※※

 生徒指導室は、何か問題を起こした生徒と教師が対話をするために設けられた部屋だ。逆に生徒側から教師に何か込み入ったことを相談したい時にも使われる。中にいる人間のプライバシーを守るため、入口のドアは二重になっていて廊下側から部屋の中が見えないようになっているし、外に面した窓には分厚いスリガラスが入れられている。


 そんな部屋の中で雷斗と杏奈を待ち構えていたのは、教師ではなく白浜しらはまだった。黒浜くろはま内村うちむらも連れず一人で待っていた本日の白浜の口には、タバコの代わりに棒付きキャンディが突っ込まれている。


「動きがあったのか、おっちゃん」


 雷斗ライトが内側のドアを開いて中へ入った瞬間、白浜は不機嫌そうに顔を上げた。いつも以上にベッタリと濃いクマを目元に侍らせている顔や、刺々しい雰囲気からして動きがあったことは確実だ。


 だが。


「こんな呼び出し方、今までしてきたことねぇじゃん」


 不穏な空気に眉を潜めながら、雷斗は狭い部屋の中に視線を走らせる。


 部屋の中央には四角い机。対面するように2脚ずつ椅子が添えられていて、部屋の中はそれだけでほぼ埋まっていた。


 その机の上には見慣れない端末が放り出されている。前時代的なフォルムの通信端末は、電話通信用に機能が簡略化されたピッチと呼ばれる代物だ。錬対ではこれを使い捨ての通信手段として用いていると以前に説明を受けた覚えがある。雷斗の端末を非通知で鳴らしたのはこのピッチだろう。


「ちょっとな。念には念をと考えた」


 白浜は気だるげにピッチを掴み上げると、手首のスナップだけでピッチを宙に投げ上げた。天井近くまで跳ね上げられたピッチは、白浜がパチンッと指を鳴らした瞬間激しく閃光を放ってから掻き消える。


「ちょっ!? おっちゃんっ!? 何もこんな場所で焼却処分しなくても……っ!!」


 白浜の錬力特性は『炎』だ。珍しい特性ではない上に白浜曰く『俺の場合は、マジで燃やすしか能がねぇ単純錬力』らしいが、その威力は他の炎属性の錬力使いと比べても群を抜いている。


 ──少なくとも炎属性だったら、一瞬でピッチを燃やしつくして燃えカスさえ残さない、なんていう芸当はできねぇっつの!


「あぶねぇじゃねぇかよ!」

「安心しなぁ、ここは校内で唯一火ぃ使っていい部屋だって話だからよぉ。換気はちゃんと効いてらぁ」

「そういう話じゃねぇんだけども……」

「内村も、この学校の生徒も、両方黒か」


 いつになく物騒な白浜の様子に雷斗はたじろぐ。


 そんな雷斗の隣からスッと本題に切り込む静かな声が響いた。思わず隣を見やれば、杏奈アンナが少しだけメガネをずりおろして隙間から白浜を見つめている。


「イトにわざわざピッチで連絡をしてきたのは、内村を始めとした錬対の内通者への対策。わざわざ私を全校放送で呼び出したのは、お前と私が個人的に連絡を取り合える間柄だということを伏せるため」


 その言葉に、雷斗は雨宮あまみや詩都璃しづりの取調に呼ばれた時、わざわざ杏奈の私室の固定電話に連絡が入ったことを思い出した。


 ──そっか、だからわざわざ……


 正しく現実を認識した上で想像を巡らせてみれば、杏奈と白浜が個人的に連絡を取り合っていてもおかしくない間柄であることは分かるはずだ。だが内村のあの様子から想像するに、内村にそこに気付ける頭はない。


「雨宮詩都璃が取調終了後に……恐らくあの日の晩の内に脱走していたのであろうことは、研究所と錬対の雰囲気から察していた」

「えっ……はぁっ!?」


 さらに続いた杏奈の言葉に雷斗は思わず奇声を上げていた。だが杏奈の視線は白浜に据えられたまま動かない。


 ──ちょっ!? 俺、聞かされてねぇけどっ!?


