閉館のおしらせ

片宮 椋楽

館内BGMであるショパンの「別れの曲」が、辺りに漏れ聞こえていた……

『今月で終わっちゃうんですよ』

「えっ?」

『あっ、ごめんなさい。その張り紙をじっと見ていらしたので。つい』

「あぁ……今月いっぱいまで、なんですね」

『えっ、あっ、はい』

「その……差し支えなければ、理由って?」

『え?』

「いや、張り紙には、一身上の都合により、とあるので」

『ああ……実は、オーナーが体調を崩されまして、営業を続けていくのが難しくなってしまったんです』

「それは……」

『年齢という魔物には人間、勝てないものです』

「……あの」

『はい?』

「オーナーというのはここの?」

『そりゃあ、ええもちろん。ほら、顎髭蓄えたあの』

「ほう」

『縁の茶色い丸眼鏡かけてて』

「はあ」

『あの。のほほーんとした人です』

「へえ」

『えっと……良い人です』

「……あっ、すいません。僕、お会いしたことはないです」

『あっ、どおりで』

「どおりで?」

『反応が芳しくなかったので』

「ピンときてないのバレました?」

『バレバレですね』

「取り繕ったつもりだったんですが、まだまだだな」

『てことはもしかして……役者さん、ですか?』

「いいえ」

『あぁ……』

「なんでそうお思いに?」

『大した理由ではないのですが、取り繕ったことに対し、まだまだと仰っていたので、てっきり演技力についてなのかと思ったまでです』

「単純な話で恐縮ですが、取り繕うのが下手だなぁと。よく言われるんでね」

『は、はあ……』

「しかし、こういう映画館というのは数が少なくなる一方ですな」

『とはいえ、致し方ないところもありますよ』

「致し方ない、と言いますと?」

『ここは駅から遠くて、時間貸の駐車場まで多少距離がある。車でも徒歩でもちょっと不便な所に位置してますからね。周辺に大きな店はないとなると、立地的についでに寄るとかは、なかなかありません』

「それが良いんじゃないですか。なんていうか、こう、非日常感というか」

『もちろん、私もそう思います。けど、世間は違います。一般的には、悲しいかな、そういったことを面倒だと感じてしまう。億劫に感じてしまうんです。たとえ長く続いてきた歴史あるものだったとしても、それからくる文化的価値があるとしても、素っけなく呆気なく終わっちゃうんです。思っているよりもずっと、ね。諸行無常とはよく言ったものです。とはいえ、いざこうして目前にすると、やはり非情この上ないとは思いますが』

「分かります。公園や広場のような、憩い、とまではいかなくても、町の映画館って交流の場として、貴重なんですよね。皆さんにとって、一種の象徴、モニュメントにもなっていたでしょうし」

『モニュ、メント?』

「……あれ? 使い方間違ってましたか」

『いや、ごめんなさい。日本語得意じゃないので』

「モニュメントは英語じゃないですかね。というか、海外の方?」

『はい、産まれてから最近までずっとおりました』

「にしては、日本語お上手ですね。さっきも諸行無常とか言ってましたし」

『父が日本人だったので、家では日常的に日本語を。母もハーフなので、日本語はある程度なら喋れて』

「ということは、クォーターというやつですか?」

『そう、だと思うんですが、ちなみにあれってどこまで遡るのが正解なんですかね』

「え?」

『母方には先祖を辿れば日本人と結婚した人がいるみたいなんです。実際に調べたわけではないですが』

「……まあ平均的には二世代か三世代というところが妥当なのでは?」

『そうですよね。言い出しておいてなんですが、その辺は追ってもキリがなさそうので、ここいらでやめておきましょうか』

「賛成です。では話を戻しまして……この映画館のように、長くあったものが失くなると、心にぽっかりと空いたような、寄りかかれるものを失ったような、なんとも物悲しい気持ちになりますね」

『本当にすごくちゃんと戻りましたね』

「あっ、すみません。遊び心あった方が良かったでしたかね」

『いえいえ全く。では改めて。確かに寂しさは感じると思いますが、もしかしたら、なんで言うんですかね、その、儚さ、みたいなものは良いものなのかもしれません』

「と言いますと?」

『諸行無常と仰っていた通り、どんなモノもこの世に生を受ければその瞬間、終わりが始まります。つまり、いつか消えゆく運命を定められます。何をどうしても、どう足掻いたとしても、例外なく必ず消えてしまいます。言い換えれば、限りがある。そう、有限なのです。繰り返しにはなりますが、それはなんとも非情なものです。しかし、こう考えてみたらどうでしょうか。有限だと思うからこそ、ありふれた瞬間が大切なものになる。一瞬一瞬が煌めき出す。輝き出していく。この映画館なりに表現するのであれば、上映している映画、ワンシーンが貴重なものに、大事なものに、大切なものに変わるのだと思うんです』

