第32話 訪れ

「エイディール殿の姿が見えませんが?」

「彼には村に残って、村人たちの旅の支度を手伝ってもらうことになった」

「ああ、そうなのですね」


 帝国の町や村に限ったことではないだろうが、多くの人は自分が生まれた土地で生き、そこで終を迎える。

 旅慣れた者など極少数だ。あの規模の村なら、旅の経験者が一人もいなくても普通である。

 少なくとも、エイディールの方が慣れているのは確実。そういった人材が指示を出すのが、お互いにとって効率が良いだろう。


「だから、帰りは私たちだけだ。アッシュ、御者を頼めるか」

「ああ、いいぜ」


 星神殿における役職的に、それが自然だ。

 アッシュが近付くと馬二頭は揃って硬直し、動かなくなる。人に例えて言うならば、直立不動といったところか。

 単純に怯えているというよりも、畏怖や畏敬といった気配を感じる。


「そんなに構えなくていーから。気楽にいこうや。な?」


 苦笑しながら馬の首を撫で、アッシュはヴィトラウシスと交代で御者台に座った。アネリナは勿論、馬車の箱の中だ。


「よし、行くぞ」


 ヴィトラウシスが乗り込むと、馬車はすぐに走り出す。


「星神殿に戻ってからですが。この後わたくしに手伝えることはありますか?」

「いいや。むしろ一層、息を潜めていてもらいたい。窮屈だろうが、急激な露出は控えた方が良いと思う」

「分かりました」


 道理である。

 ヴィトラウシスは申し訳なさそうに言ったが、アネリナは当然のこととして受け止めた。


(懸念は尤もです。ここしばらくで、聖女ユリアの存在感をいきなり強くしてしまった。皆が今のことを過去にするまで、行動は控えるべきですね)


 ただし言い訳をさせてもらうなら、アネリナとて目立ちたくてやったわけではない。

 死を予感して助けを求めてきたクトゥラを見殺しにはしたくなかったし、天候に人の都合など関係ない。


(後は建国祭まで、部屋で静かに勉強をして過ごしたいものです)


 願いながらも、アネリナ自身あまり叶う気はしていなかった。

 ……残念ながら。




 帰還した後の星神殿は、しばらく慌ただしかった。

 小さいとはいえ、村人全員を移動させようというのだ。慌ただしくもなる。

 だがそれだけの甲斐はあったのだろう。三日後には無事、村人たちを星神殿に招くことができていた。

 そして今、外では雨が降っている。


「ラーミ山林の様子が気になりますね……」

「後ほど報告が来ます。きっと大丈夫ですよ」

「だと、よいのですが」


 星神殿の中では、村人たちと星神官によって、自然への感謝を伝える儀式が行われている。

 自分たちを育んでくれている、大地への感謝。当たり前になりがちなそれに、改めて意識を向けているのだ。

 そのことに気付かせた星神殿――強いては星の導きを受けた聖女への祈りも含まっているのは、場所が場所だけに自然の成り行きだと言える。


「では、今日はこの辺りにしておきましょう」

「もうですか?」


 今日本を閉じたリチェルに、アネリナは思わず時間を確認してしまった。

 雨雲のせいで暗く感じるが、まだ昼間だ。


「集中できていないようですし。ここ最近、ずっと根を詰めていらっしゃいます。時にはしっかり休憩することも大切ですよ」

「……否定できません」


 アネリナの意識は、今回の件を人々がどのように受け取ったか。そちらの方に大分思考を奪われている。

 後悔はしていない。けれど人の評価がまったく気にならないわけではないのだ。


「きっと上手くいきます。――では、わたしは控えの間にいますので、何かあればお声がけください」

「ありがとうございます」


 何者かによる襲撃を受けてから、聖女の周りは警備が強化されている。

 部屋の前には常に神官兵が立ち、控えの間にリチェルが待機する時間も増えた。

 侵入経路となった窓には格子がはめられてしまい、少し残念に思っている。

 この部屋にある格子はアネリナを護るための物ではあるが、どうしても星告の塔を連想してしまう。気持ちが沈むのは無理からぬことだろう。


(勿論、殺されるよりはずっといいのですが)


 息をつき、それでも唯一、外と繋がっている窓から目が離せずにいる。

 それは然程長い間ではなかっただろう。不意に密度の濃い靄が外に現れ、格子を擦り抜けて部屋の中に入って来た。


「!?」


 侵入した靄は一ヶ所に固まり、すぐに猫の形を作り上げる。華やかな金の毛皮にしなやかな体躯を持つ、美しい猫だ。

 ただし、登場の仕方がどう考えても猫ではない。

 アネリナは椅子を強く掴み、声を上げるために息を吸って――


「……クトゥラ殿?」


 合った青の瞳に既視感を覚え、その名を呼ぶ。

 アネリナが気が付いたことに嬉しそうに、猫――クトゥラは目を細めた。


「よく分かってくれましたね。さすが、星の聖女様」

「何の用です? 随分と礼を失した訪問かと思いますが」

「聖女様のご厚意で助けられた新参の厄介者が、おいそれと会いになんか来れませんよ。許可が出たとしても、必ず誰かが付いてくるでしょう」

「不穏ですね」


 側に第三者がいて都合が悪いというのは、どう考えても穏やかな要件ではない。


「あ、ご心配なく。恩を仇で返すほど腐ってはいません」

「そう願いたいところですが、信用しきることはできません。そこから一歩でも動いたら、音を立てて人を呼びます」

「いいですよ。話をしに来ただけなんで」


 クトゥラはアネリナの要求をあっさり呑んだ。とはいえ、彼がどのような能力を持っているか分からない以上、油断はできない。

 それでもすぐに人を呼ばなかったのは、面倒になるかもしれないことを承知で訪れた、クトゥラの話が気になったからだ。


「では、用件をどうぞ」

「星は僕の訪れを貴女に教えなかったんですね。必要ないと判断されたのか、それともやっぱり、受け取れないのか」

「わざわざ、流言の内容を伝えに来たのですか?」


 そのような話が流布されるのを、星神殿の誰も看過するはずがない。勿論、アネリナもだ。

 次の行動のために、魔力を体に巡らせていく。

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