第14話 二年生 4月

やっと桜が咲いて、春めいてきた。

由衣夏は寒さが苦手だったから、なにがあるというわけでもないが、春が訪れるのが嬉しかった。

春休みは紗栄子から電話をもらい、大阪城公園に桜を見に行ったくらいで、他はずっとアルバイトをしていた。

まったく、自分は地味な高校生活をしていると思う。

4月になったとは言え、まだコートを羽織りたい日があるくらい、肌寒かった。

花見に行ったとき、桜の樹の下で宴会をしている人たちもいたが、この寒さの中で冷たいビールなんて、よく飲むなあと驚いたが、酔っぱらうとホカホカと暖かいのかもしれない。

お酒を飲んだことがないからわからないが、楽しそうだった。

紗栄子に心理学に興味があって、最近は心理学の本ばかり読んでいることを打ち明けた。

学校にカウンセラーが来ているが、不登校や保健室登校は治ってないように思うから、由衣夏は自分のトラウマを自分で治すことはできないかと考えていたのだ。

「すごいなあ、由衣夏ちゃんは、なんでも自分でやろうとするよな」

紗栄子がそんな風に言ってくれて、由衣夏は嬉しかった。

「うん、カウンセラーとかおらんでも、紗栄子が話を聞いてくれるから、わたしは自分で頑張れるかな、って思ってん」

そう伝えると、紗栄子は驚いたような顔をした。

「ええ? そんな風に思ってたん?

 あたしなんて、ただ聞いてるだけやで」

「ええねん、ただ聞いてくれただけで、頑張れるねん」

「そうなん? 

 そんなんで頑張れるなんて、ほんまになんも大したことしてないのに」

そうやって恐縮してくれる。

わたしのおかげよ、とか、絶対に言わない。

だからこそ、信頼できる。

紗栄子は人の話を聞いて、ああしろとか、こうするべきだとか、言わない。

非常にニュートラルなのだ。

何か言う時も、事実をシンプルに言う。

自宅がお寺ということで、お坊さんであるお父さんが、近所の人の相談に乗ることもあるのだろう。

教師とかお坊さんは、道徳的に正しくあるべき、というポジションを周囲から期待されていることが多いだろう。

カウンセラーではないが、似たような話し方をするのではないだろうか。

「お坊さんもさあ、相談とか聞くことあるんちゃう?

 なんか、自然とカウンセラーみたいな役割をしてるんかもしれへんね」

「ああ、まあ、たしかにそれはあるかも」

紗栄子も同意するところがあったようだ。

そしてそんなお父さんを子どもの頃から近くで見て育ち、自然と父親に似たような会話のスタイルを身に付けたのかもしれない。

ついでに、ゲンとラーメンを食べに行った話をした。

紘美のボーイフレンドが色々いるのは知っているそうだ。

ふたりで一緒に通学することが多いので、自然といろんな話をするのだろう。

しかし紗栄子が聞いたことのない名前だというので、知り合ったのは最近か、それほど深い付き合いではないんじゃないか、と言う。

紘美を迎えに来て、勝手に待ち伏せをしているところに出会ったのだ、と言ったら、紗栄子は、それはストーカーじゃないか?と言った。

もしかしたら紗栄子はあの部屋の存在を知らないかもしれないから、貫通式が初めての出会いだと言いづらかった。

紘美のために黙っていたわけではなく、自分が噂話を言い広める人間だと思われたくなかったのだ。

紗栄子に言わせると、紘美はとても退屈していて、刺激を求めているように見えるそうだ。

一風変わった男の人とばかり遊んでいるという。

紘美は由衣夏に男の話をすることはない。

まあ、自分に告白をしてきた相手に、他の恋人の話など、ふつうはしないものだろう。

紘美のボーイフレンドのひとりが京都の方で音楽活動をしていて、変わり者のようだが楽しい、と言っていたそうだ。

京都と聞いて、由衣夏はゲンを思い浮かべたが、ふたりが付き合っていても、アセクシャルの自分には関係ないな、と思った。

それより、音楽が好きな人が周りに増えてきて、自分がその楽しさを知らない、ということが気になった。

一回くらい有名なアーティストのコンサートに行ってみようか、と思っていた。

そんな話をバイト先の先輩に話していると、コンサートに一度も行ったことがないことを驚かれた。

先輩はいろんなアーティストのファンクラブに入会しているらしい。

有名な人のチケットは、ファンクラブに入会しないと取れないよ、と教えてくれた。

それは知らなかった。

コンサートの当日に会場に行けば買えるものだと思っていた。

それを聞いて驚いていたら、誰のでもよければ、自分がちょうど用事が出来てしまって行けなくなったチケットが一枚あるから、日程が合えば譲ってやると言ってくれた。

一万円ほどのけっこうな価格に驚いたが、アリーナ席じゃなくスタンド席なので半額でいい、とのことだ。

由衣夏はせっかくなので、ありがたく譲っていただくことにした。

場所は大阪城ホールだったので、何度か近くまで行ったことがあるから安心した。

コンサートの日は、3日後くらいだったので、すぐに当日になった。

グッズなども売られていたが、特に好きってわけでもなかったので、さっさと会場に入ったが、それでも開演5分前だった。

とりあえずお手洗いに行こうと思い、場所はどこかとキョロキョロしていると、目の前を髪の長い女の子が歩いていくのが見えた。

黒髪の外国人のような深い顔立ちの美少女だった。

うわあ、綺麗な子、と思い、一瞬見とれてしまった。

その子が向かう方向にお手洗いの看板が出ていたので、後をついていった。

スタスタと彼女は男子の方に歩いていった。

「ちょっと、あなた、そっちは男子だよ」

と声をかけたが、無視して進んで行かれてしまった。

日本語がわからないのかな?

