第08話

 十月二十一日、金曜日。

 正午を過ぎた昼休憩、わたしはいつも通り、オフィスの休憩室でランチをしていた。椅子とテーブルと自販機と喫煙スペースがあるだけの――おしゃれ要素ゼロの素朴な場所だ。


「はー……。あと半日で一週間終わるのに、あと半日がしんどい……」

「小林さん、曜日なんて関係ないでしょ? いっつもダルそうじゃん」


 うるさいな。わたしは体力の無いか弱い女の子なの!

 隅の席で向かい合って一緒にコンビニ飯を食べてるのは、同期で経理課の鈴木すずきだ。わたしよりちっちゃいのに、ウルフカットの裾が今日も外側に超ハネていてウケる。毎朝、巻きまくってるんだろうなぁ。


「それよりもさ……小林さん、今週も米倉課長とデートなの?」


 鈴木が周囲をキョロキョロと警戒した後、小声で訊ねてきた。

 この子には、わたしのSNSアカウントも配信チャンネルも、会社で唯一教えている。SNSにアップした謎のツーショット写真が沙緒里さんとだと、勘づいてるようだった。


「誰かは言えないけど、今週も彼女ちゃんと一緒だよ」


 わたしはクスクスと小さく笑った。……コラ鈴木、ウザそうな目でわたしを見るんじゃない!

 社内恋愛禁止というわけじゃない。でも、沙緒里さんは上司だし、社内に波風を立てたくないし、まだ社内の誰にも付き合ってることは言ってない。

 本当は今すぐにでも大声で言いふらしたいのを、必死に我慢してる。けど、まあ……鈴木が食いついてくるのを思わせぶりな態度でマウント取るのは、これはこれで気持ちいい。

 察してるんでしょ? 美人で課長な沙緒里さんだから食いつくんでしょ? あんたじゃ絶対わたしに勝てないよね?


「今週はね、わたしの家族に会って貰うの」


 昨日の今日で決まった話だから、まだ沙緒里さんに言ってないけど……。まあ、涙目でお願いしたら、聞いてくれるでしょ。


「へぇ……。課長も大変だね。同情するよ」


 おい鈴木、お前に沙緒里さんの何がわかるっていうの!? 知ったような口を叩くんじゃない!

 わたしはキレそうになっていると、サンドイッチを持っていた鈴木の手がふと止まった。


「ちょっと、小林さん……。米倉課長が、すっごいこっち見てるんだけど……」


 そして、わたしの背後をチラチラ見ながら、なんか引き気味で話しかけてきた。

 わたしは振り返ると、スラッとしたシルエットと前髪無しショートのひし形の顔が、確かに遠くに見えた。自販機の前に立って、こっちを眺めていた。

 ただし、物凄い呆れ顔だ。もう、半分変顔の域じゃん。そりゃ、鈴木もビックリする。

 いやいやいや、その顔はマズいでしょ。会社では、クールなバリキャリのイメージ守ってくださいよ。

 あれはたぶん、昨晩わたしが居なかったから寂しいんだろうなぁ。わかるよ、沙緒里さんの気持ち。……そう思うことにしよう。

 わたしは明るく微笑むと、沙緒里さんはふいっと消えていった。

 週末は目前なのに、ありゃ相当参ってるな。


「……たぶん、鈴木に恨みでもあるんじゃない? 課長の席を奪ったんだしさ」

「だから、それは私が入社する前の話だって!」


 誰から聞いたか忘れたけど、沙緒里さんは新卒で経理に入った後、二年で営業に異動になったらしい。

 まあ、どう考えても営業向きの人間じゃないよね。ああ、なんて可愛そうな沙緒里さん。

 とりあえず、鈴木が全部悪いということにしておこう。



   *



 わたしはいつも仕事が終わると、午後六時半頃に沙緒里さんの部屋に着く。そして、沙緒里さんは午後七時過ぎから半ぐらいに帰宅する。

 でも、今日の沙緒里さんは午後八時過ぎに帰宅した。いつも、会社で絶対に見ない死にそうな顔で帰ってくるけど、今日は特にひどかった。

 わたしはちょっと引きながら、アミちゃんと出迎えた。


「お、おかえりなさい、沙緒里さん。一週間、お疲れさまでした!」

「キミらが売上すうじさえ出してくれたら、私は上から突かれないで済むのに……」


 ブツブツと小声を漏らしたり、ひどくやつれていたり、まるでゾンビみたいだった。

 そっか……今月も、終盤に近いもんね。中間管理職は大変ですね。たぶん、昼間もコレだったんだろう。


「大体、機会損失が多すぎるんだ……。需要予想が甘すぎる……」

「沙緒里さん、お風呂の準備はできてます! 嫌なことは、お湯で流しましょう!」


 お風呂を沸かしておいたわたし凄い! いい女すぎる!

