第7話

【「三十歳くらいのサラリーマンが、表紙に十五、六歳の女の子がほほえんでいる漫画雑誌を買っていく姿はやっぱり気持ちが悪いですね。店にさっと入ってきて、無言で何冊も買っていくのが彼らの特徴」漫画同人誌を扱っている、都内の女性店員の弁だ】


日本経済新聞1987年4月28日朝刊「ネクラの証明?男性アニメ族」



 いじめはいきなり死ぬような目にあうわけじゃない。

 まずはどこまでやっても許されるかの見極めをする。

 ここで言う許されるってのは教師や警察の介入って意味だ。

 いじめをする子はバカなんだから自分で判断なんてできるはずない。

 つまり教師や警察が介入しなければ……どこまでもエスカレートする。

 最初は陰口からはじまった。

 気持ち悪いだの。

 ネクラだの。

 存在するだけで空気が悪くなるの。

 アニメなんて見て恥ずかしくないのかだの。

 おそらくここで教師が介入していれば悲劇は防げただろう。

 だがやる気なんてない。

 むしろ教師は積極的に火種を投入していた。

 朝のホームルームで担任の鈴木がさぞ不愉快だとばかりに言った。


「ここに女性を差別する悪いやつがいます」


 へえ。だから?

 差別主義者以外の人間。このクラスにいる?

 なぜか鈴木は僕らをにらんだ。


「女性が襲われる漫画を見て喜んでいるおまえらのことだ!!!」


「はあッ?」


 いや待ってくれ。

 武藤や須田が好きなのは男が無残に死にまくるお話だし、僕だって描くのが好きなだけだ。

 そりゃエッチなの嫌いじゃないけど……。

 そもそもエッチな漫画なんて手に入れるのが難しい。

 なに言ってんだこいつ?

 本当になに言ってんだこのクソババア……。

 僕の混乱する姿を完全論破と勘違いしたのか鈴木は続ける。


「野村ああああああああッ!!! おまえらオタクのせいで女の子が死んだんだぞ!!! 謝れ!!! クラスのみんなに謝れ!!!」


「なに言ってんの……?」


 否定が自然と口から漏れ出した。

 いやなに言ってんの?

 なんでキレてるの?

 それ僕と関係ないよね?

 疑問が頭をぐるぐるした。

 次の瞬間、バンッと音がした。

 平手で顔を殴られたのだ。


「まだわからないのか!!! この精神異常者め!!! 先生は悲しい。おまえらが! 真人間に戻ってこれるのは今だけなんだぞ!!!」


 言葉は通じるけど話が通じない。

 それが形容できないくらいに不気味だった。

 僕はなにもやってない。

 僕が異常者だとしたら、なにもやってない僕を糾弾するお前らはなんだというのだろう?

 だがここでさら異常なことが起きた。


「先生! 僕反省するよ!!! もう、オタクやめるよ!!!」


 それは武藤だった。

 武藤が感涙していた。

 顔は歓喜のあまり歪み、その歪んだ顔から嗚咽する音を出していた。。

 なにがあった?

 それは僕が死ぬほど嫌いな森田健作が出演してる青春映画の一場面のようだった。

 気持ち悪い……吐きそうだった。

 武藤と鈴木は抱擁する。

 その不気味さ。気持ち悪さ。

 まるで肉屋の豚ロースが絡み合うかのような……。

 なんだこの茶番は?

 なぜ自分はこんな茶番につき合わされているのだ?

 震えるほどの嫌悪感が体を駆け巡った。

 ……おいおい冗談だろ。

 冗談だったらどれほどよかったか。

 どれほど幸せだったか。

 彼らは……クラスの連中は本気だったのだ。

 隠れキリシタンの取り調べのような光景。

 それが許された時代の狂気だった。


 武藤……大丈夫かよ。

 武藤に裏切られたなんてそのときは思いもしなかった。

 間抜けな僕は武藤の精神の均衡を心配してた。

 ふと友利と目が合った。

 あのバカは俺を見ていた。

 友利はニイッと口角を上げた。

 まるで壊してもいいおもちゃを見つけたかのような。そんな目をしていた。


「うわああああああああああ!」


 友利が叫んだ。


「どうしたの友利さん!?」


 鈴木が駆け寄る。


「オタクのせいで……オタクのせいでアタシたち、受験に落ちちゃうんだ……! あいつが……あいつがいるから高校入学できなくて、大学にも行けなくて、ホームレスになって凍え死ぬんだ!!! どうして! どうしてえええええええええッ!!!」


「……知らねえよバカ」


 とうとう口から出てしまった。

 次の瞬間、鈴木の平手が飛んできた。

 耳に当たる。


「このオタクがああああああああああッ!!! せっかくオタクをやめさせてやろうとしたのに!!! この恩知らずが!!! このネクラの恥知らずな女性差別主義者!!!」


 そのまま何度も殴られる。

 小学生みたいに背の低い女子。村田が悲鳴を上げた。


「いやあああああああああああああああッ!!! 誰か助けてえええええええええッ!」


 この日、村田は自分が殴られたわけでもないのに一番の被害者になった。

 僕が殴られている間、須田は呆けていた。

 助けろなんて言わない。

 人間にはできることとできないことがある。

 これはどうにもならないことだ。

 隣のクラスの教師がやってくるのが見えた。

 まるで他人ごとみたいに僕はそれを眺めていた。

 ただ僕は思っていた。


 こいつらみんな死んでくれないかな。

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