第3話 身代わり聖女への誘い
「ってか、十年前はどうしてたんだよ。ユリア皇女はまだそのときは生きていた、ってことか? 確か黒髪の十二、三ぐらいの娘がやってたよな?」
記憶を辿るように虚空を見上げつつ言ったアッシュに、ユディアスは一拍、答えに間を置く。
与えるべき情報を考えた間だ。
「いや、ユリア皇女は……もういなかった。政変の最中で命を落としたと、聞いている。十年前の聖女ユリアも私だ。髪は染めていた。きちんと娘に見えていたのなら、何よりだな」
「聖女じゃねえじゃねえか! 大丈夫なのか!? ……まさか、今国に起こってる災害もそのせいとか言うんじゃねえだろうな」
大きな災害が起これば、星占師たちが求めてくる要求も重くなる。言い訳にしている以上そうしなくては不自然だし、同時に星占師たちがそれでアネリアを苦しめられるのを喜んでいるのを、アネリナとアッシュは知っている。
「もしそうなら、軽く落とし前付けさせろ。災害の度、姫さんがどれだけ……!」
「アッシュ」
毛を逆立て怒りを露わにするアッシュを、当のアネリナが止める。
「貴方の気持ちは嬉しいです。しかし民のために意に添わぬことを受け入れようとしている神官殿が、あえて民を苦しませる選択をするとは思えません。……貴方が行うのが、最善だったのですね?」
「星の導きを授かれるのは、星の血族のみ。そして私はユリアの血縁だ。儀式については問題ない。天災が殊更多かった、というわけでもなかっただろう?」
「……そりゃ、そうか」
アネリナとユディアスの言い分をやや気まずそうに認め、アッシュはうなずく。
「儀式の成功は、確かなのですか?」
生まれたときにはすでに現皇帝の支配下にあったアネリナには、それ以前の状態に関しての話は全て伝聞になる。
アッシュの外見はせいぜい二十歳前後だが、獣人族は個体によって寿命が大きく異なる種。
正確な年齢は聞いていないが、「多分姫さんの爺さんよりは上」という答えをもらったことがある。
「大丈夫そうだ。俺が子どものころと比べりゃ少ないぐらいだ。つまり、加護は先帝の時と同じく働いている。だが避けられねえで星占師の連中が姫さんに咎を押しつけに来てるってことは……」
「星の言葉を聞くのは、女性の方が上手いのだ。私に聖女の務めは果たせない」
「他に適任は……いないわけな」
自身の無力を口にしたユディアスには、本物の悔しさが見えた。質問の途中で自ら答えを出し、アッシュは気まずそうに後ろ頭を掻く。
「運命の星が導けば、すぐにでも婚姻を結び私が娘をもうけよう。しかし星の導きはまだ私に伴侶を示さない。そして最早時間もない。今の私がドレスを着ても、聖女と言い張るのは不可能だろう」
「無理だな」
「無理ですね」
ユディアスは柔らかな面差しで整った顔立ちをしているが、どう見ても男性だ。その体つきも同じく。
「ユリア皇女は黒髪で、紫の瞳をしていた。生きていれば、年は今年で二十。貴女は少々若そうだが、化粧と衣装でそれぐらいの年齢差はどうとでもなる」
言われてアネリナは自らの黒髪を摘まんで見詰め、指先から落とした。
「つまりそれぐらいの年齢の、黒髪紫眼の女性を呼び出した……。ということですか?」
「なんつー大雑把な……」
「いや、他にもいくつか条件は付けた。あまり顔を広く知られていないことや、面差し、立ち居振る舞いの基礎ができていること。――何より、現状に憤りを感じている者だ」
ユディアスが付けた条件の全ては、確かにアネリナに備わっていた。しかしそれでも思わずにはいられない。
「危険に過ぎる賭けだったのでは? 感情がどうあれ、利のために今の情報を現政権の誰かに売る可能性はあります」
「この魔法陣は、星の助力を得ている。その上で魔法は発動し、貴女を招いた。星の導きに嘘はない」
「……」
在るとは分かっていても、残念ながらアネリナには星の導きを実感できはしない。それでも、自分の心には問いかけられる。
(確かにわたくしは、今の話を売ろうとは考えていない)
星はアネリナの胸中を見通して選んだと、そう言うのだろうか。
(……不思議はありませんね)
先程も話に上ったばかりだ。
星はその時々にステア帝国に必要な人材を、過たず見い出してきた、と。
(わたくしがステア帝国の繁栄のための、人材? 体のいい人身御供でしかない、わたくしが?)
「本題だ。貴女には一月後の建国祭に、聖女として参加してほしい。実際の儀式は私が行うが、大衆に――何より皇帝に、聖女ユリアの存在を確信させてもらいたい」
「――……」
ここまで聞けば、求められていることも途中で想像が付こうというもの。
だが予想していたにもかかわらず、アネリナは即答することができなかった。
「協力したい気持ちはあります」
建国祭が星神殿主導の下で執り行われれば、星占殿の力を削ぐことができるだろう。彼らの嗜虐性に振り回されているアネリナにも、悪い話ではない。
「名前をいただきながら、自己紹介が遅れました。わたくしはアネリナ・ニンスター。『厄災鎮めの神子』とやらに選ばれた身です」
「!」
アネリナがどのような状況に置かれている娘か、ユディアスもその名乗りで理解した。そしてその瞬間、アネリナを見る瞳に同情と、それよりも強く謝罪の気持ちが映し出される。
星神殿が役目を果たせずに生贄にされた娘を前にすれば、むしろ自然な感情の現れかもしれないが。
「貴方が求める条件には、当てはまっているかもしれません。現在のわたくしの顔を知っているのは、ここにいるアッシュと、星告を告げに来る星占師だけですから」
塔の牢獄へと引き摺られて行って以来、両親の顔さえ見ていない。
それでも折りにつけ、父母はアネリナへの贈り物をしてくれている。宝石を身に着けることが禁じられた娘に、磨き上げ、精緻に細工のなされた木製の髪飾りを。毛皮も暖も奪われた冬には、綿花で編まれたコートを。
娘が少しでも健やかに過ごせるようにという、苦心を感じない日はない。
両親が心を砕いてくれていなければ、現在のアネリナの姿はさぞみすぼらしいものとなっていただろう。
「ですがわたくしは、星告の塔からは離れられぬ身。ただ逃げ出せばニンスターがどのような目に遭うか……。考えたくもありません」
星の導きに逆らった咎と声高に叫び、嬉々としてニンスター領を責めるだろう。その姿が容易に想像できる。
「それに建国祭ともなれば、星占殿も参列するのでしょう? その中にわたくしの顔を知っている者もいるかもしれません」
「聖女に近付けるのは星神殿の者だけだ。遠目からならば、化粧をしてヴェールでも被れば問題ない」
「身を改められたら?」
「絶対にさせない。奴らは儀式の失敗を怖れている。こちらが儀式のためにと否を言えば、引き下がるしかない」
儀式を成功させ、加護を維持し続けたいのは皇帝側も同じ。
ならばユディアスの言う通り、強引な行いは避けるかもしれない、とアネリナは納得した。
「貴女にとっても、悪い話ではないはずだ。聖女として儀式に臨めば、そこで自身を解放させることもできるだろう。星が神子の任を解いた。しばし神子は必要ないとでも言ってやればいい」
「!」
ユディアスが口にした褒賞は、今のアネリナが最も望んでやまないもの。
「どうか、聖女の役を引き受けてほしい。貴女の大切なものを、自身の手で護るためにも」
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