第27話

 十二月四日、日曜日。

 あれから結局、沙緒里さんとは仕事のやり取りしか無かった。メッセージアプリは怖くて開けない。

 会って話すというセッティングが出来ているから、それまで気持ちを落ち着けようとしていた。

 でも、あっという間にこの日を迎えた。正直、まだ心の準備が出来てないけど、沙緒里さんと向き合わないといけない。

 今日こそは、素直になって話すんだ――そう自分に言い聞かせて、マンションに向かった。絶対に負けると思ってたサッカー世界大会だってこの国が奇跡的に勝ったんだから、わたしも何とかなるでしょ。

 日曜日の夜とは言われたけど、具体的な時間までわからない。とりあえず、午後七時頃に着いた。

 客人だから、インターホン鳴らせばいいのかな? いや、客人でもないな。迷った挙げ句、手元の鍵で部屋の扉を開けた。


「ごめんくださーい……」


 ヤバい。ここまで来たのに、緊張してかしこまってしまう……。

 気後れしていると、アミちゃんが玄関まで出迎えてくれた。可愛らしい姿に、ちょっとだけ気分がラクになった。

 でも、玄関から見えるリビングはなんか暗くて、不安になった。だ、大丈夫かな……。

 恐る恐るリビングに入ると、暗い理由がわかった。


「わぁ」


 リビングの天井の灯りは、確かに点いていなかった。

 代わりに、間接照明って言うのかな――テレビの裏側とその反対の壁に、暖色のスポットライトが照らされていた。そして、テーブルには、電気タイプのキャンドルライトが置かれていた。テレビは、動画サイトからジャズの音楽を流していた。

 超オトナな雰囲気で、いい感じじゃん! なんか、オシャレなバーみたい。

 それなのに――部屋は異様にニンニク臭かった。せっかくのムードを、完膚なきまでにぶち壊している。というか、この匂いは絶対にアミちゃんが可愛そうなやつでしょ。


「もうちょっと待ってくれ。今、焼くとこだから」


 キッチンでは、エプロン姿の沙緒里さんが何やら料理をしていた。わたしが来たというのに、意外と落ち着いた様子だった。あの怪文書を送ってきた人物には、とても見えない。


「何を焼くんですか?」

「ギョウザ」


 沙緒里さんは具を皮に包んだものをひとつ、わたしに見せた。市販のものじゃなくて、手作り感がある。

 なるほど、だからニンニク臭かったんだ。どんだけ増し増しにしたんですか? ていうか、なんでギョウザ? 理解できない……。

 呆れかけたけど――ふと、思い出した。

 そうだよ。先週ここを出ていく直前にギョウザ食べたいって言ってたの、わたしじゃん……。何も、今日この場じゃなくてもいいと思うけど。

 それでも、沙緒里さんがちゃんと覚えていて、わたしのために作ろうとしていることが、素直に嬉しかった。


「ちょっと――焼くのは待ってください」


 たぶん、フライパンにギョウザを並べているんだろう。沙緒里さんの手を止めた。

 というか、今から普通にギョウザ食べる流れだったの? そりゃ、お腹の空いてきた時間だから、お腹いっぱい食べたいけど。良くも悪くも緊張感が解けて、調子が狂う。


「先に、話をしましょう」


 とても、ギョウザを食べながらする話じゃないと思う。わたしと沙緒里さんにとっての大事な話を終えてから、食べたい。

 ゆっくり味わえるよう、ちゃんと話を終わらせたい。


「そうだな……」


 沙緒里さんは小さく苦笑すると、エプロンを脱いでリビングへ出てきた。

 わたしもコートを脱いだ。沙緒里さんとソファーに並んで、向かい合うように座った。

 沙緒里さんがテレビ消して、部屋は静かになった。


「ちょっと見せて貰っていいですか?」


 とりあえず、沙緒里さんのニットの袖を、左右順に捲った。

 よかった……。どっちの腕にもリストカット跡は無かった。

 あれだけヘラっていたから、もしかしたらバカなことをしたんじゃないかと心配だった。わたしのせいで物理的に傷がついたなら、申し訳ないどころじゃない。ちょっとだけ、安心した。