 スーツのジャケットを脱がせて、沙緒里さんをとりあえず自室に追いやった。……これ以上放っておくと、わたしまで気が滅入りそうだった。わたしも一緒に風呂に入るつもりだったけど、今日は自重しておこう。

 沙緒里さんが風呂に入ること、約四十分。ヘアバンドとスウェット姿の沙緒里さんがリビングに現れた。

 アラサーのすっぴんなのに、相変わらず美人だなぁ……と一瞬見惚れるも、リフレッシュ感は全く無くてゾンビのままだった。


「お腹空きましたよね? 冷食買ってきたんで、食べましょう」


 夕飯はこれまでずっと、沙緒里さんが作ってきた。でも、今日は気合を入れて、わたしが準備するつもりだった。


「いや、いい……。酒とポテチで充分だ」


 沙緒里さんは冷蔵庫からストロングなレモンチューハイと、棚から堅いポテチを取り出した。どっちも買い置きしていたものだ。

 まあ、朝は割としっかり食べてるから、夜はこんなメニューでもいいのかな? 肌荒れが心配だけど、口を挟める雰囲気じゃなかった。本人の意思を尊重しよう。


 沙緒里さんがソファーに座って、テレビを点けた。わたしもホワイトサワーの缶を持って、隣に座った。

 テレビでは、曜日と時間的に地上波で映画が放送されていた。よく知らないけど、サムライ漫画の実写映画だ。

 チューハイの缶とポテチの袋を開けた沙緒里さんは、テレビを観る様子もなく晩酌を始めた。わたしも、観る気にはなれなかった。

 うう……。明日のこと、言い出しにくいなぁ。

 仕事終わりでここまでヘラってるとは、予想外だった。偉い人から、どんだけ言われたんだろう……。部下として、ちょっとだけ同情する。

 いっそ、酔い潰れたところで言って『伝えた事実』だけ作ろうとも考えたけど、流石にそれはダメだ。


 というか、沙緒里さん……隣に座ってるのにわたしのこと無視ですか?

 まあ、これだけヘラってると、マジで眼中に入らない状態なんだろう。たぶん、わざとシカトしてるわけではないはず。

 そうわかってるんだけど……わたしはちょっとモヤモヤした。


「……明日は何か、予定ありますか?」

「すまないな……。一日、ボーッとさせてくれ」


 こっちを見ないで返事するし……。はいはい、そうですか。

 ……あれ? なんか泣けてきた。

 演技じゃなくて、マジなやつ。わたしの意思に反して、涙がボロボロ溢れた。


「こ、小林さん!? どうしたんだ!?」


 ハッとした沙緒里さんが慌てるけど、もう遅い。普段と違ってこの泣き顔は本当に恥ずかしいから、わたしは顔を両手で覆った。


「仕事が大変なのはわかります……。でも、素っ気ない態度取られるのは嫌です……」


 勝手に押しかけておいて、なんとも自分勝手なことを言ってる自覚はある。

 それでも、沙緒里さんに構って貰えないと寂しかった。あー、泣きながらこういうこと言うの、死ぬほど恥ずかしい……。


「すまない、私が悪かった。もうこんな真似しない」


 オドオドしちゃって、沙緒里さん可愛い。普通、わたしにキレるところですよ? 優しすぎでしょ。カッコよすぎるー。

 でも、泣いてる彼女ちゃんを抱きしめないのは、ちょっとマイナスかな。背中をさすりながら、顔を覗き込もうとしてるのは及第点だから、まあいいか。ていうか、マジで恥ずかしいから見ようとしないで……。