「イトに話したら、イトはそっちに気が行ってしまってテストどころじゃないだろう? だから黙っていた。白浜が私達へ連絡をしてこなかったのは、その気遣いが半分、脱走した雨宮詩都璃を泳がせたかったからというのが半分といったところだろう」


 雷斗を見ていなくても的確に雷斗の内心を読んだ杏奈は明瞭に言葉を並べた。まさに言われた通りである雷斗はぐうの音も出ない。


 ──確かに伝えられてたら赤点危なかったけど……でもなんか複雑……!


「こうして私達を秘密裏に呼び出したということは、私達を投入する手はずが整ったということだ。違うか? 白浜」


 鋭く詰められていく言葉に、雷斗は改めて白浜を見つめた。対する白浜は感情を伺わせない瞳でじっと杏奈のことを見上げている。


 そんな白浜の視線が、ふいっと逸れた。


「まずは座ってくれや」


 その言葉に杏奈が先に動いた。


 スイッと前へ出た杏奈は、奥側の椅子へ腰を下ろす。その後を追う形になった雷斗は、杏奈の隣、白浜の正面になる席に腰を落ち着けた。


「雨宮詩都璃だが。アンナが言う通り、取調が行われた日の夜、忽然とあの特殊牢から姿を消した」


 雷斗が態勢を整えて顔を上げるまで待ってから口を開いた白浜は、だらしなく背もたれに預けていた背筋を正すとスッと表情を掻き消す。


 対する杏奈の顔には、最初から表情らしき表情がうかがえない。


「監視カメラ、および観測機器のデータは?」

「錬対の防犯システム全体に穴が開けられていたのが後から分かった。脱走時間を稼ぐために、外部から偽装データが挟み込まれた形跡がある」

「あの水と、入口扉までの壁を越えた手段は?」

「痕跡は何も見つけられなかった。よって手段は不明だ」

「ほぼ想定通りか」

「あぁ。やっこさん、計画は杜撰ずさんでも現場仕事は丁寧ときてやがる」


 白浜の言葉を受けた杏奈は、片手を口元に添えながら何事かを思案する表情を見せた。メガネこそまだずり落ちた状態で鼻にかかっているが、その顔はすでに『雷撃ライトニングの直観・インサイト』としての顔つきになっている。


「……これはいよいよ、私の推論が真実味を帯びてきたな」

「推論?」


 本来ならば、杏奈が考え事をしている時に不用意に声をかけるべきではない。杏奈の推察は捜査を支える重要な鍵だ。いくら杏奈の思考能力がスパコン並であったとしても、余計な茶々は入れないに限る。


 だが今回は気遣いの結果とはいえ、最初に自分だけ蚊帳の外に置かれていたことへの警戒心が勝ってしまった。そんな雷斗の不安を敏感に察知したのか、チラリと雷斗を見上げた杏奈は続けて白浜に視線を投げる。


「白浜」


 杏奈が鋭く白浜の名を呼ぶ。


 それが何かの許可を求めての呼びかけなのだと分かったのは、白浜が間髪入れずにその呼びかけに首を縦に振ったからだった。


「イト、私は深見台ふかみだい美術館に出張った後、研究所に戻ってから錬対にいくつか私の所感を伝えていた。私が時折そうやってイトを抜きにして事件に関わっていることは知っているな?」