 沙緒里さんはきょとんと首を傾げているけど、どういう意図で袖を捲ったのかは黙っておこう。


 さて――何から話そう。

 リストカットが無いにしても、申し訳ない気持ちなら、とってもある。だから、沙緒里さんよりも先に、わたしから口を開きたかった。


「いきなりキレて部屋を飛び出したことは……すいませんでした」


 とりあえずは謝罪だ。

 課長という身分の人を二日も休ませたことには、わたしにも少なからず責任がある。素直に頭を下げた。


「だから……わたしをこの部屋から追い出そうとして理由を、正直に話してください」


 顔を上げた後、沙緒里さんをじっと見た。

 悪いのは、わたしだけじゃない。沙緒里さんの態度が急変した理由に納得したい。

 そりゃ、確かにわたしが部屋を探すまでの一時的な同棲だという体だったけれども……。それにしても、いきなりの挙げ句に、嘘バレバレの言い訳まで出すのはどうかと思う。


「私の方こそ、黙っていてすまなかった……。正直に話すと……キミに依存しそうになっていたから、ちょっと距離を置きたかったんだ」


 沙緒里さんはいたって真剣に話した。

 表情だけじゃなくて、言葉の内容からも、本当なんだとわかった。

 欠けたパズルのピースのように、すっぽりと気持ちよく嵌った感じだった。

 ああ、そうだった。最近は何を決めるにもわたしに振ってきたり、それに従ったり、際どい位置にキスマークを残したり……。そのような行為を『依存』と呼ぶんだと、妙に納得した。

 それに、メンヘラは誰かに依存しやすいと聞いたことがある。本当の話だったんだ、あれ……。当事者になっても、自覚がなかったや。

 もしもあのまま近くに居れば、確かに沙緒里さんの依存はエスカレートしていたと思う。交際を続けたいけど距離を置きたいという言い分は、まさか嘘じゃなかった。


「それで……今はどうなんですか? やっぱり、わたしと距離を置いた方がいいですか?」


 一瞬しか見なかったけど、あの怪文書の冒頭には、帰ってきて欲しい的なことが書かれていたような……。時間が経って、何か心変わりでもあったのかな?


「ううん。キミとは近くに居たい。……ひとりで頭を冷やして、よくわかったよ」


 沙緒里さんは、首を横に振った。


「こんなこと頼むの、どうかと思うが……キミの方で、私を制御して欲しい。いきすぎたら、問答無用で叱ってくれ」


 そして、なんだか不安げな奥一重の瞳を、わたしに向けてきた。

 なるほど……。落とし所としては、無難だと思う。自分自身を変えられない代わりに、事情を素直に話したわけだ。


「もちろん、キミがよければ――だが。嫌なら嫌で、構わないよ」


 ボソボソと付け加えて、沙緒里さんは俯いた。

 はぁ……。ほら、また卑屈になってる。選択権を委ねるのは優しさや気遣いじゃなくて、卑怯なんですよ? ガツンと自分の意思を通して欲しいけど……まあ、無理か。

 要するに『メンヘラな私の世話をして構って』という主張だ。負担を考えればバカみたいな要望だと思う。

 答えなんて、分かりきってるじゃん!


「沙緒里さんはわたしにとって、ただのアクセサリーでした」


 わたしは答える代わりに、カミングアウトした。


「ぶっちゃけ『沙緒里さんみたいないい女と付き合ってるわたし凄い』みたいな優越感を持ちたいがための道具だったんですよ!? 沙緒里さんは、わたしに利用されてたんです!」


 あれ? こうやってぶち撒けると……なんだか、目の奥が熱くなってきた。

 罪悪感だけじゃない。いざ話してみると、この返答で――沙緒里さんがブチギレてわたしに愛想を尽かせるのが、わかっていたからだ。これはカミングアウトというより、懺悔になる。

 後悔は無かった。沙緒里さんが正直に話してくれたみたいに、わたしも話すのが筋だ。それだけは、きっちり通そう。

 でも……結末を予想すると、涙がボロボロと流れて、俯いた。

 そんなわたしの頬を、沙緒里さんが両手でそっと包んだ。そして、わたしの顔を上げた。


「うん。知ってる」


 薄暗い部屋で――間接照明とキャンドルライトの暖色が、沙緒里さんのとっても優しい微笑みを照らした。


「それでもいいんだ……。だから、私の側に居て欲しい」


 わたしを気遣っての言葉じゃない。この人は、何であれ純粋にわたしを求めている。

 それを知ってなお、これからも利用するなんて、わたしには出来ない。だったら、離れるべきなんだけど――それは嫌だ。

 そう。答えなんて、とっくに決まっていた。

 わたしは沙緒里さんと、この部屋でまた一緒に暮らしたい!

