第04章『公然猥褻罪だと私は思う』

第10話

 十月二十五日、火曜日。

 午後七時頃、私は帰路を歩いていた。

 今月の売上目標があまりよろしくないため、今日も部長と専務からネチネチ言われた。

 確かに、国内営業課ウチにも落ち度はあるよ? でも、製造部だって今月あんまりだろ? 売ろうにも在庫無いのに、どうしろと? 大体、あんたらがいっつも無茶な目標立てるのが、世界で一番悪い!

 と言えるわけがなく、ヘラヘラ愛想笑いを浮かべながら頭を下げておいた。ああ、今日も心が折れた……。

 毎晩胃が痛いこともあって夜はあんまり食べないが、小林さんが割と食べるから、夕飯も用意しないといけない。

 あの子はもうちょっと痩せたらいいのに……。ていうか、私より先に帰ってるんだから、作って待ってればいいのに。いい加減、料理を覚えて欲しいな。

 スーパーに寄るが、今日は惣菜がもうほとんど無かった。仕方なく、鮭とシイタケとしめじ、そして酒を買って帰った。


「ただいまー」


 以前、小林さんを泣かせることがあったから、気分をマイナスからゼロに無理やり戻してる。どう頑張ってもプラスには振れないから、これで許して欲しい。

 帰宅してリビングが明るいことには、もう慣れた。というか、いつからか灯りに安心感を持つようになっていた。


「おかえりなさい、沙緒里さん」


 リビングのソファーには、何やら全身真っ白な人物が座っていた。

 よく見ると、フリースだろうか――ウサギの着ぐるみを着た小林さんだった。垂れた長い耳の付いたフードまで被ってるから、ウサギだとわかった。

 帰宅早々、私は頭が痛くなった。


「じゃーん! これ、可愛いでしょ? さっき届いたんですよ」


 小林さんは立ち上がると、両手を頭にやってピョンピョンとウサギの真似をした。

 帰宅直後にそのテンションはウザい! でも、可愛い!

 私は複雑な心境で――シラけた目で小林さんを眺めた。


「沙緒里さんは、ネコちゃんですよ」

「は?」


 リビングの隅にある半開きのダンボール箱を、アミが興味有りげに覗き込んでいた。

 小林さんはアミを退けて、ダンボール箱から中身を取り出した。ビニール袋に梱包されている黒いそれは、小林さんの言葉からネコの着ぐるみだと理解した。


「さあ、お風呂に入ってこれに着替えてください!」

「誰が着るか!」

「えー。せっかく買ったんですよ?」


 そういえば、今日は給料日だった。他者ひとが何に金を使うのかは自由だが、その使い方は私には理解できない。

 というか、そんなの買うぐらいなら、少しでも家賃を出して欲しい。いや、それはいいから早く部屋を探して欲しい。


「まだ開けてないなら、返品できるだろ……」

「そんなこと言わずに、一回だけ! 一回でいいから、着ましょうよ!」


 私は小林さんの猛プッシュを躱して、自室でスーツを脱いだ。そして、着替えを持って洗面所に向かった。

 風呂から上がると、ランドリーバスケットに置いておいたスウェットの上に、黒くてゴツいものがあった。風呂に入っていた時、何やらゴソゴソと気配はあったが、こういうことか。

 ふんっ、バカらしい……。

 私はショーツとキャミソールを着ると、スウェットに手を伸ばすつもりが――黒いものを取り、とりあえず広げてみた。

 思ってた通り、大きいな。私の身長は百六十五センチだが、サイズ的に着れないことはないのか。着ぐるみの両肩をつまんで、鏡の前で合わせてみた。

 前のファスナーを下ろして足を通したのは、気まぐれであり興味本位でもあった。

 腕まで通して、ファスナーを上げて……とりあえず『試着』してみた。やっぱり、サイズ的には問題無いようだ。ていうか、意外と暖かいな。

 着れたことを確かめると――私はドキドキしながら、フードを被ってみた。

 なるほど。これも、耳がちょんこんと付いてるのか。両手でつまんでみた。

 ああ、ネコちゃんだ! ネコちゃんが居る! こんな私でも、ちょっとは可愛く見える! ファンシーな力、凄いな!


