第4話 下準備

「答える前に、もう一つ。一月もの間、牢を空にはできません」


 星占師の訪れは不定期だ。

 大きな災害が起こったときは確実だが、何もなくとも姿を見せ、アネリナに理不尽を強いてゆく。

 おそらく自身に何かしら不愉快なことが起こると、それをぶつけに来るのだろう。


「それがどうにかなったら、やりたいか? 姫さん」

「アッシュ?」

「連中の訪れは、知ろうと思えばできる。塔に近付いて来たら戻ればいい。時間をかけずに塔に戻ることはできるか?」


 最後の確認は、ユディアスに向けてだ。


「可能だ。星告の塔には満足な結界が存在しない。私が近くにいる状態なら、いつでも送り届けられる」

「だ、そうだ。――どうする、姫さん」

(わたくしが、聖女の身代わり)


 気掛かりとしている部分の解決が可能となった以上、残る問題はアネリナの心ただ一つ。

 目を閉じ、声が掠れないようにしっかりと息を吸う。そして開いた瞳でユディアスを真っ直ぐに見詰め、答えた。


「やります」


 迷いなどない。それぐらいアネリナは現状に憤りを覚えていた。


「決まりだな」


 にやりと口角を上げて笑ったアッシュは、楽しげにそう言う。不敵に瞳を輝かせながら。

 そしてそれはアネリナも同じだ。


「なら早速で悪いが、俺と姫さんを一旦元の場所に帰してくれ。細工を仕掛けておきたい」

「分かった。では、これを渡しておく」


 言ってユディアスが懐から取り出したのは、丸く纏められた一枚の植物紙と、小さな布袋。アネリナが受け取ると、中の物はカチリと硬質な音を立てた。


「ここに出る転移魔法陣を写した魔道具と、発動させるための魔力を宿した魔石だ。私が持つこの契約書にサインのない者には、ただの紙と小石にしか見えないようにしてある」


 紐を解き開いてみれば、確かに無地の紙にしか見えなかった。市井でも手に入りそうな、粗めの植物紙だ。布袋の中身も、そこらの河原で拾ってこれそうな小石が二つ入っているだけ。


「名前を書いてもらえるか」

「俺から書く。構わねえよな?」

「ああ」


 疑っていることを隠さないアッシュの言い様に、ユディアスは気にした風もなくうなずく。

 全員、己の身の上は口頭で述べただけ。証明する物など無きに等しい。相手を量っているのはお互い様だろう。


(とはいえ、わたくしを担いだところで誰が得をするわけでもない)


 アッシュはユディアスから渡されたペンを、迷わず紙面に走らせた。綴られたその名前を見て、ユディアスはほんの僅かに息を呑む。


「……何だ?」

「いや。読めないなと思って。私は貴方を何と呼べばいい?」

「アッシュだ」

「灰、か。成程」

「ふん」


 腹立たしそうに鼻を鳴らし、アッシュはアネリナへと手を差し出す。


「姫さん。その紙を見せてくれ」

「はい」


 アッシュに紙を手渡し、その横から覗き込む。持ち手が変わっても、やはりアネリナの目には白紙のままだ。


「どうでしょう」

「リンクしている契約魔法だってのは、間違いねーな。俺には魔法陣が見える」


 うなずき、アッシュはアネリナへと魔道具を返す。それから目を閉じ、集中すること数秒。


「他に余計なものも付いていなさそうだ。名前書いてもいいぞ」

「礼を言います。けれどアッシュ。何も貴方が危険を買って出ることはありません。これはわたくしが望んでやろうとしているだけのことなのだから」


 アッシュがアネリナの盾となる必要はない。

 必要がないからこそ、もしそれでアッシュに害があれば、アネリナは自分を責めずにはいられない。そのとき味わうだろう苦しさが、容易に想像できる。


「んな寂しいこと言うなよ。言っただろ。俺はやりたいからやってる。それに何かあるなら、姫さんよりゃ俺の方がどうにかできる可能性が高い」

「それは、否定できません」


 正味な話、アネリナがアッシュ以上にできることなど何もない。七歳で牢に閉じ込められてから、以降、得られるはずだった教育は失われてしまった。

 アネリナが星占師たちから学んだのは、表情筋を動かさない方法ぐらいだ。


 今のアネリナの教養を支えているのは、すべてアッシュから与えられたもの。彼がいなければ、アネリナの言動は七歳の子どもの頃と大差ないものだっただろう。

 アネリナに文字の読み書きの続きを教えたのも、勿論アッシュだ。しかし――。


(……読めません)


 何の変哲もない、星神官ならば誰もが所持している星読の書。の、形をした契約書にアネリナもサインをしようとして、先に書かれたアッシュの名前を示すのだろう記号を目にする。


(アッシュの、故郷の文字でしょうか)


 共用語に不自由はしていないはずなので、あえて、ということになるのだが。


(なぜわざわざ?)

「どうした、姫さん。名前の綴り、忘れたか?」

「大丈夫です、覚えています」


 アッシュの問いに他意はない。使う機会がないせいで、自分の名前ですら定期的に反芻しなければ書き方を忘れてしまいかねない生活をしている。

 必要があって名前を書くのなど、いつ以来だろうか。間違えないよう、しっかり頭の中で思い描いてから文字を綴る。


「お返しします」

「確かに」


 ペンと星読の書をユディアスに返すと、アッシュがアネリナの前に紙面を広げて見せる。


「どうだ?」

「……変化は見えます」


 言葉を選びつつ、アネリナは答える。

 先程まで白紙であった紙に魔方陣が浮かんだのは確認したものの、それが転移魔法陣かどうかさえ、判断が付かない。


「まあ、俺もちっと門外だから断言できねえけど。転移系であるのは間違いなさそうだ。ここまで手の込んだ騙し方をする理由は誰にもねえだろ」

「そう思います」


 今のアネリナとアッシュに、それだけのことをしてまで得るべき社会的な影響力はない。

 勿論、個人としては別の話だが。


「今の話に裏の意図などない。だがそれは、時をかけて信じてもらうしかないだろう。とりあえず、今日の所はこれで」

「はい」


 星占師は去ったばかりだが、いつ気まぐれを起こして戻ってくるかも分からない。

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