 でも、口には出せなかった。相反するふたつで、頭の中がいっぱいいっぱいだった。もうどうすればいいのか、自分でもわからなかった。


「今日が何の日か、わかるか?」


 溢れる涙を拭っていると、沙緒里さんからふと訊ねられた。

 いや、知りませんけど……。あれ? サッカーの中継、今日だっけ? 今やってます?

 早々に降参して、首を横に振った。


「十二月四日……付き合って二ヶ月記念日じゃないか」


 そういえば、そうだった。すっかり忘れてた。


 ――四日でちょうど一ヶ月でしたよ。


 一ヶ月ぐらい前は、拗ねる理由として、こじつけた。

 本当にどうでもいいことだったのに、沙緒里さんは律儀に覚えていてくれた。流石は、仕事の出来る女だ。


「模様替え、頑張ったんだぞ?」


 このリビングは何事かと思ったけど……そういうことだったんだ。

 部屋のムードを台無しにしてギョウザを作ったのも、この日を祝うためだったんだ。

 超嬉しいサプライズじゃん……。沙緒里さん、どんだけ優しいんですか……。

 そうだ。いつだって、沙緒里さんはわたしに優しかった。わたしのためを思って、動いてくれていた。

 これまで、どれほど恵まれていただろう。とっっっっっても大切にされてたんだ……。最高の幸せ者じゃん、わたし。

 バカみたいに涙が溢れるけど、なんで泣いてるのか、もう自分でもよくわからなかった。ただ、加速する感情が向かう先は、ひとつだった。

 ああ、ヤバい……。二ヶ月記念日なんか祝われたら……このままだと、ガチで惚れてしまう。


「沙緒里さん、好きです!」


 ガン泣きしながら、普通にコクってしまった。最高にカッコ悪いなぁ。

 思えば、キスにエッチに同棲に……恋人らしいことは散々してきたけど、ちゃんと気持ちを伝えたことあったっけ? 最初はそんな気持ちなんて無かったんだから、当然だ。

 でも、今は――いや、今に始まったことじゃない。いつの間にか、沙緒里さんのことが損得無しで好きになっていた。ワケがわからず拗ねたり怒ってりしたのも、そのせいだ。やっと気づくなんてバカだな、わたし。

 ヨコシマな目的で沙緒里さんを利用していたことに、後ろめたさがあった。

 確かに最初はそうだったけど、今の気持ちには自信が持てる! もう迷わない!


「本当に好きです! だから、沙緒里さんがよければ、側に居させてください!」


 わんわん泣きながら、本心を口にした。

 そう。選択権はわたしじゃなくて、沙緒里さんにある。こんなわたしを、どうか許してくれませんか?

 懇願するわたしに――沙緒里さんから、そっと唇を重ねられた。

 約一週間ぶりのキスだった。この感触を、忘れるはずがない。懐かしさと一緒に、嬉しさも込み上げてくる。


「もう一度、ここでやり直そう」

「はい!」


 ふたりで正面から抱き合った。

 沙緒里さんのことが好き好き! 世界で一番大好き!

 この人がメンヘラだろうと、構わない。この人だから、好きになった。

 もう二度と離したくないと思った。


 その後、沙緒里さんがギョウザを焼いた。ふたりで、ハイボールと一緒に食べた。

 部屋はいい感じなのに、超ニンニク臭くて、それでも手作りギョウザは超美味しくて、とにかく楽しくて――なんともわたし達らしいと、実感した。

 どれだけくだらないことでも構わない。沙緒里さんと一緒なら、それだけで幸せだ。

 こうして、わたしは沙緒里さんの元に戻ってきた。

 お互いの気持ちも整理できたし、ちゃんと同棲することになったし、これからの生活に期待が膨らむ。

 さあ、ふたりで一緒に幸せになりましょう!


「そうだ。今月から、家賃ちょっと出して貰ってもいいか?」

「あっ、はい……」



(第09章『このままじゃわたしはガチ惚れしてしまう』 完)


次回 第10章『幸せすぎて私死ぬかもしれない』

沙緒里は美香への気持ちを確かめる

(以降、最終話まで毎日更新します)

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