第2話 ネルリンガー村の学校

 マルヴィナの家はネルリンガー村のはずれにあった。


「行ってきまーす」

学校鞄を持って家を出て、遅刻をしないように最初は小走りのマルヴィナだったが、やがて早歩きになり、そしてふつうの歩く速度になった。

「また今日もあの退屈な授業受けるのかあ」


そうして学校の門に到着し、教室へ歩いて向かう。外からそっと中の様子をうかがう。村の学校は人数も少なく、マルヴィナを入れても生徒は十人、全員が同じ教室で学び、学年もばらばらだ。

そして、どうやら運良く朝から自習のようだ。安心して中へ入り、窓際の一番うしろの自分の席に座る。

自習時間というのは先生が去ったあとの五分間ほどは皆勉強するのだが、そのあとはいろいろな会話が飛び交うことになる。たいていは世間の噂話だ。

「今週末も港町に行ってニコラ様の練習風景を見るんだよ」

「わあ、いいなあうらやましい、私も行きたいけどお母さんがうるさくて」

「ニコラ様は練習着もいいけど、演武の時の正装が本当にかっこいいんだよ。港町の秋祭りでたぶん見れるよ」

「わあ、いいなあ、去年はお母さんがうるさくて行けなかったけど、今年は絶対行きたい」

一方男の子たちは、

「町の金髪姉妹の末っ子知ってるか? 末っ子も他の姉と変わらずすげえ怪力らしいぞ」

「うわあとても勝てねえや」

「体格がもうすでに並の大人より大きいって噂だからなあ」

「大陸の偉大なる魔法使いは弟子も強いって噂、知ってる?」

「ああ知ってる、なんでもすごい年取った背の高い婆さんで魔法も使うんだけど、実はものすごい怪力なんでしょ?」

「ああ、とても勝てねえ」

マルヴィナは港町の秋祭りも背の高い婆さんにもあまり興味がなく、いつものごとく話題に参加することができなかった。


 そこに、先生が入ってきた。

「すまない、急な農作業が入ってね。じゃあ授業を始めようか」

「やったあ! ダスティンだ!」

生徒の一部から歓声があがる。

ダスティンはまだ二十歳台前半で若く、最近大陸から村に戻ってきてこの学校で教えるようになったのだ。それまでは校長兼先生のおばさんが教えていたが、生徒にはあまり人気が無かった。

おばさん先生のほうは「これは常識なのでしっかり暗記してくださいね」がというのが口癖で、マルヴィナもあまり好きではなかったのだ。

さっそく下の学年の子たちの算数が始まった。

「じゃあ、ここの内容を少し説明するのでそのあとに実際に問題を解いてみよう」

そうして他の子たちが問題を解いている間、ジャスティンがマルヴィナのところにやってきた。

「今日はどの部分を進めようか、別に数学じゃなくてもかまわないが……」

そこでマルヴィナはふだん思っていることをぶつけてみた。

「私、新しい数学の内容が出るたびに、最初のところでつまずくの。なんか、誰が何のために、どういう風にそれを発見したのか、どんなストーリーがあったのか、そんなことばかり気になっちゃって」

自分は馬鹿なんだろうな、という思いで聞いたのだが、ダスティンの答えは意外だった。

「それは、もしかしたら学問のセンスがあるのかもしれないよマルヴィナ。根本的な問いはいつも重要だ……」

ダスティンは少し考える素振りをして、

「屍道を目ざしていると言ってたね。大陸の魔法学校を目指すことも考えてみてはどうかな?」

隣ではそれを聞いた女の子たちがクスクス笑っている。マルヴィナのふだんの成績を知っているからだ。

しかし、ダスティンは気にせず、むしろその子たちにも聞かせるように言った。

「人間は環境次第でいくらでも変わる。大陸に出たらモチベーションがあがって、成績も大きく変わることはよくあることだよ」

マルヴィナはそれを聞いて少しうれしかったが、初歩的なところで悩んでつまずいてしまう癖は簡単には治りそうもない気がしていた。


 その放課後。


家に帰る道すがら、

「ヨエル!」

マルヴィナは、二歳年上で幼馴染みのヨエルがトボトボと歩いているのを見つけて走り寄った。

「やあマルヴィナ、元気?」

ヨエルも振り返って返事をする。

「仕事の帰り?」

「そうだよ。母さんのお店を手伝ってた」

ヨエルは花屋の一人息子。一応見た目は長髪の美男子と言えるのだが、なにせ気が優しいというか弱いというか、肝心なところで頼りにならないので、女の子たちをいつもがっかりさせていた。