 次いで杏奈は真っ直ぐに雷斗の瞳を見上げる。真正面から雷斗を見上げた杏奈に向き合うように、雷斗も杏奈へ顔を向け直しながら口を開いた。


「そりゃあ、まぁ……」


 杏奈は現場での捜査だけではなく、捜査会議にもその頭脳を提供している。立場で言うとオブザーバーと呼ばれるものであるらしい。


 現場に出る前から訓練と運用を兼ねて行われてきたという話だが、そちらでの御目付役は白浜が担当しているから、オブザーバーとして杏奈の活躍は雷斗の耳には届かない。


 ──多分、捜査上の機密事項がゴロゴロしてるからだろうけども。


 きっと雷斗が知っている杏奈の姿は、『冴仲さえなか杏奈』のごく一部でしかないのだろう。当たり前だ。いつも一緒にいられるようになったから勘違いしそうになるが、雷斗と杏奈が共に過ごしてきた時間なんてまだまだごく僅かにすぎないのだから。


 そのことが時々無性に悔しくて、雷斗が知らない杏奈の存在を突きつけられるたびに不安になる。


 だが今はそんな感傷に振り回されている場合ではない。


「私はその『意見』の中で、敵が黒浜を標的にしたのは、より長く、より派手に錬対に自分達を追ってもらうためではないかという推論を伝えた。内通者が内村潤平じゅんぺいである可能性が高いことも、白浜だけに内密に伝えたが……まぁ、白浜もそこは予想できていたらしい」

「は? それってどういう……」


 雷斗は思わず胡乱うろんげな声を上げていた。


 白浜が内村をあえて泳がせているということは、取調で顔を合わせた時に聞いている。疑問の声は、杏奈が述べた言葉の前半部分に向けられたものだ。


「イト。そもそも、だ。なぜ錬対の中でも黒浜だけが集中的に叩かれたと思う?」


 錬力犯罪対策室は、錬力使いの捜査官で組織された対錬力犯罪のエキスパートだ。錬力犯罪者は目を付けられたら最後、地の果て空の果てまで追われて必ずお縄にされる。


『そんな組織に追われたいって?』と雷斗は首を傾げた。そんな雷斗に向かって、杏奈は分かりやすい言葉を選んで推論を説明してくれる。


「黒浜だけが戦線離脱しても、犯人達を追う錬対の動きは止まらない。追われたくないならば、やつらは錬対全体に被害を出さなければならないし、実際それができるはずの実力はあったはずだ。だがやつらはそれをしてこなかった。戦線離脱を余儀なくされたのは黒浜だけだった。それはなぜか」


 杏奈は己の右手をトンッと己の右こめかみに置いた。まるで己の特殊な頭脳を示すかのように。


「黒浜の特殊錬力によって抽出された記憶は、監視カメラの映像や状況写真、ボイスレコーダーと同等の証拠能力が認められている。つまり、黒浜が現場でやつらの顔を目撃し、その記憶映像を元に犯人を割り出し、アリバイやその他証拠を揃えれば、錬対はそれらを根拠として犯人を逮捕することが可能だ」


 絶対記憶能力カメラアイと特殊錬力の融合。置かれた状況や感情に左右されずに記録に留め、年月の隔たりがあっても期間さえ絞られれば記憶は鮮明に抽出できるという。


 生きてきた人生そのものをまるっと記録したまま忘れない、生ける記録媒体。


『歩く物的証拠』黒浜廉史レンジの存在は、錬力に関わる者達の間では有名であるらしい。


「だがこれは『目撃者が黒浜廉史』であった場合にのみ成立することであって、他の人間が同じことを成し得たとしても証拠としては扱われない。たとえ私がやったとしてもだ」

「まぁ、そりゃそうだろうな」

「黒浜が現場から外れた今、錬対はさらなる物的証拠を見つけるか、犯人を現場で取り押さえるかの二択で犯人逮捕を目指すことになる。事件解決までの時間ははるかに伸びたことだろう。しかし動き自体は止まらない」