「にゃんにゃん……さおりんだにゃん……」


 小声でブツブツ呟きながら鏡に向かって、両手をネコの前足のように動かしてみた。

 あれ? 着てみると、なんか楽しいな。謎にテンションが上がるぞ。

 小林さんが寒いことをやってたのも、わからなくもない――と思った途端、洗面所の扉が少し開いていることに気づいた。

 ドン引きの視線を感じた時には、もう既に遅かった。唖然とした表情の小林さんが、こっそり覗いていた。

 小林さんと目が合って、私は両手をぱたんと下ろした。


「……ご飯にしましょうか」

「スルーかよ!」


 似合わないだろうが、何か一言ぐらい感想が欲しい。無関心が一番堪える。

 まったく……用意しておいて、ひどい奴だ。会社の時より心が折れそうになった。


 結局、私はネコの着ぐるみを着たまま、夕飯を作った。

 今夜は、鮭とキノコのバター醤油炒めだ。小林さんは白米食べるし、私は酒を飲むし、どっちにも合うだろう。

 ダイニングテーブルで小林さんと向かい合って座り、夕飯にした。


「また急に……どうしてこんなもの買ったんだ?」


 私はストロングなレモンチューハイを開けて、一応訊ねた。

 小林さんのことだから、きっと理由なんて無いんだろう。なんとなく、と返ってくると思っていた。


「今週末、ハロウィンじゃないですか。コスプレしなきゃ、ですよ!」


 予想に反して明確な理由があるようだが……どこからツッコんでいいのか悩んだ。


「キミの場合こんなの着なくても、オフの私服が充分コスプレじゃないか」


 とりあえず、順に潰していこう。真っ先に浮かんだことが、それだった。

 相変わらず、休日の度にフリル増し増しな衣装を着て、平気な顔で出かけてる。見てるこっちがイタい。この前来た妹の美結さん、どうして姉がこうなるまで放っておいたんだ……。


「え? わたし、コスプレなんてしましたっけ? 何のキャラですか?」

「それは知らないが……。何かのコスプレじゃないのか?」

「別に、コスプレなんてしてませんけど……」


 頼むから、真面目にきょとんとするの、やめてくれ。私がバカみたいじゃないか。

 どうやら本人に、そのつもりは無いらしい。余計にタチが悪いぞ。


「そうじゃないにしても、ハロウィンにコスプレって……なんか違わないか?」


 昔に比べてこの国にもハロウィンが浸透してきているが、実態は小林さんの思ってる通りだ。

 それっぽい仮装をして大通りに集まってウエーイと騒ぐ。収穫祭が何をどうしたらそのようになるのか、理解に苦しむ。

 まあ……何にしても、私なんかには縁のないイベントだ。


「むしろ、ハロウィンにコスプレしないで何するんですか? トリックオアトリート?」

「すまない……。もう忘れてくれ」


 この子に社会人としての常識を求めたことが間違いだった。

 だから、小林さんの尺度で考えることにしよう。実際にこの格好をしてみて、私も少なからず楽しんでいる。言われてみれば、確かに『世間一般』のハロウィンっぽさは一ミリぐらい感じる。

 ただし、あくまでも自宅という空間でだ。間違っても、部屋から出て他人の目に触れたくない。ていうか、小林さん以外に見られたら死ぬ……社会的に。


「ということで、次の日曜日、ハロウィンのコスプレデートしますよ!」


 は? また何を言ってるんだ、この子は。もう嫌だ。台詞の意味を理解したくない。

 そもそも、百歩譲って『しませんか?』だろ? どうして『しますよ!』の確定事項になってるんだ? 私に拒否権は無いのか!?