「な、なるほど」

『すいません、なんか説教めいてて鬱陶しいですよね』

「とんでもない。そもそも、説教というのは、教えを説く、と書きますが、仏教でお坊さんが読むお経を説き聞かせることが語源です。つまり、ためになることを他人に語る、という意味なんです」

『へぇ』

「ですので、説教は悪いことでは決してありません。世間一般的に使われるタイミングのせいで、ネガティブイメージがついてしまっておりますがね」

『知らなかったです』

「申し訳ありません。またしても話が逸れてしまいました。兎にも角にも、仰っていたことは誠に素晴らしい。良い人生訓を聞けました」

『人生訓だなんて、そんな大それたものでは』

「謙遜なさらず。仰っていたことは、まさに人生にも当てはまることでしょう」

『身に余るお言葉、ありがとうございます。って、ああもうこんな時間。すみません、長いこと立ち話に付き合わせてしまって。どの作品をご覧になります? 上映時間とか大丈夫ですか?』

「実を言いますと、通りがかりに見つけただけで、観に来たわけではないんですよ」

『そうでしたか』

「しかし、もっと早くこの道を知っていたら、通っていたかもしれないのに、って」

『……え?』

「……もしや、驚かれてます?」

『いやだって、そりゃあ……えっとぉ……ちなみに確認なんですけど、これまでここに通われて……?」

「いえ、来たのは今日が初めてです」

『え??』

「お恥ずかしいのですが、僕、極度の方向音痴でして。この辺に目的の公園があるはずなんですが、迷ってしまったんです。ふらふらと彷徨い歩いていたら、この張り紙を見かけた、という次第です」

『な、なら、これまでの話って?』

「想像です。ここに通っていた人は今、哀しいんだろうなぁ、っていう」

『……あぁ』

「あっ、もしかして、僕何か大きな勘違いさせてました?」

『いやいや、勘違いしてたのは私の勝手で。もうてっきり、この映画館の常連中の常連の方だとばかり』

「もしかして、そう見えますか?」

『そう……見えちゃいますね。サイレント映画からフルCGまで、古今東西の映画は観た、ツウの中のツウってな具合に』

「あぁ、それ、他のところでもよく言われるんですよ。美術館を訪れれば審美眼のある評論家に、和食に行けば料理人が緊張する評論家に。誰かしら緊張させてしまうみたいで、申し訳なくは思っているんですが」

『ちなみに、他でもこの格好なのですか?』

「ええ。紺色の七分丈の浴衣にへたった草履が決まった出立ちです、変わらず」

『そうですか……オーナー、あっそうか。成る程』

「見たことなかったでしょう、これまで」

『これまで、というか、まあ、そうですね。当然、お見かけしたことはないです』

「でしょう。今日が初めてですからね。そもそも、この町の人間すらありませんし」

『そうだったんですか』

「そうだったんです」

『なんだ、じゃあ、私と一緒だ』

「一緒、とは?」

『ここに来たってことがです』

「……え?」

『私も初めて来たんです。ずっと気になってはいたんですが、さっきもお話しした通り、立地からしてついでに寄るとかは無く……』

「ちょ、ちょ、待って下さい。一旦待って下さいよ。ええっ、うぅんと……うぅん?」

『あのぉ……何故、目が点になって唸ってるんです?』

「いや、何故も何も。確認ですがこちらに、この映画館に、お勤めなのでは?」

『いえいえ。違いますよ。あっ、もしかして私が勤めてると思っていらっしゃった?』

「だ、だって、それっぽい格好しているので」

『これは、ただそれっぽい格好に見える服を着ているってだけです。ほら、名札とか付いてないでしょ?』

「……あっ」

『ねっ』

「な、なら、最初に話してたオーナーのことって?」

『この辺りに住んでいたり通っていたりする人なら、多分みんな知ってるんじゃないかな。狭い町ですからね、すぐに伝わるんですよ。だから実質、一身上の都合と濁しても、バレバレなんですよ。全くもって意味ないですよね、張り紙』

「ということは……ということはですよ? これまで語っていたことって……」

『もちろん伝え聞いたことになりますね、全て』

「……」

『……』

「……この映画館に来たのは?」

『ただふらっと』

「ついでに、とかじゃなくて?」

『じゃなくて』

「……」

『……』

「……すみません、第一公園ってどこですか?」

『駅挟んだ向こう側です』

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