「確かに?」


 錬対にとって黒浜を現場から外すことは、現場周辺の防犯カメラ全てを潰されるよりも手痛い損失だろう。それを差し引いても黒浜は捜査官として有能であるという話なのに。


 ──ん? 捜査官って言えば……


 そこまで思い至って、ようやく雷斗は犯人達の行動に違和感を覚えた。


「何でもっと手っ取り早く殺すとか、拉致するとかしなかったんだ? 状況的にやれたんじゃないのか?」

「そう、そこだ」


 雷斗の声に杏奈が同意を示す。杏奈は恐らく捜査資料に目を通した時点でこの違和感に気付いたことだろう。


 ──そうじゃん。クロさんが記録してるのは、何も


 黒浜の記憶は本人の意図に関係なく、見たまま聞いたままを全て正確に、鮮明に記録している。そして必要期間を指定して抽出をかければ、どれだけ古い期間の記憶でも鮮明に取り出すことができる。


 そんな黒浜は、錬力犯罪対策室の敏腕捜査官だ。職務遂行にあたって部外秘の機密情報を目にする機会も多くあるだろうし、極秘調査に駆り出されたことだってあるはずだ。


 つまり黒浜は『歩く物的証拠』であるだけではなく『歩く極秘情報保管庫』でもあるのだ。


 拉致してあらゆる形で利用したいと考える人間も、黒浜から記憶が抽出されないように黒浜の命もろとも消し去りたいと考える人間も、世の中には恐らく掃いて捨てるほどにいるはずだ。だからこそ黒浜の傍らには幼い頃から常に白浜が護衛として付いていたのだろうし、本人だって戦う技量を研いできた。


 犯人側には、時間的にも体力的にも余裕があったはずだ。


 だというのにトドメを刺さず、拉致するわけでもなく、ただ重傷を負わせたまま現場に放置しておくなんて、あまりにもやることが中途半端すぎる。


「つまり敵は、黒浜に錬対にいてもらいたい、しかし今は一時的に離脱していてもらいたいという、いかにも中途半端なことを考えているのさ。『私情による怨恨』という理由もなきにしもあらずではあるが」

「はぁ? でもそんなことして、一体どこに旨味が……」

「敵が『将来的に錬対を自分達で利用したいから、必要以上に戦力は削ぎたくない』と考えているとしたら、どうだ?」


 その推論に、雷斗は今度こそ言葉を失った。


「……はぁ?」


 だって、あまりにも荒唐無稽ではないか。


 錬力犯罪対策室は、錬力を犯罪に使う人間を取り締まる警察機関の一部だ。一般警察では手に負えない特殊犯罪を捜査することが本分であり、決して犯罪者達に利用されるための機関ではない。


 というよりも、白浜を始めとした錬対の捜査官達が、そもそも自分達がそんな状況下に置かれることを許さないはずだ。


「では今度は、やつらの犯罪の傾向について考えてみよう」


 杏奈は混乱する雷斗をそのままにスルリと話題の矛先を変えた。


 そんな杏奈に口を挟むつもりがないのか、白浜は厳しい目つきのまま、説明を口にする杏奈と目を白黒させる雷斗を見据えている。


「雷斗は今回、回されてきた資料を見ていなかったな? やつらの犯行については、一切知らないという認識で間違いないか?」

「あ、あぁ」

「やつらの犯行であると断定されている事件は今までに13件。今年の4月25日の21時過ぎ、三澄みすみ博物館へ侵入し、絵画、書画、宝飾品等計21点を盗難した。これが初犯だと推測されている」


 以降、博物館、美術館、資産家邸などに次々と侵入し、資産物の強奪を繰り返しているのだという。


 犯行手順は至ってシンプル。


 電脳系担当者が建物を停電させ、セキュリティをダウンさせる。その間に鍵師がメンバーを中に引き入れ、荒事担当者の一人が非常用電源を破壊。その間に最短で目的物がある場所まで向かったもう一人の荒事担当者と鍵師が目的物を奪取。その間に警備と遭遇すれば荒事担当者が警備を駆逐。基本的に鍵師が穏便に鍵や防護ケースを無効化していくので現場が激しく荒れることはないが、鍵師の手際が悪ければ荒事担当者達が力技で鍵やケースを破壊していくこともある。