やっぱり外人?と思い、女子トイレの方を見ると、長い行列が出来ていた。

わざと空いてる男子の方に行ったのかもしれない。

この子が行くなら、わたしも行っても大丈夫かも。

由衣夏はそう考えて、彼女のすぐ後について男子トイレに入っていった。

中入ると用を足していた男性がギョッと驚いた顔でこちらを見た。

彼女は由衣夏の方を振り返り、

「君は来たらあかん!」

と叫んだ。

その声は、太く低かった。

「えっ、あんたって、男?」

彼女は頷きながら由衣夏をトイレの外に押し出した。

由衣夏は、ちょっと、ちょっと・・・と言って話そうとしたが、彼女だか彼だかは由衣夏を外へ出すと、さっさと男子トイレに戻ってしまわれた。

由衣夏はあの美少女が男だった、ということに驚きまくっていた。

でも、なんだかものすごく惹かれてしまい、どうしてもあの子と話したい、と思って外で待った。

そして出てきたところに、駆け寄って腕にしがみついた。

「ねえ、ちょっと、あなたって誰? 

 名前教えて!」

由衣夏は自分の積極性に自分でも驚いていた。

だって、こんなに素敵な子、今のチャンスを逃したらきっともう二度と会えない、と思っていた。

「えっ、そんなん言われても・・・。

 いきなり、ぼく、困ります」

と、断られる。

「お願い、お願い!

 教えてくれるまで離さへんねんから!」

自分でも驚くほど、ワガママを言ってしまった。

彼女のような彼はため息をついて、

「礼次郎」

ボソッと言ってくれた。

「ほんとに?

 絶対ほんと?

 レイちゃんってこれから見かける度に呼ぶよ。

 嘘ついたらあかんよ」

礼次郎は、ウンウンと頷いた。

本当の名前のようだが、腕を離すつもりはなかった。

「一緒に見たい」

礼次郎の美しい顔をじーっと見つめたまま言った。

「君の席、どこなん?」

「スタンド」

礼次郎は、うーん、どうせみんな立ってるしなあ、とかブツブツと言いながら、ついて来るように言ってくれた。

礼次郎の席はアリーナのちょっと後ろの方だった。

礼次郎に名前を聞いたり、すったもんだをしている間に開演してしまっていたようだ。

観客はみんな立っていて、座っている人は一人もいなかった。

由衣夏は会場を眺め、こんなに大勢の人がいるなんて・・・と驚いていた。

礼次郎の腕にしがみついたまま、割り込ませてもらった。

隣の人は何も言わなかった。

礼次郎は由衣夏の腕を振りほどこうとしなかった。

最後まで礼次郎にぴったりとひっついたままコンサートを見た。

曲とか、MCとか、ほとんどよくわからなかったが、由衣夏は楽しかった。

帰りに礼次郎が、ラインのIDを教えてあげるから、自分のライブにも来てほしい、と言ってくれた。

由衣夏はもちろん!と返事をしてライン交換した。

礼次郎は基本的に大阪で活動しているそうだ。

由衣夏は、礼次郎はあんなに綺麗で可愛くても男の子で、これってレズじゃないやん、ノーマルやん、と喜んでいた。

礼次郎は今日は客席で見たけど、いつかステージに立ったるんや、と言っていた。

由衣夏にはとても思いつかない夢だが、礼次郎の魅力を思うと叶いそうに思えたので、とっさに、

「それ、できると思う。

 あなただったら、叶えれるわ」

と言ってしまった。

礼次郎はちょっと照れくさそうな、嬉しそうな笑顔をした。


新学期が始まったが、理系クラスに行った生徒が減っただけで、クラスの顔ぶれは変わらなかった。

安心、だが、面白みはない。

紗栄子に初めてコンサートに行った話をした。

行きたかったコンサートだったらしく、羨ましがられたが、礼次郎の話はしないでおいた。

いっぱい人がいて驚いた、あんなに大勢の人をひとつの場所に集めるなんて、芸能人ってすごいなあと言ったら、確かにそうだと同意してくれた。

あの人数に比べたら、紘美があの部屋に集めた人数なんて、大したことがなく思えた。

その人数すら、由衣夏には集めることはできないが。

担任も変わらなかった。

やる気がなく、当たり障りのないことばかり言う存在感の薄い担任だが、変な先生に変わる方がイヤだから、もうこれでいいや、と思った。

きっと卒業までずっとこの先生が担任のような気がした。

当たり障りのない担任が、3年生になってからでは遅いかもしれないから、2年生のなるべく早いうちに進路の方向を決め、夏休みにある大学のオープンキャンパスにはできるだけ参加することを勧めてきた。

由衣夏はそれもそうだな、と素直に思った。

2年後には、卒業して、バラバラになるんだなあ。

紘美ともお別れかもしれないのだ。

その日を見据えて考えると、平凡な毎日がとても大切なものに思えた。










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