第13話 一年生 3月

高校生の3月は短い。

試験があって、すぐに休みに入る。

由衣夏にとって休みはアルバイトができて、お金が稼げて嬉しいだけの時間だ。

とくに欲しいものなんてなかったが、とくにやりたいこともなかったので、ただぼんやりしているなら、お金になるような時間の使い方をする方がマシに思えた。

学期末試験は試験範囲が短いので、楽勝だった。

3月で一年生は終了するとはいえ、4月からもクラス替えもなく同じ顔ぶれなのがわかっているので、終業式もなんの感慨もなかった。

クラスメイトとそれなりに上手くやれていて良かった。

クラス替えがないと、3年間苦しむ羽目になるだろう。

保健室登校の子はA組にいるが、教室に来ないので、登校しているのかいないのかわからない。

高校時代の思い出が、保健室だけ、なんて、イヤだなあ。

一度だけ保健室に行ったことがあったが、3つベッドがあって、そのうちふたつがカーテンが閉められていた。

中で寝ている生徒がいるんだろう。

毎週カウンセラーが来て、カウンセリングをしているそうだが、カウンセリングを受けたところで、すぐに治ったりしないんだろうな。

由衣夏も、誰かに聞いてもらったからと言って治らない、と思っていた。

大阪城公園の川辺で紗栄子に聞いてもらった時、とても気持ちが軽くなったが、相変わらず性的なことに嫌悪感は抱いたままだった。

これを超えてでも、誰かを好きになったら、もしかしたら変わるかもしれない。

変わらないかもしれない。

もともと由衣夏は飲み物の回し飲みとか、苦手だった。

電車のつり革も、出来れば持ちたくない。

だから、基本的に潔癖症の素養があると思う。

その上にトラウマが乗っかったから、今のような由衣夏になったのだ。

今ごろ、トラウマを与えたヤツはすっかり忘れて楽しく生きているのかもしれない、そう思うと、自分はぜったいに幸せにならなくてはいけない、と思った。


コンビニの床を箒で掃いていると、

「よお」

と、声をかけられた。

ゲンだった。

「近くを走ってたら、お前が見えたからよ」

「ああ、こないだは送ってくれてありがとう」

「おお、いえ、どう、いたしまして」

妙にかしこまって言う。

「お前、何時までバイトなんだよ」

と言うので、あと1時間ほどで終わると言うと、

「待っててやるから、ラーメンでも食いに行こうぜ」

ラーメンなら、この前、先輩に連れて行ってもらったところのラーメンがまた食べたかった。

「いいぜ、車ん中で昼寝してるからよ」

ゲンには、由衣夏が誰とも性的なことをしたくないと思っていることを話してあったから、安心だった。

なんとなく、ゲンは女の子とも友だちになれるタイプなんじゃないかと思う。

紗栄子に似た、屈託なく誰とでも気軽につき合いそうな軽快さがあった。

バイトが終わって、すぐにラーメン屋に向かった。

ピリ辛で満腹の時でも食べきれてしまうくらい、由衣夏にとってはクセになる味だったが、ゲンは、ひとくちすすっただけで、オレの好みとはちょっと違う、言って箸を置いてしまった。

由衣夏なら、ちょっとくらい好みと違っても、勿体無い、と思って全部食べるんだが、ゲンは違う考え方をしているようだ。

「それ、もう食べないの?