「ちなみに今までで一番荒れた現場は、先日の深見台ふかみだい美術館だったそうだ」

「主にお前の戦闘痕だったぞぉ、ライトぉ」

「は? いや、それは不可抗力じゃね?」


 恐らく美術館からの賠償請求には錬対が応じたはずだ。


『ライトニング・インサイト』を引っ張り出した以上、錬対側もある程度の損害は覚悟していたはずだが、相手に窓ガラスを割られているし、結構派手に体術も雷術も繰り出した覚えはあるから、予想以上に請求が高くついたのかもしれない。


「やつらが標的にしてきた場所に共通点を上げるとしたら『話題性』だろう」

「話題性?」

「そう。この一連の事件、一部ネット界隈では『錬力怪盗』と呼ばれて話題になっているそうだ」

「はぁ? カイトー?」


 怪盗、とはあれのことか。推理小説やらに出てくる、タキシードとマントに仮面やらシルクハットやらを装備した謎の男とか。


 どんな厳重な警備もものともせず、お宝を華麗に盗んでいく一派とか。満月を背景に高笑いをかまして、ついでに姫のハートもさらっていくアレとか。


 なんかそんな感じの、二次元世界のキャラ的な。


「いやいやいやいや」


 あれはそんな感じの夢が詰まった存在ではなかったし、そもそも窃盗や不法侵入は立派な犯罪だ。ましてや錬力を犯罪に使う集団のことをそんな美化したワードで話題にしてもらいたくないのだが。


「やつらの目標物には一貫性がない。絵画、書画、古美術品、装飾品、貨幣、その場で一番価値がある物ならば何だって持っていく。敷いて言うならば、『生身の人間が抱えて逃走できるサイズ、重量であること』だけが共通点だ。金目当ての犯行だと考えると効率が悪すぎる」


 確かに、金銭が目的の犯行であるならば、銀行でも襲撃して一度にゴッソリと大金を入手し、さっさと高飛びなり雲隠れをした方が効率がいいし、捕まりにくい。


 半月に1回ペースで犯罪を繰り返し、いまだにお縄になっていない一味なのだ。やろうと思えばそれくらいのことをやってのける技量は十分にある。


「金銭が目的でないならば、狙いは何なのか。愉快犯であるか、もしくは話題性だ。私は話題性を求めての犯行だと踏んでいる」

「話題性?」

「世間一般に対する印象づけと、錬対、および国家への印象づけだ」

「国家?」


 世間一般への印象づけ、という意味は何となく分かる。


 五華いつはな学園が生徒達の実地パフォームの映像を一般向けに公開することで『錬力使いはこのように世間の皆様をお守りします』『我が校の生徒達はこのように世間の皆様のお役に立っています』とアピールするのと一緒だ。つまり犯人グループは『自分達はこんなことができるんだぞ』と力をアピールしたい、ということになる。


 錬対への印象づけ、というのも、分からなくはない。


 要するに『俺らはこんなことができるんだぞ。テメェらなんぞより優秀なんだぞ』とか『捕まえられるんなら捕まえてみろよ、国の犬が』という挑発だ。かつて『仕事』で相対した中にはそういうタイプの犯罪者もいたことにはいた。


 だが犯罪を起こすことで国に対して一体何を印象づけたいというのか。雷斗にはその辺りのことがイマイチ分からない。


「印象づけ、というよりも、これは恐らく『反逆』なんだろうよ」


 雷斗の疑問がその域まで達したことを表情の変化で察したのだろう。語る杏奈の顔にフッと影が差す。


「反逆?」

「錬力使いが、一般人を守る。錬力使いが、世間を支える。……そんな『錬力使いを一般人が押さえつける』という社会構図に、彼らは反逆したいのさ」

「……は?」


 雷斗は思わず気の抜けた声を上げた。


 もうそれだけしか言えなかった。


「いや、……どゆこと?」

「一般人にはない素質を持ち、いにしえには魔法と呼ばれた錬力を使いこなす選ばれた人間こそが、その力で一般人を支配し、国を治めるべきだ。……残念ながら錬力犯罪に加担する人間達には、少なからずそういった思想の持ち主が存在している」

