第05話

 十月七日、金曜日。

 結局、小林さんとはこの二日間、何も無かった。

 仕事での絡みが全く無いわけじゃないし、別に避けているわけでもない。あくまでも、いつも通りの距離感だった。

 あの夜のことが、段々と曖昧になってきた。もしかしたら、何か夢でも見ていたのかもしれないな。

 そのように思いながら、週末の帰路を――スーパーで買い物したものが入ったエコバックを片手に、歩いた。

 午後八時過ぎ。一週間の仕事を終えた私は、開放感よりも疲労感に押し潰されそうになりながら、自宅の扉を開けた。


「は?」


 暗いはずのリビングが明るい……ていうか、柵の内側にダンボール箱がいくつか積み上がってるんだが、何だこれ?

 アミが、ダンボール箱を興味本位に前足で撫でていた。

 ワケのわからないこの状況に、私は玄関でフリーズした。……よく見ると、私のスニーカーの隣に、リボン付きの黒いパンプスがある。


「さおりん、おかえり!」


 気持ち悪い呼び名と共に、リビングから小林さんが、小っ恥ずかしそうにクネクネしながら現れた。ああ、この時点で既にウザいな。


「なんだこれは……」


 私はとりあえず、ダンボール箱の山を白い目で見た。野菜の箱から通販会社のものまで、どれも種類はバラバラだ。引っ越し業者のものではない。


「昨日、宅配便で送って、さっき受け取りました」


 まあ、そうだろうな。そんな予感はしていたよ。

 ていうか、住所どうして分かった!? と思ったが、部屋番は分かってるんだから、マンションの住所はネット検索で分かるのか。私のプライバシーがあるようで無かった。


「ていうか、多すぎだろ」


 ダンボール箱を六つ数えながら、横切った。業者を使ってないにしろ、こんなのちょっとした引っ越しじゃないか。一体、何を持ってきたんだ?


「一部屋空いてるんですから、別にいいじゃないですか」


 ひとまずリビングに入ったところで、小林さんがのん気に言った。

 は? この子は何を言ってるんだ?

 築二十年なのに、家賃は月十七万八千円。2LDKの間取りはリビングダイニングキッチンと寝室、そして残りは――


「うちに空き部屋なんてないぞ? 小林さんの言ってる所は、ミアの部屋なんだが……」

「え?」


 私は部屋を指さした。

 六畳の部屋にはキャットタワーをはじめ、ネコ用の――ベッド、トイレ、自動給餌器、水飲み、爪研ぎにオモチャがいくつか置いてある。部屋の広さに対して、物量自体は少ないが。


