開花 その九
二人の間にしばらく沈黙が流れる。
ふと、先ほどの神社でのうすら寒いやり取りを思い出す。
「そういえば、さっきの男性、ちょっと気味が悪かったですよね?」
津田は眉を顰める。
「そうか?」
「なんていうのか、ずっと笑ってましたけど、目は笑ってないというか……」
「そんな感じしなかったがなあ」
そう言いながら津田は顎の無精髭を撫ぜる。
「なんだか、私達を罠にでも嵌めようというか、何か企んでいる気がして」
津田は無精髭を触るのをやめて、じっと私を見つめる。
「なんか思い当たる節があったのか?」
「ええ、まあ」
私はここまで話しておいてお茶を濁すのも変だと思って、正直に凛子との会話やあの地元の男性との会話中に思ったことを津田に話して聞かせた。
津田はしばらく黙って聞いていたが、茜ちゃんとあの男性が話した岬の印象がまるで違うという話をしたとき、津田が口挟んできた。
「その、茜って子はあの岬を自殺の名所だって言ったのか?」
「え? ええ。数年に一度、そういうことがあるって」
津田は頭を数回掻いてから言った。
「おかしいな。そんな話、聞いたことないぞ」
私には津田の感じている違和感が何なのか分からなかった。
「それは、津田さんがクチナシ様の伝承だけを聞いて回っていたからじゃ?」
「いや、そうじゃない。俺は何もクチナシ様の伝承だけを集めていたわけじゃあない。俺は朋絵が失踪してすぐ、まだ死体が見つかる前からこの町にきていろいろと聞いて回っていたんだよ。自殺って言葉も頭によぎったからな、そういった名所なんかが無いかってことも聞いたんだ。その時は、そんな噂は一切聞かなかったぞ」
そんな馬鹿な。
私は、彼に事の顛末をすべて話を聞かせている。
「でも、私が凛子の話をしたとき、津田さん何も反応しなかったじゃないですか。それって、岬の噂を聞いていたからじゃないんですか?」
「いや? そもそも、敷島さんから聞いたのは友達が岬から飛び降りたって話だけで、岬に行ったそもそもの経緯は今初めて聞いたぞ」
今までの会話やあの編集長の飯塚に話した内容を思いだしてみると、確かに一度目に岬に行った話は省略していたような気がする。
だとすると嘘を言っていたのは茜ちゃんの方だったのか?
いや、私にはどうしてもあれが嘘だとは思えない。この話をしてくれた茜ちゃんの恐怖で揺れる瞳を今でも思い出せる。
ならばこの噂は最近流行りだしたものなのか。
しかし、もしそうなのであればあの男性に抱いた不信感は根も歯もない噂に踊らされた結果だったということか。
以前津田が語った人それぞれの真実という話が頭をよぎる。
私は、心の中で苦笑いをした。
「まあ、その噂の真偽はともかく、敷島さんはあの爺さんがその噂話を知っているにも関わらずそれを隠して俺たちを危険な心霊スポットに誘導しているように感じたってことか」
「そうです。だからちょっと何というか、怖かったんです」
「なるほどなあ。しかし、ちょっと出来すぎてるよな」
津田のその一言になぜか一抹の不安がよぎる。
「出来すぎ?」
「ああ。だって、その噂は最近、おそらくここ数年で流行りだしたものだろう? それをたまたま聞いた敷島さんとその友達が岬に行って、しかもそのうち一人がそこから身を投げたんだぞ? まるで、君たちのために語られた怪談のようじゃないか」
まさか、そんな。
部屋は十分暖かいのに、全身に鳥肌がたった。
「や、やめてくださいよ」
「ああ、いや、すまん。忘れてくれ。しかし、そうかそんな噂が……」
私はまだ引かぬ寒気を紛らわすために自分の肩を抱く。
この噂が私達のために用意されたものなだとしたら、いったい誰が何のために?
先ほどのクチナシ様の伝承だってそうだ。何者かが意図的に伝承を捻じ曲げている。
「もしかしたら、咬ヶ島のクチナシ様の伝承も誰かのために意図的に捻じ曲げられたのかもしれませんね」と呟くと津田が「ふん」と鼻を鳴らし、呆れたような声を出す。
「いったい、誰のために……」
しかし、そう言ってから津田の顔色がさっと変わり、やけに真剣な顔になる。
「津田さん?」
「誰かのための伝承、そういう考え方もできるのか。だとすれば、本当に考えるべきは何のために……か」
津田は何かに気が付いたか、弾かれたように机のうえの開かれたままの資料を手に取る。そして、食い入るようにあのバツ印が記された地図を見つめたまま呟く。
「そうか。ずっと不自然だとは思っていたが、もしかしたら、そういうことなのか?」
私は明らかに何かに気が付いた様子の彼に、たまらず声をかける。
「津田さん。どうしたんですか。何か気が付いたんですね?」
「ああ。確信とまではいかないが、気になることがある。これを見てくれ」
そう言って彼はやはりあの地図をみせてくる。
「俺は結構な広範囲にわたって情報を収集したんだ」
確かに地図にはこの港町を中心に満遍なくバツ印が点在している。
「だがな、ここだ」
そう言って津田はある地域を指さす。それは、例の咬ヶ島を臨む港の西、T町の西端の区域である。
T町は深くえぐられた湾に沿って存在しており、そのすぐ南には連なる山々の裾野が迫っている。すなわち、東西に細長いのである。そして、その湾の中央部は山裾が海側にかなり張り出しており、おおよそ人間の生活できるような面積は無い。鉄道と県道が辛うじて一本ずつ通っているのが地図から読み取れる。つまり、このT町は東西に分断されているのだ。そして、咬ヶ島やそれを臨む
しかし、津田が指さす西端の区域、とくに、その山側にバツ印が集中している、ように見える。
興奮したように津田が続ける。
「咬ヶ島から離れているはずなのに、ここだけやけにクチナシ様の、それも咬ヶ島にまつわる伝承が多く伝わってるんだ」
咬ヶ島が伝承の地ならば、そこを中心として噂は広がるはずである。であれば、その中心地から離れた場所ではその噂は薄れるはずである。
「確かに妙ですね」
「そうだろう? もし咬ヶ島という地名が、あとから伝承に意図的に付け加えられたのだとしたら、それは、本当にクチナシ様が現れた場所を隠すためなんじゃないのか?」
「じゃ、じゃあそのお爺さんがいっていたという村は、この辺に?」
「ああ。その可能性はある。だってな……」
そう言って、津田は机の上の赤いボールペンを手に取ると、地図上の一つのバツ印に丸く印をつける。
「その爺さんの家ってのは、ここだ」
そこは、T町の西端、しかも海からは少し離れた山側だった。
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