「そういう考えの人間がいるってことは、そりゃ知ってるっちゃ知ってるけどさ」


 錬力使いに限らず、選民思想と呼ばれるものを持つ人間は、残念ながらどの時代にも、どのカテゴリーにも存在している。


 だから分からないのはその部分ではない。


「でも、何でそれが錬力犯罪に繋がるんだ? 『俺達はこんなことができるんだぞ。ほらすごいだろ? ほら怖いだろ? だから従えよ』っていうアピールのために犯罪に走ってるってのか? だったら幼稚もいいトコだろ?」

「そう、幼稚。実に幼稚なんだ」


 雷斗の言葉に杏奈は深く溜め息をつきながら同意する。


 同時に杏奈はチラリと白浜に視線を送った。それに敏感に気付いた白浜が隣の椅子に置いてあった茶封筒を手に取り、杏奈に向かって差し出す。


「イト。お前が深見台美術館で見た荒事担当者、瞳の色が黒ではなかったと言っていたな?」


 杏奈は白浜から茶封筒を受け取るとスルリと中に手を入れた。ガサガサという音から察するに、中に入っているのは何らかの資料なのだろう。


「え? あぁ。暗がりだったから、詳しい色までは分からなかったけど」

「雨宮詩都璃の関係者をあたってみたところ、興味深い資料に行きあった」


 杏奈は茶封筒の中から書類を一枚抜き取ると雷斗に向かって差し出した。履歴書のような書類を受け取った瞬間、雷斗は思わず目を見開く。


「こいつ……!」

「やはりか」


 書類に添付された写真には、目つきが悪い青年が映っていた。ライオンのたてがみのように逆立てられた金髪が印象的な青年の目は、髪と同じくくすんだ金色をしている。


 あの時、現場は暗がりで、目元が割れたガスマスクからは顔のごく一部が垣間見えただけだった。


 だが雷斗の本能は『こいつで間違いない』と叫ぶ。


「三年A組はしばみ大地ダイチ。錬力属性は『地』。岩石系由来の建材や宝石等まで支配下に置くことができる錬力使いだ。物理戦闘のセンスも兼ね備えており、アタッカータイプの地属性としては学園最強と言ってもいい。こんな外見だが学業はすこぶる優秀。生徒会に所属し、会計を努めている」


 淡々と語った杏奈は続けて茶封筒から取り出した書類を次々と机の上に滑らせていく。


「同じく三年A組榊原さかきばらハヤテ。ご存知、生徒会長だ。錬力属性は『風』。カマイタチを武器とした戦闘スタイルは榛大地と双璧を成す強さとのことだ。二年C組清白すずしろ姫紀ヒメキ。生徒会選挙当時一年生でありながら生徒会副会長の座を手にした才媛としてこちらも有名だな。実家は旧家で政財界のパイプが強い。父親は有名な古美術収集家で、彼女自身の目も肥えていると界隈では有名らしい。錬力属性は『水』だ。内村潤平のイトコでもある。三年D組稲荷いなりナツメ。電脳世界に精神をダイレクトダイブさせられる特殊錬力持ちだ。その特殊錬力を活かして生徒会の広報官を担っている。そして」


 立て板に水を流すがごとく雷斗に口を挟ませないまま情報を並べた杏奈は、最後の書類をヒラリと顔の横で振った。


 今にも泣き出しそうな下がり眉の、白銀の髪の少女。さすがにその人物が誰であるかは雷斗にも分かっている。


「雨宮詩都璃。物体を透過できる特殊錬力持ち。雨宮家は代々、清白家に仕えてきた家で、彼女自身も清白姫妃に仕えている。姫妃の生徒会入りに合わせて生徒会に入っており、現在の役職は書記だ。関係性から言って内村潤平とは知己だろう」


