第6話 己は委ねずに

 きょとんとしたアッシュにアネリナは腕を組み、さらに続ける。


「わたくしは凡人です。苦難に立ち向かい続けられるほど勇敢ではない。だから、己で逃げる手段を持ちたくなかった。アッシュ、貴方がここにいることに甘えてもいました」


 彼が自分を護ってくれることに期待して、委ねていた。


「知ってる。けど俺は、好きな相手に頼られるの嫌いじゃないぜ」


 だからこそアッシュもまた、アネリナの意思に従った。塔の中で過ごす分にはそれで充分だと、二人ともが知っていたから。


「貴方は相手を甘やかして駄目にする傾向がありますね。気を付けなさい。それは一歩間違えば虐待となり得ます」

「あー、悪いな。捕まえときたい伴侶を依存させて離れられないようにするのは、俺の種族じゃ常識だ」

「わたくしは貴方の伴侶ではありませんが」

「今はな。でも姫さん、俺がいなくなったら困るだろう?」


 聞かれるまでもない。


「……困ります」


 素直にうなずいたアネリナに、アッシュは嬉しげに笑みを浮かべた。支配者を思わせる、獰猛なものを。


「ソレを『困る』じゃなくて『無理』にしてやる。安心しろ、あんたの一生は俺がしっかり護ってやるから。――アネリナ」

「っ」


 今の今まで気付かなかった、乱れて肩にかかっていたアネリナの髪をアッシュの指が掬って背中に流し、整えられる。

 うなじを滑った感触にぞくりとして――振り払うために、アネリナはあえて大きく、己の手で髪を払い直した。


「わたくし、無力であるのはやめます。残念でしたね」

「それがあんたの意思なら構わないぜ。ちゃんと手伝ってやるから安心しろよ、姫さん」


 アネリナの反発をむしろ楽しげに受けとめて、アッシュは笑う。


「そういうわけですので、これからは魔法も教えてください」

「分かった。ただ姫さんがそれなりに魔法を使えるようになるには、独力での努力が必要になるだろうが」

「どういうことです?」


 師となる相手がいるのだ。指導も請け負ってくれているというのに、なぜ独力と称するのか。


「使える魔法は、自分がどこに所属している存在なのかってのに依るからだ。例えばさっきの神官――ユディアスは天星だ。俺は自然の四大源素のエレメント。特に火な」

「……ふむ」

「姫さんの血のルーツはどこになるんだ? 大体、所属は血で決まるもんだが。ニンスターではどういう魔法が使われていた?」

「我がニンスターでは、あまり魔法が盛んではありませんでした」


 アネリナが魔法に対して消極的だったのは、母国で過ごした幼少期に影響がなかったとは言えない。

 魔法を使う者がいることはいたが、総じてあまり強くなかった。発現も、他国や他種族の血に類するものであったように思う。


「そうなのか? 妙だな。姫さんの魔力は結構高いと思うんだが」

「ならば希望は持てますね。貴方の言う通り、努力をしてみるとしましょう」


 帝国に侵略を受ける直前まで、ニンスターは然程の武力を必要としなかった。軍事力が発展しなかったのはそこにも一因があるだろう。

 しかし現状、武力を軽視することはできなくなっていた。帝国が武力を重視した姿勢を取っているからだ。

 もしニンスターが優れた力を得れば、帝国からの扱いの改善も期待できる。


「ろくに鍛えてもいないわたくしにも力が宿っているというのなら、我がニンスターは存外、武力に秀でた血統かもしれませんね」

「前向きでいいね。アネリナのそういう腐らないところ、本当に好きだぜ」

「褒め言葉には礼を言いましょう」


 侵略を受けたとき、早々に敗北を認めて降伏したニンスターは、帝国に飲み込まれたのち伯爵領となった。

 現在のアネリナはもう『姫』と呼ばれるような立場ではない。しかし人の意識とはそう簡単には変わらないものだ。


 特に成人以上の年齢の者にはそうだろう。次の世代に移るまで、彼らにとってはアネリナは母国の姫だ。

 小国であろうとも王族は王族であるし、現在とて貴族ではある。その彼女を呼び捨てられるのは、本来限られた地位にある者だけ。とはいえ、塔の中で身分を持ち出すのなど滑稽だ。

 だから今まで、疑問には思ったとしても然程気にせずにいた。


(アッシュは、何者なのでしょうね)


 口調や態度は荒いが、その所作には洗練された品がある。そもそも、普通の平民が貴族の作法を教えられるはずがない。

 アネリナを侮辱したくてたまらない星占師が何も言わないということが、アッシュが教えた作法の正しさを証明している。

 彼の頭の中に納められている知識は、おそらく年齢以上に多い。


(アッシュというのも、おそらく偽名)


 だから後からサインをするアネリナが分からない文字で、星読の書に自身の本名を綴った。契約書だから、偽名を書くわけにはいかなかったのだろう。

 気にはなるが――


(隠したのだから、追及するのは今ではない)


 身の上が分からないことなど、大した問題ではない。害そうと思えばいつでも害せた彼との共同生活を、今更疑おうとはアネリナは思わなかった。


「じゃ、これからしばらく作業に入るから、姫さんは適当に休んでてくれ」

「分かりました」


 アッシュが仕掛けを終えるのに、どれだけの時が掛かるかアネリナには予想もできない。言われた通り窓際の椅子に腰を降ろし、外を眺める。

 娯楽の類が一切存在しない牢の中は、退屈だ。空を流れる雲の様を見て、飛び立つ鳥の声に耳を癒されていた方が、余程心安らぐ。

 部屋の一角で遠隔から結界を敷いて行くのに集中するアッシュの邪魔をしないよう、アネリナは淡々と時を過ごす。


(わたくしの血のルーツは、どこにあるのでしょうね)


 抗うための力を磨く。なんと甘美な響きだろうか。

 諦めていた時に感じていた乾きとは、比べ物にならない。

 アネリナはほぼ十年ぶりに、未来への想像を楽しく思い描く。

 牢から出て、この下らない茶番を廃止させ、ニンスターで穏やかに暮らす。

 アネリナの願いとは、ただそれだけの些細なものだった。

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