開花 その五

 その写真の死体にはびっしりと、隙間なく咬み痕が残されている。それも、人間の歯形によく似ている。しかしこれは、人間の仕業ではない。そう直感する。


「この写真、いったい何なんですか……」

「これは俺のかつての恋人だよ」


 津田はそう答えた。その声には何か怒りのようなものが見て取れた。


「彼女は、あんたの友達が失踪したっていう福島県のT市に一人で旅行に行ったきり連絡がつかなくなった。そして約一か月後に死体となって見つかった。そんな姿になってな」


 彼は苦々し気にそう言うと、煙草を力任せにもみ消した。


「俺は、ずっとこの事件の真実を探している。あいつを殺した糞野郎がいるなら、必ず見つけ出して、同じ目にあわせてやりたい。なのに、いくら調べても出てくるのはオカルトめいたクチナシ様なんていう下らない噂話だけだった。俺はどんな小さな手がかりでも欲しかった。だから、あんなくだらない記事をくだらない出版社に売ったんだよ。まあ、今のところ連絡してきたのはあんただがな」


 彼は、彼でクチナシ様という存在に囚われているのだ。


「そう、だったんですね……もしかしたら、私達の事件は繋がっているのかもしれないってことですかね?」

「いや、それはないだろう。あんたの友達は身投げだろう? 別に咬み殺されてはいない」

「咬み殺された? でも、さっきの写真はどう見ても……」

「ああ、水死体に見えたろ? でも、警察の調べによれば溺死ではないんだそうだ。死んだあと海に投げ込まれたんだとよ」


 下唇を嚙みしめる彼の顔は悔しさと悲嘆に暮れていた。


 私は彼にかけるべき言葉を探すが、何もなかった。


 二人の間に流れる沈黙を破るように、私のスマートフォンがカバンの中で鳴る。


 私がちらりと津田を見ると、彼は肩をすくめて「どうぞ」と言った。


 カバンからスマートフォンを取り出しそこに映し出された名前を見て、私は心臓を縮み上がらせる。


 恐る恐る電話に出る。


「瑠璃ちゃん! 私どうしたら!」


 それは、凛子のお母さんからだった。その慌てようは異常だった。


「おばさん、落ち着いてください」

「凛子、何か事件に巻き込まれたのかもしれないって、警察の人が! どうしよう。主人は会社で電話に出ないし。私、もうどうしていいか!」

「とにかく、落ち着いてください。何があったんですか?」

「凛子がね、凛子が見つかったの」

「ほ、本当ですか? 無事なんですか?」


 そう、口走ってから私は激しく後悔する。警察から電話があったと言っていた。しかも何らかの事件性があると言ったらしいのだ。無事であるわけがない。

 電話口で、凛子のお母さんは声を上げて泣き出した。


「凛子が、凛子の遺体があ!」


 遺体。それはつまり、凛子はやはり死んでいたということである。体から力が抜けていく。


「そう、ですか……」

「それでね、警察の人がね、なんか凛子のその身体が変だって言うのよ!」


 後頭部の髪の毛が逆立つ、そんな感覚。これ以上、聞きたくない。そう思った。しかし、このまま電話を切るわけにもいかない。固唾をのんで彼女の言葉を待つ。


「全身に……殺人事件かもしれないって、警察の人が……」


 凛子のお母さんは絞り出すようにそう言った。それから、悲鳴のような泣き声を上げた。


 頭を殴られたような衝撃。頭が真っ白になる。なにも言えず「とにかく、また後で連絡します」と言って電話を切る。


 煙草を吸っていた津田が私を見て「見つかったのか?」と聞いてきた。


 私は小さく頷いた。


「そうか」と津田は呟き、それ以上何も言わない。


 私はスマートフォンを握り締めたまま、津田を見つめて先ほど聞いた話を伝える。


「凛子が、友人の遺体が見つかったそうです。それで、警察の方が言うには、その全身に人間の歯形がついているみたいです」

「な、に……」


 津田は持っていた煙草を取り落とした。


「おい! あんた、それは本当なのか!」


 津田は大声を出す。


「は、はい」

「朋絵と同じだ……」


 再びの衝撃。


 今、なんて言ったの? 朋絵?


 まさか、彼の言っていた殺された彼女っていうのは――


「草薙 朋絵ちゃん?」


 津田が目を皿のようにする。


「あんた、朋絵を知っているのか?」

「……はい。小学校時代の同級生です。福井県の宿で撮られた朋絵ちゃんの写真を見て私、彼女の痕跡をたどって凛子と一緒にあの町に行ったんです」

「なんてことだ……」


 津田はうなだれ、まだ数本入っているであろう煙草のケースを握りつぶす。

しばらくうなだれていた津田は顔を上げると私を見つめる。そして、こう言った。


「おい、あんた。あんたの追い求める真実と俺の追い求める真実はどうやら同じらしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る