「今日もお母さん忙しいの?」

「うん。でも、うちは母子家庭だし、お金もたいへんだから忙しいのはいいことだよ」

「じゃあ晩ご飯また食べにおいでよ」

「わかった、そうする!」

ヨエルの家はマルヴィナの家の隣で、ヨエルの母が忙しい時、マルヴィナの家に遊びにくることがよくあった。マルヴィナにとって良かったのは、ヨエルが年上だったが他の子と違って全く気を使わなくていいこと。そして、残念なことに唯一の友達だった。


 家に着くと、マルヴィナはさっそく学校の宿題やら家の用事を済ませていく。

洗濯に掃除、井戸の水汲み、マキ割り、ランプの油を足す、鶏のエサやり、などなどやることはたくさんあるのだ。

適当に休憩を挟みながらやっていると、あっという間に夕食の時間になり、ヨエルがやってくる。

「今晩は、お邪魔します」

食卓にはすでに、マルヴィナの母によって夕食が準備されていた。

「わあ、美味しそう」

鶏肉と野菜たっぷりのクリームシチューを前にヨエルも喜んでいる。マルヴィナもクリームシチューは大好きなのだ。

「ほら、しっかり食べなさい」

「ヨエルさあ、明日忙しい? また海行って遊ばない?」

休日に気分を発散させたいときは、ヨエルを誘って海に遊びにいくことが多かった。

「明日は自分の仕事がちゃんと済んでからよ、マルヴィナ」

「うん、わかってる」

「僕も午前中仕事があるから、お昼からならいいよ」

「よし、そうしよう」

「じゃあ食べたら召喚訓練よマルヴィナ」

「はーい」

満腹になって、そのままゆっくり出来れば最高なのだが、恒例の満月の夜のゾンビ実地訓練がマルヴィナを待っていた。

「じゃあ、元気出して行きましょう。ヨエル、あなたも付いておいで」

「え、僕も行くの?」

「他の人がいたらマルヴィナの呪文もうまくいくかもしれないからね。ちょっと協力してくれる?」

あまり気の乗らない二人と、その背中を押すように歩いていくマルヴィナの母。


 満月が照らし出す墓地に着いた。

とりあえず準備運動を始めるマルヴィナ。

なんだかよくわからないまま同じように準備運動を始めるヨエル。

「前回は気持ちが足らなかったのか、ゾンビが起き上がることすら出来なかったでしょ? 今回はもう少し気合いを入れてやってみなさい」

「はーい。でも、あんまり気持ちを入れすぎると前々回みたいにどっか走って行ったきり戻らなくなるから、丁度いいところに抑えるのが肝心よね」

「じゃあ、練習用の屍体のある位置を確認して、そう、そこの土が盛り上がったあたりよ、だいぶ前に亡くなった叔父さんのやつ」

「わかった。始めるから、二人は少し下がってて」

そう言われて母とヨエルがマルヴィナのやや後方に立つ。

マルヴィナが、盛土のあたりへ右手の平を向けて、呪文を唱えだした。

「アー、ウー、ムー、我、慈悲深き冥界神ニュンケに帰依する。そして我が眼前に起こりし奇跡に感謝する……」

そのまま、マルヴィナは目をつぶった状態で同じ言葉を三回繰り返す。

「屍体招魂、立ち上がれゾンビ!」

手のひらをかざす同じ姿勢のまま念を込めて数秒が経過したころ、盛り土がゴボっとめくれ上がり、そして中からゾンビが起き上がった。そしてばね仕掛けの人形のように跳ねあがり、マルヴィナのほうを向くと猛然とダッシュしてきた。

「うわあっ!」

三人とも悲鳴をあげて地面に伏せる。

「ちょっと! 来ないで! あっち行ってー!」

目をつぶって叫ぶマルヴィナの声に、直前でストップしたゾンビは、そのままもの凄い勢いで明後日の方向へ走り去ってしまった。

「あー、恐かった……。どうしたのマルヴィナ?」

ヨエルが見ると、マルヴィナがうずくまって具合が悪そうだ。

「うー、やばい。なんで訓練の前にお腹いっぱい食べちゃったんだろう……」

「ゾンビを間近で見るといつもこうだからね」

ヨエルと母が近寄ってしばらくマルヴィナの背中をさすった。

「うん、もう大丈夫そう。ありがとう」

「ゾンビを見て吐かなくなっただけで充分立派だよ」

母もとりあえず誉めるのだが、どう見てもゾンビをコントロールできているとは言えない。

「はあ……、また次がんばるか」

その後、どこが悪かったのかマルヴィナと母で確認し、呪文の時にもっと腰を落として両足を踏ん張ったほうがいいとか、もっとアゴを引いて脇をしっかりしめたほうがいいとか対策を検討しながら家に帰った。


その様子に満月はまるで微笑んでいるかのようで、一人前の屍道士までの道のりは長そうだった。

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