「いやいや……リビングに出しましょうよ。私の部屋でしょ?」


 確かに、小林さんの言う通りだ。実際のところ、全てリビングに置くことが出来る。


「ヤダよ。小林さんに譲るつもりは無い」

「ちょっと待ってください……。わたし、アミちゃんよりヒエラルキー下ってことですか!?」

「当たり前だろ」

「そ、そんなぁ」


 逆に、アミより上になる根拠が知りたい。

 私はキッチンテーブルに鞄を置くと、エコバックの中身を冷蔵庫に仕舞った。手洗いうがいして、アミに餌やり、そして風呂に入ろうとした。


「にゃ、にゃん」


 洗面所に行こうとしたところ、小林さんが涙目で……鳴いた。


「美香だにゃん。可愛い子猫ちゃんだにゃん。……わたしを飼うにゃん、さおりん」


 両手をネコの前足のように動かしながら、恥も無い様子で振る舞った。

 正直、確かに可愛いが……最後にイラッとして、小林さんの両頬を片手で掴んだ。


「むがっ」

「いいか? その呼び方は二度と使うな」


 マジトーンで怒ってるわけじゃない。不快なものに抵抗の意思を示しただけだ。

 喋れない小林さんは、コクコクと頷いた。


「小林さんに騙された私にも少なからず責任があるから、今すぐには追い出したりしない」

「別に、騙したつもりは無いんですけど……」

「部屋探し、手伝うよ。とりあえず……明日、駅前の不動産屋に行こう。予約しておいて」


 これがせめてもの、落とし所だ。

 この子を置くべきじゃないと、今確信した。マイペースさに振り回されて不快になるのが、目に見えていた。

 やっぱり私は、ネコと一緒に静かに暮らしたい。仕事以外は、人間関係とか将来とか……何も考えたくない。そして、いつか巡り会うソウルメイトを待つことにする。


「えー。住まわせてくれるって、言ったじゃないですか」

「言った覚えは無い」

「何でもしますから、ここで沙緒里さんと一緒に住みたいです。わたし達、ソウルなんちゃらでしょ?」


 小林さんはウルウルと弱者を装って、上目遣いで訴えてきた。

 もう騙されないぞ! 絶対にソウルメイトじゃないんだからな。


「それじゃあ……私が風呂に入ってる間に、ボンゴレビアンゴ作っておいてくれ。材料なら買ってきてある」

「そんなの作れるわけないじゃないですか。ていうか、週末のディナーはそれですか? 楽しみです」

「私が作るのかよ!」


 さっきまでと一変してウキウキしている小林さんに、なんだか調子が狂った。追い出される自覚無いだろ? 頭が痛くなってきた。


「沙緒里さん、料理できるんですね。仕事から帰って料理もするなんて、偉いじゃないですか」


 あれ? やっぱり私が作る体になってるのか? まあ、失敗されても困るが。

 褒められることは、悪い気がしない。しかし、いくら私でも流されはしなかった。丁度いい機転が浮かんだ。


「わかったよ。ちゃんと不動産屋の予約入れたら、食べさせてやる」

「は、はーい……」


 小林さんは目線を逸して、ばつが悪そうに返事をした。

 やれやれ……。仕事ではこんな躾け、したことない。部下というより、子供だろ……子供の世話も、したことないが。


「ていうか、先にお風呂にします? 一緒に入りましょうよ!」

「うちの風呂は狭いんだから、勘弁して」

「へぇ。広かったらいいんですね」


 今度は、ニタァと小悪魔じみた笑みを浮かべた。

 最初は、私と同じで心の打たれ弱い人間なんだと思った。だが、私とは違って、ただの演技だった。

 小林さんにとっての『素顔』がどれなのか、わからない。かといって、突き止めようとしない。たぶん、コロコロ変わるどの表情も『小林さん』なんだろう。

 その変化がウザいとも……面白いとも思った。


「そ、そうじゃない!」


 この部屋に引っ越して、アミと暮らすようになって、二年。

 仕事から帰っても、アミが出迎えるだけだった。それが私にとっての日常だった。会社の外で、誰かと喋ることは無かった。

 だが、こういうのも悪くないのかもな……少しだけ、そう思った。きっと、今日が週末で、珍しく浮かれているからだろう。



   *



 十月八日、土曜日。

 午前六時に私は目を覚ました。この時間に起きる社畜生活が身についているわけじゃないと思う。アルコールが入っていること、そして自律神経がぶっ壊れていることから、そもそも眠りが浅い。

 それに……ベッドが狭いことも、少しは関係あるかも。

 誰かと一緒に寝ることは二度目だが、慣れるわけがなかった。

 隣で小林さんが、やはり幸せそうな寝顔で爆睡していた。

 プニプニと頬を突っついても、起きる気配は無かった。


「キミは悩みなんて無さそうだよな……」


 休日に早く起きても、やることが無い。気分がマシな日は散歩に出かけることもあるが、今はどうしてか憂鬱だった。小林さんが関係してるのかもしれない……。

 とりあえずミネラルウォーターを一口飲むと、アミに餌をやった。

 そして、リビングのテレビを点けてソファーに寝転がり、スマホをイジった。

 ソーシャルゲームはギャンブルのイメージがあって手を出せない。流行りの漫画は、私には合わなかった。

 SNSのアカウントは持っている。ただし、こっちから一言も発信することはなく、ひたすら見るだけだ。

 主に、小動物の写真を投稿している人、自己啓発を説いている人、ネットニュースまとめをフォローしている。それらのタイムラインを、ばんやりと眺めていた。

 仕事以外で――ネットの知り合いでも居れば、少しは充実感でもあるんだろうか。いや、顔も知らない人と絡むのが怖い。やっぱり無理だな。


『貴方が助けを必要としているように、ソウルメイトも貴方の助けを必要としているのです』


 流石は光の使者、勅使河原アルテミス伊鶴てしがはらあるてみすいつる先生だ。今日も良いことを呟いてらっしゃる。ですが先生、私にはソウルメイトとの魂の共鳴がまだありません。辛いです。

