第22話 正体

「しかし、困りましたね」

「どうした?」

「寝室にベッドは一つしかありません。さすがに同衾は遠慮したい」


 真剣に言ったアネリナに、ユディアスは気抜けしたような息をつく。


「始めから寝室には入るつもりはないから安心してほしい。言っただろう、私はこの部屋に留まる、と」


 言葉通り、日常を過ごすこの一部屋を指したものだったらしい。


(寝室や控えの間まで含めて一部屋にしたり、バラバラにしたり……ややこしいですね)


 そんな機微が少し面倒くさく感じるのは、アネリナの生活がこれまで雑だったせいだろう。


「貴方が紳士的であることに感謝します。では一つ確認しておきたいのですが、わたくしと貴方は対外的にどのような関係なのです?」


 明日以降、夜を一部屋で共にした男女の距離感を、どのように捉えればよいのか。

 アネリナはまだ、幅が広い『血縁』という言葉でしか、間柄を知らない。


「対外的には、ただの聖女と大神官だ。内部の一部の者にとっては、ユリアの従兄。更に限られた一部の者にとっては、ユリアの身代わりでもある。そしてごく少数のみが知る真実は……ユリアの、兄だ」

(やはり……!)


 皇女でもあるユリアの兄。つまりユディアスは先代皇帝の血を引く、最後の皇子だ。

 そしてリチェルは少なくとも、『限られた一部の者』の中に入る人物であるということでもある。

 ユディアスの立場を仄めかしてもいたので、真実を知る中にも入っているかもしれない。


「私の名はヴィトラウシス。ユディアスとは、先代聖女であった叔母の息子の名だ。十八年前の政変の夜、叔母は死んだ我が子を抱えて、私の元へと来た。今すぐに逃げろ。星の一族で逃げ延びられる可能性があるのは私だけだから、と」

(亡くなっているユディアス殿の名前を、今ヴィトラウシス様が名乗っている、ということは)


 そのときユディアスは、ヴィトラウシスとして葬られたのだ。


「叔母とユディアスは、私が住んでいた離宮で炎に巻かれ、焼死体として発見された。顔の判別はつかない状態だったらしい。身に着けていた装飾品で、判断された」


 もしかすればそうするために、炎の勢いを聖女自身が増させた可能性さえある。それをきっと、ヴィトラウシスも理解している。


「私はまだ三歳にも満たないユリアと共に、叔母が連れてきた神官と共に逃げた。その最中、私たちは怪我を負って……水路に身を投げた。そこしか逃げ場がなかったから。神官は言った。星神殿を頼れ、ユディアスを、ユリアを名乗れ、と」


 おそらく、神官はユリア皇女が助からないことを知っていた。聖女に聞いて覚悟していたのだろう。もしかすれば、自分自身も。


「ユリアと神官は、上がらなかった。私自身は叔母が手配していた星神殿の者に助けられ、ユリアを騙り、ユディアスを騙り……。今に至る」

「……」

「星の一族最後の一人として、皆が命を賭して繋いだこの命で、彼らの想いに応えなくてはならない。だが」


 護られた命の使い道を、ヴィトラウシスは選べない。彼自身が選ぶことを許していない。それでも。


「私が生き延びて、何ができる。何をすればよかった? 名乗れば殺されるだけのこの身で、妹を騙り、従兄を騙り、ただ隠れているしかできずにいる私が……ッ」


 十八年前のヴィトラウシスは、あまりに幼かった。ただ自分が生きることだけが精一杯だっただろう。

 そして彼が成長する頃には、帝国もまた、今の皇帝を中心とした組織へと移り替わり、固まってしまっていた。


「それでも星は、貴方を逃がした。人の未来のために」


 ヴィトラウシスが生き延びられたのは、幸運ではない。抗う者たち全員が死力を尽くし、ただ彼一人を逃がすためだけに己の命を投じた結果だ。


「分かってる。分かっているんだ。だが、私は何をすればいい……ッ」

「貴方の思うままに生きればよいのではないですか」

「!」

「星が、貴方を選んだのでしょう? わたくしと同じように」


 ヴィトラウシス自身が、アネリナに向けて言った言葉だ。

 それに彼はぐ、と唸り。


「……貴女は、意外と意地が悪いな」

「わたくし、凄く困ったし戸惑いました。貴方と同じように」


 聖女の身代わりを引き受ける事は、すぐに決めた。自分の状況を打開したかったから。

 けれど星が招いたのだから大丈夫などと言われても、はいそうですかと思い切れるわけがない。背負うものの影響が大きければなおさらだ。


「ですので。星に選ばれながら導きを得られない者同士、共に頑張りましょう。というより、己の住む国を良くしようと頭を捻るのに、星は関係ありません」


 帝国中枢における星の導きへの重要視は、おそらくアネリナが理解しているよりも重い。

 大きな方針はそれに従うのが当然の環境にいたヴィトラウシスが戸惑うのは、無理のないことではある。

 しかし大多数の人間にとっては、星の導きははるか遠い世界の出来事だ。


「己の頭で考え、決めて、動くのです。まあ失敗もするでしょうが、仕方ありませんね」

「その失敗は、取り返しがつかないものかもしれない」

「だからどうしました。動かないでいることそのものが、取り返しのつかない事態へ突き進んでいる失敗かもしれないでしょう」


 未来は一つしか選べない。そしてそれは、己の行動の結果だ。動かなかった、という行動であっても。

 ヴィトラウシスもアネリナも、結果を見通して導きを与えてくれる星には頼れない。

 ならばできることはただ一つ。

 己が後悔しない生き方をすること。

 もしそれが考えた上での行動なら、沈黙でも雌伏でも構わない。


「ですが、星がわたくしを招いたというのなら、わたくしと貴方の出会いは必要だと判断されたということ。ならば話し相手として、少しは役に立つかもしれません」


 星の導きと比べれば、頼りないことこの上ない。どれだけ語ろうとも、正しさへの確信など得られないのだから。

 それでもきっと、意味はある。ヴィトラウシスの心にも、アネリナの心にも。


「確かに、そうだ。貴女の言う通りだな」

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