第53話 そして、皇帝として

 星に選ばれた皇帝も、星の導きを受け取る聖女も、何も特別ではない。

 野菜を育てる農民とも、人を楽しませる役者とも、皇宮で書類と戦う貴族とも、何も変わらない。社会の中でその役割を負っただけ。負うことができただけ。


「だから、どうか、今隣にいる人の顔を、きちんと見ることを忘れないでください。その方の瞳に映る自分を見ることができれば、人は幸福を忘れない」

(そう。わたくしはただそれだけで、自分を保てた)


 だから、信じている。


「わたくしは願います。この大地が、ただ優しさと幸福に満ち溢れる日が来ることを」


 聖女として――皇帝として。


 誰もが沈黙して耳を傾ける中で、アネリナの声はとてもよく通った。アネリナの言葉が途切れると、一人、また一人と人々は膝を着き、頭を下げる。

 深く、一つうなずくと、アネリナは足を踏み出した。聖域から俗世へ、新たに背負った道を進むために。


 自然と左右に割れてできた道を、堂々と進む。その先に待つエイディールと、半壊した馬車の元まで辿り着き、腰を落ち着けた。

 今日戻るのは星神殿。しかし近いうちに皇宮へと拠点を移すことになるだろう。


(けれどまずは――一休みしたいですね)


 星告の塔を出てからこちら、激変し続けてきたアネリナの状況ではあるが、おそらく人生の中でも今日が一番だ。

 ……だから一息つく時間ぐらいはもらってもいいはずだと、アネリナは深く長い息を吸って、吐いた。




「ユリア。私は皇宮へ行き、今後の話を纏めてくる」

「これからですか?」


 星神殿に着いてアネリナを部屋まで送り届けた途端、ヴィトラウシスは踵を返そうとした。

 それに驚いた声を上げたアネリナに、外へと向かいかけていた体を引き戻し、うなずく。


「勿論だ。妙な野心を出して面倒を引き起こされないよう、周囲に話を通す必要がある」

「では、わたくしも」

「いや、貴女はいい」


 自分にまつわることなのだからと付いて行こうとしたアネリナを、はっきり拒否して推し留める。


「いいか、ユリア。ステア帝国の領土は広大だ。とてもではないが、一人の人間が把握できる量を超えている。貴女はこれから、上がってきた報告を確認するだけで精一杯の生活になるだろう」

「そ……そうですね、きっと」

「だからあなたは、己に上げる報告を正しく行う者を信じて、選び、仕事を委ねねばならない。今日は練習だと思って、私を信じて待っていてほしい」

「ほー? 大した自信だ。お前はちゃんとその仕事をこなせるわけだな?」


 挑発的なアッシュの言い様に気分を害した様子もなく、ヴィトラウシスは静かにうなずく。


「この程度の仕事がこなせなければ、私に彼女の左手は務まらない。――貴方も右手である役目を果たしてくれ」

「任せろ。必ずだ」

「ああ。任せた」


 表情を引き締めて応じたアッシュに肯定の言葉を残し、ヴィトラウシスは部屋を出ていく。


「……アッシュ。わたくし今、初代皇帝が少し羨ましくなりました」

「へえ? 何でまた」

「間違えてはならないことの回答が得られるのは、きっと心強かったことでしょう」

「まぁな。気持ちはわからなくもねーけど」


 一部は同意しつつ、しかしどちらかといえば否定的な言い方だ。


「けど?」

「頼り切って、考える頭を失くしたくはねーって話。『あると便利』ぐらいでちょうどいいんじゃね。つまり、今の姫さんの状態な」

「ふふ」


 アッシュの考えは、強い者しか持てないものだ。己で考えた何かが、成功したことがある者からしか出てこない。

 けれどアッシュが成功しかしていないわけではいのは、アネリナも充分知っている。だから素直に受けとめられた。


「貴方は本当に、強いですね」

「ああ、強くなろうとしてるからな。姫さんと一緒だよ」


 強くないわけではないけれど、少し無理をして強い自分を演出してもいる。


「姫さんにそう見てほしいから、強がってんの」

「成功しています。でもそれを言ってくれたということは、わたくしも少しは逞しくなったということでしょうか」


 護らなければならない、か弱いだけの少女ではなく。隣に立てる同志として。


「そこはまだまだ」

「容赦がないですね。そこはおだてておいてほしかった所です」

「いいんだよ。今はまだ。姫さんはそんな強くなくって」


 おもむろにのそり、と立ち上がると、アッシュは座るアネリナに覆い被さるようにして、その体を緩く抱き締める。


「もうしばらく、全面的に護られててくれ。ちゃんと俺に覚悟ができるまで」

「長くは待ちませんよ? だってわたくしは皇帝ですから」


 アネリナが未熟でいていい時間は、いきなりとても短くなった。


「ああ。俺も、しっかりした皇帝の方がいいからな。足は引っ張らないようにするさ」


 ふっと息をつき、体を離す。しかし元の位置には戻らずに、アネリナの隣に腰を降ろした。


「なあ、姫さん。姫さんはどんな皇帝を目指す?」

「それは決まっています」


 何しろアネリナは、ずっと願う側だったのだ。求める皇帝の姿はすでにある。


「わたくしはどのような立場、環境に在ろうとも、横暴のない平穏な世を目指します」

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厄災の生贄姫、身代わり聖女に転身する 長月遥 @nagatukiharuka

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