1989年の邪宗門(アナセマ) ~あるオタクの死~

藤原ゴンザレス

第1話

「死ねよオタク!」


 ぐちゃっと頭の中で音がした。

 鼻が潰れて目の奥で火花が瞬く。

 緑色の粒が光る目に今度はガツンと硬いものが当たった。

 それがヒザだってわかった瞬間ブチブチと頭から音がする。

 髪の毛が抜けたんだってわかった。

 もう一度ヒザ。

 がつん。

 ずりっと口の中が切れた。

 鼻の奥からも生暖かいものが喉に流れてくる。

 今度はガツンと頭が跳ねた。

 髪の毛を引っ張られそのまま投げられたんだ。

 なぜか僕は冷静にそう思った。

 顔の横に上履きのつま先が突き刺さる。

 抵抗もしてないのに今度は僕の顔を踏みつける。


「あはははははははは!!! オタクをぶっ殺したぞー!!!」


「菊ピー! かっこいい!!!」


「おらオタク!!! 起きろや!!!」


 僕を蹴った菊池、それと小平と渡辺が猿みたいに歓喜の雄叫びを上げる。

 腹に蹴られ僕は体を丸くする。


「てめえ! なに丸くなってやがんだよ!!!」


 すると後頭部を蹴られる。

 何度も何度も蹴られ。踏みつけられた。

 菊池だけじゃない。

 小平も渡辺も僕を蹴る。

 やめてという声も出せないほど蹴られ続けた。

 蹴るのに飽きると今度は髪の毛をつかまれ殴られる。

 ボロボロになった僕は抵抗をやめる。

 すると顔を上履きが踏み潰す。


「おいオタク!!! てめえ気持ち悪りいんだよ!!! いい年こいてテレビで漫画なんか見やがって!!!」


 そう言って僕を見下ろす菊池。

 アニメって単語が出なかったのだろう。

 少しだけ優越感があった。

 でも僕は負け犬。

 僕のプライドも身の安全も守れないゴミ。

 僕は殴られて当然の人間?

 ただ絵が好きなだけで殴られる?

 どうして?

 どうして?


「黙ってんじゃねえぞ! 死ね!!!」


 がつん。

 僕は顔を蹴られた。



 発端はなんだったのか?

 もう遙か遠い昔に思える。

 僕が野村と呼ばれていたころ。

 あれは1989年の夏だった。

 僕は中学一年生。

 魔女の宅急便が数日後に上映される。

 そんな平和な時代だった。

 そりゃ令和のいまとは違って暴走族は元気に走り不良が毎日喧嘩をする。

 メジャーな漫画雑誌には不良を描いた作品が必ず掲載されてた。

 あの角川だってヤンキー漫画を掲載してた時代。

 でもそれは僕には関係なかった。

 だって僕はオタク。

 オタクの定義はわからないけど、みんながオタクって言うからオタクなんだと思う。

 趣味は絵を描くこと。

 とは言っても漫画やアニメみたいな絵を描いてるわけじゃない。

 美術部で課題の絵を描いてるだけだ。

 よく「漫画家になりたいの?」なんて聞かれるけどわからない。

 なるのはすごく難しいって聞くし、そもそもどうやってなるのかわからない。

 それに漫画を描くのは難しい。コマ割りなんてどうやったらいいんだ!?

 わかるのはとても絵が上手くて面白い話が描けなきゃいけないこと。

 アニメ雑誌のサークル紹介に手紙を出せばいいのだろうか?

 調べてみてもわからない。

 そんな僕を周りは否定しなかった。

 だって僕は迷惑なんてかけてない。

 成績は普通よりちょっと上。

 運動はバスケットボールで邪魔にならない程度。

 音楽は苦手だけど合唱コンクールで足を引っ張ったことはない。

 夜遊びはしないし、暴走族に知り合いはいない。

 友だちはそれなり。

 運動部みたいに親友だらけっていうのは難しいけど、よく話す友だちはいる。

 誰の邪魔にもならないし、目立つこともない。

 彼女はいない。というか接点がない。

 サッカーと野球、それにバスケットボールが上手じゃなきゃ話しかけてもくれない。

 僕も女子はちょっと苦手だ。めんどくさいから。

 ……気まぐれすぎて。

 要するに僕はただ流されるままに生きてきたと言えるだろう。

 一つ言えるのはこの頃は僕を殴る人間はいなかったし、先生も僕の名前くらいしか覚えていなかったはずということだ。

 誰の敵にもならず、誰の味方にもならず。

 いじめられもせず、ただ絵を描く自由な生活。

 それがひっくり返ったのが1989年の夏。

 あの連続殺人犯が逮捕された日のことだった。

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