「……具体的には?」


 食事が一気に不味く感じる中、恐る恐る訊ねた。


「あの『夢の国』ですよ! 沙緒里さんの分も、チケット買っちゃいました。わたしが誘ったんですから、わたしが出します!」


 小林さんが、有名なテーマパークの名前を出した。

 確かに、ハロウィンシーズンになると――というか割と年がら年中――テレビで取り上げられてるような気がする。コスプレの客が居ても、不思議じゃないな。

 小林さんがスマホの画面を見せてきた。言葉通り、日曜日のチケットが二枚購入済みだった。私には拒否権どころか逃げ道も無いようだ。


「チケット代、そんなにするのか……」


 ひとりあたり、大体一万円だ。びっくりした。

 お金を何に使うかは自由だが……やっぱり私には理解できない。というか、給料日に羽振り良すぎだろ。


「昔に比べて、値上がりしましたよね」

「へぇ。そうなのか?」

「……ちなみに沙緒里さん、最後に行ったのいつですか?」


 そこに気づくとは、案外頭いいな。


「二十九年の人生で一回も行ったこと無い」


 生まれも育ちも遠い所だから、幼い頃は縁が無かった。だが、大学以降はひとりでこっちに移り住んで、行こうと思えば行くことは可能だった。

 それでも、様々な事情から、行く機会の無い人間だって存在する。

 私は何らおかしくない――そう堂々とするも、小林さんからドン引きの視線を向けられて、察した。


「一回ぐらい行っときましょうよ。わたしみたいにソロでもいいじゃないですか。全然楽しめますよ」

「それは逆にハードル高い……」


 むしろ、その選択肢があることに驚いた。イタい以上に、小林さんの行動力が初めて凄いと思った。


「まあ、初めてなら超楽しいですよ! わたしプロなんで、任せてください!」


 小林さんは意気込むも――私の中で昔からある、そのテーマパークのイメージが拭いきれない。

 人混み凄くて、アトラクションに何時間も並ぶんだろ? バカみたいじゃないか。。

 それでも、楽しそうと全く思わないわけではない。何が何でも行きたくないわけではない。

 小林さんと一緒なら……もしかしたら、楽しめるかもしれないな。小林さんの明るい笑顔を見て、私はほんのちょっとだけ楽観的に考えてみた。しかし――


「行くにしても、コスプレデートって何だ?」


 有耶無耶に流しそうになっていた。本題はこっちだ。


「わたし、ハロウィンらしくコスプレするんで、沙緒里さんも一緒にしましょうよ! ふたりでなら、絶対に注目集めますから!」

「断る!」


 テーマパークを楽しむんじゃなくて、注目を浴びるのが目的なんだろうな……。最近、段々とわかってきたぞ。

 小林さんとしても、一度拒まれた以上は私が折れないことをわかってるだろう。頬をぷくっと膨らませるも、食って掛かってこなかった。


「ちなみに、何のコスプレするんだ?」


 私服アレがコスプレじゃないと主張する人間がマジでコスプレするとなれば――恐ろしい。

 まさかと思い、ウサ耳の付いた着ぐるみのフードに目をやった。今の格好で外に出る、なんて言うんじゃないだろうな!?


「これじゃないですよ。……ていうか、一緒にやってくれないならヒミツです! 当日、わたしの可愛さに絶句してください!」

「ノーコメントだとしても……最低限のTPOは弁えてくれよ? 入場拒否になるのはゴメンだからな」

「あっ、それは大丈夫なんで安心してください」


 本当か? ニッコリと笑う小林さんが、なんだか不安だった。

 それにしても……夢の国かぁ。これまで縁が無かったが、初めて行くんだなぁ。

 食後、ソファーで茶を飲みながら、しみじみと思った。三十を目前に、凄いことじゃないか。

 わたしはスマホで、とりあえず公式サイトを見た。

 へぇ。いろんなアトラクションがあるんだな。

 ……ヤバい。どれも楽しそうだ。もうどこかに消え失せたと思っていた童心が、疼いた。辛い月末を乗り切るためのモチベーションになりそうだった。


「沙緒里さん、興味津々じゃないですか」


 洗い物を終えた小林さんがやってきた際、画面が目に入ったようだ。グフグフと、気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 私は反射的に、画面を伏せた。


「こ、これは違う!」


 ……未だに黒ネコの着ぐるみ姿なんだから、拒んでも説得力が無いことはわかっている。


「ほら。これなんて超楽しいですよ」


 小林さんはソファーの隣に座ると、自分のスマホで動画サイトを見せてきた。

 何かのアトラクションの撮影だろうか――ファンシーな様子が移り変わる様が映っていた。


「バカ! ネタバレしたら楽しめないだろ!」

「ネタバレじゃないですよ。楽しむための予行演習です。どこで歓声上げるのか、今からシミュレートしましょう」

「マジでやめろ!」


 私はそう言いつつも、画面から視線を外せなかった。

 初めて見る映像は、それぐらい釘付けになったいうか……魅力的なんだから、仕方ない。

 ヤバい! 早くこれ乗ってみたい! 自分の目と身体で味わいたい!


 次の日、私は仕事帰りに本屋でガイドブックを買った。

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