 もったいなくない?」

「オレはな、食事を大切に思ってるんだ。

 好きじゃないものだったら、いくら腹が減ってても食べない」

由衣夏はそんな人を初めて見た。

出されたものは、残さず全部食べなさい、と言われて育ったから、そうするのが当然のマナーだと思っていたのだ。

いいのか、残しても。

ダメっていう法律とか、ないもんね。

それがマナーだ、って誰かが勝手に言ってて、そういう人が多いから、当然のこと、みたいになっているだけなんだ。

しかし、ゲンに社会のマナーとか説教くさいことを言うのはやめた。

それより、それほど食にこだわっている男が美味しいと思うものがどんなものなのか、そっちの方が興味深かった。

「じゃあ、ゲンが美味しいって思うものって、どんなの?」

好奇心が勝ったようで、由衣夏は身を乗り出して聞いた。

「知りたい?」

「知りたい!」

目の前のラーメンを残さず食べてしまうと、ゲンが美味しいと言うラーメンがお腹いっぱいで食べれないかもしれないから、お店の人には申し訳ないが残すことにした。

出された食事を残すことが初めてだったので、ドキドキした。

でも自分のルールは、自分で決めていいんだ。

ゲンはそう言う人なのだ。

自分で決めたルールに従って生きる。

そんな人を初めて目の当たりにして、どこか爽快さを感じていた。

ふたりはゲンのラーメン屋に行くと決まるや否や、すぐに席を立って車にもどった。

運転を始めながら、

「こっからだと、ちょ〜っと距離があっから、眠りたきゃ寝てもいいぜ」

「うん、ありがと。

 いつの間にか月が出てるね」

白くて大きな満月だった。

「今日のお月さま、でっかいねえ。

 わたし、太陽より月の方が好き。

 きれいだし、毎日違うから飽きない」

ゲンは黙って運転していた。

そのうち、由衣夏は知らぬ間に眠ってしまっていたようだ。

「着いたぜ」

と、肩を揺すられて目が覚めた。

「うわ、寝てたわ。

 ごめん。

 どこ、ここ」

普通、デートだと、ドライブ中ってナビを手伝ったり、飲み物をどうぞってやったりするみたいだが、何一つせずに眠りこけてしまった。

デートだったら、わたしはダメ女だな、と由衣夏はひとりで反省した。

「京都だな」

「わー、京都も好き!」

京都らしい町家のような外観のラーメン屋だった。

どんな味なんだろう?

由衣夏は食べ物に好き嫌いがなかった。

そんなことは贅沢な考えだ、と育てられていた。

ワガママを言わず、なんでも残さず食べなさい、と。

でも、好きも嫌いも、思っていいんだ。

むしろ、思うのが普通だよね、人間なんだもの。

ゲンと一緒にいると、それまでの考え方から自由になれる気持ちがした。

目の前に届いたゲンの好きなラーメンは、とっても薄味だった。

京都らしい、と言うのだろうか?

真っ黒いどんぶりに、白いスープと麺。

テーブルにはすりゴマや胡椒、紅ショウガなど、トッピングがたくさん置いてあって、自分の好みの味に味変できるようだ。

きっとゲンは、そう言うところが気に入っているんだろう。

提供されたままだと、これと言って大きな特徴のない優しい味わいだった。

由衣夏と行った最初のラーメン屋は、味が強すぎて、あれ以上変える余地がないくらい強い味だった。

ラーメンをすすりながら、由衣夏は、きっとこの男は、自分の好みに女を変えたい、とか思ってるタイプだろうな、と想像していた。

「優しい味だね。

 味変、いっぱいあるけど、どれがオススメなの?」

ゲンはしょっちゅう通っているようで、あれこれとトッピングのひとつひとつを説明してくれた。

これをかけると美味しいが、さじ加減が難しくて、多すぎると全てが台無しになってしまうシロモノだとか、失敗がないのはこれとこれだ、とか。

ふんふんと聴きながら、由衣夏は言われた通りに試してみた。

足しげく通う人が言っていることなのだから、言う通りにするのが間違いなく美味しいのだろう、と思っただけの行動だったが、ゲンはその姿がとても嬉しかったようだ。

ゲンの言うことを露とも疑わず、言われた通りに素直にして、ほんとだ美味しいとか反応する由衣夏の姿が、自分を心から信頼してくれている、と思ったようだ。

道中、由衣夏が居眠りしたのも、ゲンを信頼してくれたからだ、と勝手に思って感激したようだ。

そして、この子の信頼してくれている気持ちを大事にしたい、裏切りたくない、と盛り上がっていったようだ。

由衣夏はそこまで考えていなかったが、車の助手席に乗るくらいは信頼していたのだろう。

この時、ゲンがその気持ちを由衣夏に伝えていたら、なにそれ、と言われ一瞬にして終わってしまっただろう。

ゲンはなにも言わなかった。

そのおかげで?由衣夏の知らないところで、恋のようなものが生まれていた。

ラーメン屋を出て、ゲンは月を眺めた。

後から店を出てきた由衣夏が、ゲンの顔を不思議そうに仰ぎ見た。

目が合って、ゲンが微笑んで見返す。

ふたりはなにも言わないまま、来た道を戻った。













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