 しばらくすると、小林さんが起きてきた。目が覚めているのか寝ているのか分からない、ボーッとした表情だった。無言でお手洗いを済ませ、またベッドに戻ろうとした。


「いや、そろそろ起きろよ」


 時刻は午前七時。私はソファーから身体を起こし、小林さんを引き止めた。


「え……。予約は十時でしょ? まだ寝れるじゃないですか」


 目が寝ているが、意外にも頭は起きているようだ。

 昨晩、強引に不動産屋の来店を予約させた。午前十時に向かうことになっている。


「逆算で動こうとするな。余裕を持っておけ」

「……それ、なんかすっごい課長っぽいです。わたしには、沙緒里さんとして優しくしてくださいよ」


 小林さんが、不機嫌そうに頬を膨らました。怒るところは、そこなのか……。

 むしろ、私こそ優しくして欲しい! と重々に思っているが、とても朝から言えるテンションじゃなかった。


「わかったよ。朝ご飯作るから、洗濯機回しておいてくれ」

「あのー……。洗濯機って、どうやって使えばいいんですか?」

「冗談だよな? 冗談で言ってるんだよな?」


 ペロリと舌を出してる可愛い小林さんに、最高に苛ついた。

 結局のところ、朝食の後にコーヒーまで飲んで――私が洗濯を済ませると、午前九時になっていた。


「よし。そろそろ着替えよう」


 私は自室のクローゼットを開けて、スウェットから着替えた。

 小林さんのダンボール箱は、不本意ながらひとまずアミの部屋に避難させた。そこに着替えもあるようだ。


「マジか……」

「沙緒里さんこそ……一体どこに行くんですか?」


 リビングで顔を合わせ、互いに唖然とした。

 小林さんは、一応は黒いワンピースを着ていた。ただし、袖と裾にフリルがあり、襟元の大きなリボンも特徴的だ。靴下もフリル付き。とてもじゃないが、二十三歳の格好じゃない。十代前半でもキツイと思う。イタすぎる……。ていうか、何かのコスプレか? 私には、そんな風に見えた。


「はっきり言って、一緒に歩きたくないんだが……」

「それはこっちの台詞ですよ! どうして不動産屋行くのにスーツなんですか!? これから休日出勤なんですか!?」


 そう。私はいつも通りのパンツスーツ姿だった。

 当然ながら、今日は会社に行かない。たとえ不動産屋だとしても、当たり障りの無い服装を選んだつもりだ。うるさく言われる筋合いは無い。


「せっかくの初デートなんですから、オフスタイルでビシッとキメてくださいよ!」

「え? デートなのか?」

「当たり前じゃないですか!」


 恥ずかしくなってプチフリーズしている間に、小林さんが私の部屋に入った。お構いなしにクローゼットを開けた。


「ちょっと待ってください……。スーツとスウェットとジャージしか無いって、おかしいでしょ!? 私服はどこに隠したんですか!?」


 クローゼットの中身を見て、わかりやすく絶望した。正確には、それらの他にコートや礼服もハンガーに掛かっているんだが……。

 まあ、小林さんが言おうとしていることは、なんとなくわかる。


「着る機会無いから……この部屋に引っ越す時に断捨離した」


 外に遊びに行かないんだから、不要だ。

 二年前、そのような結論にたどり着いたまでだ。実際、今日まで何も支障が無いのだから、間違ってはいないと思う。


「確かに軽くミニマリスト入ってる部屋ですけど、それ捨てちゃダメですよね? 普通、必要なものですよね?」


 厳密には断捨離とミニマリストは、意味が違うんだが……。

 まあ、私自身普通じゃないんだから、仕方ないだろ。


「ていうか、ドン引きの目で見ないでくれ。明らかに、小林さんの服の方がおかしいよな?」

「どこがですか。こんな、ウルトラギャラクシーかわいいのに」


 小林さんは溜息をつくと――ピンクの頭巾を被ったファンシーなウサギが描かれたケースの――スマホを取り出して耳にあてた。どこかに電話をしているようだが、通じないのか下ろした。


「今日の不動産屋はキャンセルです! 開店時間になったらまた電話するんで、今から沙緒里さんの服買いに行きましょう」

「はい?」


 何言ってるんだ、この子。ワケがわからない。


「わたしの部屋探しよりも、こっちの方が遥かに死活問題じゃないですか! 超ヤバいってレベルじゃないですよ!」


 後になって思えば、小林さんが不動産行きを拒む理由にした可能性は充分にあった。だが、私は少なくともこの時、思い浮かばなかった。

 それぐらい、小林さんは真剣だった。いや、若干キレ気味だった。


「は、はい……」


 私はただ勢いに圧倒されて、頷いた。

 恐れていた通り、歳の離れた部下に振り回された。

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