すると今度は津田が私を制す。


「調べなくても場所は分かってる。ここからそう遠くない」


 津田はクチナシ様の伝承を調べていたのだ。当然郷土資料館にも話を聞きに行ったのだろう。


 私は頷いてスマートフォンをカバンにしまった。


 郷土資料館は駅のさらに南側、線路を渡ったところに在った。津田の言うとおり、役場からは郷土資料館まではそれほど離れておらず、徒歩で十分ほどだった。


 郷土資料館も役場と同様、和モダンな雰囲気の建物であった。白い壁に瓦色の屋根、全体の色彩のバランスはどこか白鷺城を想起させる。しかし、役場とは違い瓦ぶき風の屋根だった。その屋根は異常に急峻であった。建物全体の高さの約半分まで屋根で覆われている。そのフォルムは白川郷の伝統的な茅葺の建物に似ている。ここ福井も豪雪地帯である。この急峻な屋根の形状は、雪が積もらないような工夫なのかもしれない。


 津田について資料館の入口へと向かう。ガラス張りの自動ドアの上には、木彫り看板があり、浮彫で『T市郷土資料館』とあった。


 自動ドアをくぐると正面に受付があった。受付には六十代くらいの眼鏡をかけた男性が座っている。


 私達の入館に気が付き、顔を上げたその男性は柔和な笑顔をたたえながら京訛りで

「いらっしゃい」と言った。

「大人、二名ですか?」

「ええ、まあ」

「お二人で四百円になります」


 どうやら入館料がかかるようである。


 津田がその男性に声をかける。


「実は、資料館の見学に来たわけじゃないんです」


 それを聞いた受付の男性は不思議そうな顔をする。


「すると、何用で?」


 津田は「それなんだが……」と言葉をつづけるが、何と言っていいものかと言葉に詰まっている様子である。そんな津田の態度に不信感を募らせたのか、男性の眉根が少しづつ近づいていく。


「あの、私、こういう者です」


 そう言いながら私はカバンの中から財布を取り出し、中の学生証を男性に渡す。


 男性は学生証を受け取ると、かけている眼鏡を少し浮かして学生証を眺める。学生証を見ながら男性が驚いたような声を出す。


「お嬢さん東京大学の学生さん? 頭よろしいんですなあ。地球惑星学科学専攻……こりゃ、どんな学問なんです?」

「私は地質学が専門です」

「地質学っていうと、例えば地層とかそういうのを調べる?」

「そうです」

「はー、なるほどねえ。それで、うちに何の用です?」


 男性は私に学生証を返してくれた。その顔にはもう不信感は浮かんでいなかった。


「私、今A山について調べていまして、いわゆるフィールドワークです。それで、古地図を見たいんです」

「ああ、なるほど。それで郷土資料館に」


 男性は納得したように何度も頷く。


「でもねえ、この辺の古地図は無いんですよ」

「古地図と言っても、八十年前くらいのでいいんです」

「え? そんな最近の地図でよろしいんですか?」


 男性は意外そうな声を出す。


「ええ。実は福井地震を研究しているんです」

「福井地震っていうと、昭和二十三年の?」

「そうです。ですから、それよりも少し前、太平洋戦争中の地図などがあればいいのですが」


 男性は「なるほど」と呟く。


「それなら、確かありましたわ。旧大日本帝国陸軍の地図だったと記憶してます。お見せしても良いと思いますが、念のため館長に確認させてください」


 そう言って、男性は奥へと消えていく。


「敷島さん、あんた東大生だったのか」

「ええ、まあ。と言っても大学院からですけど。大学は別の女子大です」

「ふうん。しかし、よくもまああんな作り話を思いつくな。記者、それも三流雑誌に寄稿するような記者に向いてるぜ。または詐欺師だな」


 津田がそう言いながら意地の悪い笑顔を浮かべながらそんなことを言う。


「やめてくださいよ……私には津田さんほど胡散臭い雰囲気を出せないんで無理ですよ」

「なんだそりゃあ。俺が胡散臭いってか?」

「ええ。かなり」

「馬鹿言うなよ。これでも俺はガキには人気があるんだぜ?」

「冗談ですよね?」


 津田は喉の奥で「くくく」と笑った。


 そんな軽口をたたきあっていると、先ほどの男性が館長と思われる人を連れて戻ってきた。


「館長をしております、西田です」


 館長は軽く頭を下げる。


 西田にも強い京訛りがあった。福井県の嶺南れいなんは京都にも近いためだろう。


 西田は体格のよい、というかかなり太めの男性だった。顔もパンパンに膨らんでおり、それもあってか年齢不詳といった感じだ。しかし、薄くなった髪の毛には白髪がちらほら混じっていることから、少なくとも三十代ではないな、と思う。