 しばらくして、わたしは泣き止んだ。このタイミングはだいぶ卑怯な気がするけど、ちょうどいい機会だから、明日のこと言っちゃおう。マジの泣き顔を誤魔化しちゃおう。


「それじゃあ……明日ここに妹来るんで、会ってください」

「は?」


 沙緒里さんはポカンと口を開けた。まあ、そうなりますよね。


「大変なんですよ! 沙緒里さんがわたしを騙してるって疑って、連れて帰ろうとしてるんですよ! わたしの彼女ちゃんらしく、ビシッとキメちゃってください!」

「いや……強制送還でよくないか?」


 呆れ顔の沙緒里さんを半泣きで見上げると、なんだか安心した。

 会話の中身はアレだけど、とりあえずいつもの感じに戻ってくれて、よかった。


「よくないですよ! わたしと一緒にここでご飯食べて、寝て、エッチなこともしてるんですから……。立派な恋人じゃないですか!」


 責任取ってくださいと言わんばかりに、わたしはウルウル上目遣いで訴えかけた。いつも通り、これでいけるでしょ。


「小林さんさ……。ちょっと改まった話をしようか」


 でも、今日は違った。沙緒里さんはソファーに並んで座ったまま、困った表情で向き合ってきた。

 え? なに? マジなやつ?

 どうにか誤魔化したいところだけど、考えている内にタイミングを見失った。仕方なく、わたしも向き合った。


「小林さんとこうすることになってから、確かに私の生活は良くも悪くも変わったよ?」


 悪くもって……良いように変わった、だけでよくない?


「正直、どっちかというと小林さんと居るのは楽しい。……だからこそ、不安になるんだ」

「どういうことですか?」

「無茶苦茶だしウザいこともあるけど、キミは私の手を引っ張ってくれる。それには感謝してる」


 皮肉にしか聞こえないのは、どうしてだろう。ていうか、前半言いたいだけだったりします?

 わたしは腑に落ちない感じで、沙緒里さんの言い分を聞いた。


「キミはとても眩しい。でも……私はキミに、何もしてあげられない。貰ってばっかりで、何も返せない。私は仕事以外に取り柄の無い、ちっぽけな女だから……」


 そう言いながら、次は沙緒里さんがボロボロ涙を流した。お酒はまだあまり飲んでないから、シラフ寄りというか……シラフ経由で、またヘラってる。

 沙緒里さんが謙遜してるわけじゃないと、なんとなくわかった。純粋に、自分に価値が無いと思い込んで卑屈になってるだけ。ファッションメンヘラなわたしはまだ理解ある方だから、そう思う。

 自己肯定感の無さはメンヘラの特徴と言えば、それまでだけど……沙緒里さんなりに考えて苦しんでるように、わたしは感じた。だって、この人わたしと違って頭良いんだもん。

 ただ、何にしても……最高に面倒くさいなぁ。


「沙緒里さん、難しく考えるのはやめましょう」


 わたしは泣く沙緒里さんを、そっと抱きしめた。


「別に、貰ってばっかりでもいいじゃないですか……。恋人ってたぶん、そういうもんですよ?」


 経験や根拠は無いけど、もっともらしい台詞を口にした。

 ソウルなんちゃらだっけ? なんか胡散臭いこと、言ってたな。沙緒里さんの恋人像は、きっと対等な関係なんだろう。

 でも、そういうのを求めるとキリが無いと思う。


「沙緒里さんに何も期待してないわけじゃありません。むしろ、わたしは沙緒里さんからの愛情を充分に貰ってますから、安心してください」


 上司としての優しさとか、寝床とか……。正体はとても言えないけど。


「前も言いましたけど、少しずつでいいじゃないですか……。わたし達似たもの同士なんですから、ゆっくり歩いていきましょう」


 わたしは沙緒里さんの頭をナデナデしながら、それとらしく言った。

 沙緒里さんはわたしの服を掴みながら、腕の中でコクコク頷いた。


「ありがとう、小林さん……。私、キミに相応しい女になるように頑張るから」


 そうそう。沙緒里さんはわたしより格下なんですからね? そこのところ、しっかり自覚しておいてください。この優越感がたまらない。

 はー、チョロくて助かる。だんだん、このメンヘラ女の扱い方がわかってきた。これからも、もっと懐柔していこう。


「ということで、まずは明日、妹来るんでよろしくお願いしますね」

「……」

「そこも頷きましょうよ!」


 まさか、この人もファッションじゃないよね? そんな疑念が頭を過るも、一瞬。

 明日、沙緒里さんを美結と会わせて本当に大丈夫かなぁ。ふたりを知ってるからこそ、どうも不安だ。

 特に、妹ちゃんが変なこと言わなければいいんだけど……。

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