 机の上に並べられたのは、生徒会メンバーの個人情報だった。生徒会長、副会長の顔と名前くらいは、雷斗も一応把握している。


 だが今はそれ以上の情報が雷斗の前に呈示されていた。


「え、ちょ……っ!?」


 なぜ今このタイミングで生徒会メンバーの身上書が並べられたのか。なぜその書類が白浜から差し出されたのか。


 さすがに説明されなくても察することができた。


「三年で双璧を成すアタッカー二人に、鍵師に電脳系錬力使い、それに加えて古美術品に詳しい人間まで……!?」

「疑ってくれ、と言わんばかりのラインナップだろう?」


 杏奈の口元がキュッと吊り上がる。だがチラリとだけのぞいている目元には苦味走った険が載せられていた。目元に浮く感情の方が杏奈の本心を表しているのだろう。雷斗だって似たような心境なのだから。


「よりにもよって『ウェルテクス』が相手かよ……!?」


 今は生徒会メンバーとして認識されている5人だが、それ以前からこのメンバーはひとつのグループとして認識されていた。


 実地パフォームランキング堂々1位。


 人気、実力ともにトップを極めた最強グループ『ウェルテクス』として。


「てか、何でここまで分かりやすくメンツが揃ってたのに錬対はこいつらに行き着けなかったわけ? もっと早く止めることだって……!!」

「そもそもこの一連の案件が錬対預かりになったのが3ヶ月前。やつらの手癖が分かって、現場に張り込みして姿を直接拝めたのが、クロがやられたあの現場だったからだ」


 低く響く説明の声にガリッと飴を噛み砕く音が重なった。ハッと視線を投げれば、棒付きキャンディを噛み砕いた白浜はいつになく暗い目を雷斗達に向けている。


「具体的な犯人像を割り出したのはアンナだしな。……まさかここまで分かりやすく挑発されてたなんて、俺も驚きだぜ」

「現場に制服をあえて着用していったのも、ある意味挑発行為だったのかもしれないな」

「もうこれ詰みでいいだろ! 今すぐしょっ引こうぜっ!!」

「証拠がないのさ、イト」


 思わず腰を浮かせて白浜に詰め寄った雷斗を止めたのは杏奈だった。ガバッと振り向けば、腕を組んで机上の書類を見据えた杏奈は、難しそうな顔で眉間にシワを寄せている。


「ただの目撃情報だけではしょっ引けない。そして現状、『ただの目撃情報』しかこちらには手札がない」


 錬力犯罪はその特殊性から、よっぽど動かしがたい証拠が発見された場合を除き、基本的には現行犯逮捕を旨としている。


 一般的な犯罪と違い、残された証拠が素直に証拠になってくれるかどうかが分からないのが錬力犯罪だ。犯人の錬力属性によっては、証拠の改竄なんていくらでもできる。


 その厄介な性質から、現場を押さえて犯人を直接確保するのが一番確実な立証だと言われるのが錬力犯罪だ。


「ましてや今回の場合は、五華学園の生徒が被疑者で、錬対に内通者がいる状況だ。下手に手を出せば揉み消しを狙った学園に錬対が潰される可能性まである」


 その言葉に雷斗はハッと目を見開いた。


 生徒会メンバーにしてランキング1位のチームが一丸となって犯罪行為を行っていたと世間に露呈してしまえば、五華学園の権威は失墜する。そうでなくてもこの一件は今後五華学園の明確な『汚点』として記憶されることになるだろう。


 五華学園は、ただの教育機関ではない。卒業生が政財司法に及ぶまで根を張った今、五華学園は錬力界における強大な権力者だ。この国の錬力分野の権力は国と錬力犯罪対策室、錬力学研究所、そしてこの五華学園に四分されている。