 西田は一瞬自分の鼻に触れてから「なんでも大戦時代の陸軍の地図を見たいとか?」と言った。


「ええ。そうです」


 西田は私をジロリと足先から頭の先まで嘗めるように眺める。なんとなく、嫌な気分だった。


「別にええんですが、事前に連絡とか出来たんじゃないです? 最近の学生さんは常識が無いですなあ」


 西田は笑みを浮かべてそう言った。


 西田は嫌味を言ってストレスを発散する類の人間のようである。


 こみ上げる不快感を押し殺していると、隣で津田が「なに?」と声を上げる。


 西田はそこで初めて津田を見た。私もつられて彼をみると、怒りに顔が歪んでいた。整った顔立ちではあるが、野性的である顔立ちである津田の怒り顔はおおよそ堅気の人間のそれではない。


 そんな津田の静かな威圧に気おされたのか、西田の目に一瞬恐怖が浮かぶ。

そこまで怒ることか? と思う。が、腹の中で蠢いていた不快感がすっと引いていくのを感じた。


「ま、まあ、次からは事前に連絡してください。閉館ってこともあるんですから……」


連絡しますよ」


 津田はなぜか『次』をやけに強調した言い方で答える。まるで、次は無いとでも言いたげである。


「わ、分かってくれればそれで良いです。じゃあ山城さん。あとはお願いできる?」

「は、はい」


 先ほどまで津田と西田のやり取りを不安そうに伺っていたあの受付の男性が答えた。


「こちらへどうぞ」


 そう言って山城は私達を先導して受付の裏側にある事務室へと導く。事務所内には女性の職員が一人だけいた。彼女は、顔を上げてちらりと私達を見やる。しかし、すぐに興味なさげに自分の手元へと目線を戻した。


 山城は事務所に一つだけある会議室へと私達を案内した。


 会議室はうすっぺたい机と、年期の入った折り畳み式のパイプ椅子が四脚ある。壁には小さめのホワイトボードがかかっているが、こちらも相当年期が入っているようで、薄汚れていたし、文字も消え切っておらず、何やら文字がインク汚れの中に浮かんでいる。


 私達は入口に近い方の椅子に座る。


「いま、地図を持ってきます。少々お待ちください」


 山城がそう言ってから、部屋を出ていった。


 津田はまだ怒っているのか、むすっとした表情で腕を組んで座っている。


 会議室の小さな窓の外の景色をなんとなく見上げる。空には雲一つない。雲の一つもなければ景色と言うのは存外無味乾燥であり、時間つぶしにはならない。


 あきらめて鞄からスマートフォンを取り出して何か手がかりはないかと、T市の南西側の山中を眺める。しかし、すでに廃村になっているであろうその村の痕跡を見つけることはできない。


「お待たせしました」


 山城が会議室に戻ってきた。


 その手には大きな盆を抱えている。その上には灰色をした地図が乗っていた。


「どうぞ、手袋です」


 山城に手渡された真新しい白い手袋を嵌めてから、立ち上がり二人して地図を覗き込む。


 かなり詳細に等高線が刻み込まれている。地図の右欄外には『軍事極秘(戰地ニ限リ極秘)』とある。確かに旧日本軍の作成した地図のようである。


 また左欄外には発行年月日が記されている。それによれば昭和十五年十月に発行されたものらしい。太平洋戦争の一年前の地図のようだ。


「ここが、T市か?」


 津田が海沿いの集落を指さす。


 そこには今とほとんど変わらない位置に集落があった。


「そうです」


 山城が地図を覗き込みながら答える。そして「A山はここですね」と西側の地帯を指し示す。


 A山は東西に峰が連なる標高七百メートル弱の山である。T市からみると、連なる峰は縦一直線に見え、まるで一つの山のように見える。A山は左右のバランスが素晴らしく、まるで富士山のような美しい形状をしている。それは、この地図の等高線からも見て取れた。


 しかし、強烈な違和感があった。


 なんだ? この違和感は。


 私はスマートフォンで地図アプリを開く。そして、地形を表示する設定に変えて、目の前の地図と比較する。


 すると、違和感の正体が分かった。


 山の形が明らかに今と

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