 ──そうか。この間の呼び出しにわざわざ校長が顔を出したのも、この一件にあえて俺達を巻き込んだのも……


 全ては、五華学園と錬力犯罪対策室の直接的なぶつかり合いを避けるため。


 確実に動かしがたい証拠がなければ……黒浜が現場不在の今で言うならば、現場で直接犯人を押さえなければ、彼らを逮捕することは難しい。


「計画が杜撰になるわけだ。目星は付けられても逮捕はできないのだから」


 机の上に広げられた資料に視線を落とした杏奈が低く呟いた。


「最初から正体を見破られることを、彼らは恐れていない。むしろ犯罪を楽しんでいる節さえある」

「っ……!!」


 意味が分からなかった。


 彼らのその無鉄砲な自信がどこから来るのか。いずれ錬力犯罪を取り締まる側に立つべき存在である五華学園の生徒達が、さらに言えばその模範となるべき生徒会の人間が、なぜ揃いも揃ってこんなバカなことをしでかしているのか。


 ──一体何がしたいんだよ……!!


「言っただろう、『反逆』だ、と」


 感情を波打たせる雷斗に対して、杏奈はどこまでも淡々としていた。全てを見透かす杏奈には、もしかしたら今隣にいる雷斗の感情を見透かすのと同じように、生徒会役員達の感情や思考まで見えているのかもしれない。


「だから、なるべく長く錬対をかき回したいのさ。だから黒浜を最初に沈めた。かき回している間に内通者が錬対を掌握し、生徒会達が五華学園を掌握する。そこまで完了してしまえば、この国の錬力分野の五割が掌握できたと言ってもいい」

「ならばやつらの最終目的には錬力相も入るってことだな?」


 不意にカチンッと、微かな金属音が部屋に響いた。


 異質な音に雷斗が顔を上げた瞬間、地の底から響くような低く冷たい声が雷斗の鼓膜に爪を立てた。


「五華学園、錬力犯罪対策室、錬力学研究所、錬力庁……これだけ落とせりゃ、この国の錬力分野は完全掌握ってことだ。そうだろ? アンナ」


 その声にゾッと雷斗の背筋が震える。


 杏奈と関わるようになってすぐの頃から……それこそ雷斗が小学生の頃から知っている白浜の姿が、急に見慣れない人間のものにすり変わったかのように思えた。


 修羅か、羅刹か。


 仁王と表するには黒すぎる殺気が、今の白浜の周囲には立ち込めている。


「そうだな」


 そんな白浜を前にしても、杏奈の声は変わらなかった。


 表情ひとつ、身に纏う空気のイチミリも揺らすことはなく、杏奈は目の前の修羅に答える。


「ハッ、面白ぇ。五華ココの生徒だろうが、錬力相を直に襲ってる現場を押さえることができりゃあ即お縄だ。そのまま捕縄とりなわを縛り首の縄に代えてやるよ」

「できるのか?」

「向こうさんを見習って、俺らも向こうにエサぁぶら下げてやろうってのは、多少考えにあったからな」


 杏奈の問いの意味合いを的確に読み取った白浜は、不意に顔から表情を消した。視線に含まれていた暗い感情も、身に纏っていた冷たい殺気も綺麗にかき消した白浜は、何も感情をうかがわせない顔で杏奈を見やる。


「今月末に、五華祭いつはなさいが行われる。祭のメインは学生同士で行われる疑似実地パフォームだ」

「知っている」

「その観戦に、錬力相が直接来る。一般人が官庁のトップと間近に接することができる、数少ない機会だ。やつらが見逃すとは思えねぇ」


 白浜が言わんとしていることを察した雷斗は、息を飲んだまま目を丸くした。対する杏奈は、やはり表情ひとつ動かさないまま静かに白浜を見据えている。


「錬力相をエサにあいつらをおびき出し、事が起きる前に叩き潰せ。手段はお前達に任せる『ライトニング・インサイト』」


 白浜の指令は、静かに部屋の空気に溶けて消えていった。


 その余韻に耳を澄ますかのように、杏奈は声が消えてからひとつ、静かにまばたきをしてみせる。


 結局はそれが、司令了承の合図のようなものだった。

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