第37話 シュレディンガーの箱の中身

「なぁ、マジで他に服ないのか?」

「借金のカタとか言って全部持ってかれたの。たぶん逃げないためだと思うけど」

「悪いな。まさかうちのこととは思ってなかったから」


 賞品として受け取ったはいいが、輝はバニースーツのまま現物支給された。輝が俺の部屋から持っていった荷物は全部売り払ってしまったと言われてしまった。とりあえず俺の上着を着せているけど、そのせいでストッキングとヒールが余計に目立っている気がする。


「とりあえず輝ちゃんの服をどうにかしませんか? さすがに目立つと思うんですけど」


 美空先輩は輝のバニースーツを特に気にする様子もない。目立つのなんて慣れてしまってるからなのはわかるけど、カジノイベント帰りの大量の客がいてもこれだからレベルが違う。


「えー、後でネットで買うからいいよー。僕のお金も全部取られちゃったし」

「お前、それ俺のクレジットカード勝手に使うつもりだろ」


「お給料もらってなかったし、お父さんがくれなかった分こーすけからもらっても別にいいじゃん」

「いいわけが、まぁ、いいか」

「じゃあまずは服を買いに行くぞー!」


 拳を突き上げて前に出た美空先輩の後ろで俺はこっそりと輝の隣に並んで耳打ちする。


「さっきさ、その方が高く売れるから若い女ってことにして父親のところに売られた、って言ってたよな?」

「そうだけど?」


 不敵な笑みを浮かべて、輝は俺を見上げる。俺が何を聞きたいかわかっているけど、それを俺の口から言わせたいって感じだ。


「ってことは、お前って成人男性ってことになるんじゃ?」


 言わせようとしているとおりに聞くのはしゃくだった。それでも聞きたかったことを聞いてみる。輝は想定通りのことを聞いてもらったのが嬉しかったのか、輝の声は一つトーンを上げた。


「そんなの嘘に決まってるじゃん。そう言っておけばあいつが手放しても惜しくないって思うでしょ?」

「お前は……!」

「でもさ」


 輝の顔が一気に近づいてくる。俺の耳元に唇を寄せてそっとささやく。


「こーすけが女の子の方がいいっていうなら、そういうことにしといてあげるよ」

「それってどういう意味だよ」


 そういえばどっちがよかったんだろう。最初は女の子だと暴いて追い出すのが目的だった。いつの間にか、今は一緒に暮らしていたいと思っている。


「ちょーっと待ってよ。こーくんは私の彼氏なんだから」


 先に行っていたはずの美空先輩がいつの間にか背後に回っていて、後ろから俺と輝の間に割り込むように体を寄せる。耳打ちするほど近かった輝の顔が、微笑みを浮かべながら遠のいていく。


「輝ちゃんは今まで通りこーくんと一緒に住むのはしょうがないけど、それだけだからね」

「じゃあ、やっぱり今の僕は男の方が都合がいいみたい」


 美空先輩から視線を逸らしながら輝は苦笑いを浮かべる。美空先輩はそのまま俺と輝の間に入って両腕にそれぞれつかんで放さない。


「こういうときも両手に花って言うのかなぁ?」

「輝はともかく俺は違うんじゃ」


 それでも美空先輩は俺の腕をつかんだまま放さない。


「ま、そういうことならやっぱり男の子ってことにしとこうかな。未成年で同性なんだから一緒に暮らしても問題ないよね」


 目の前で輝が元の男に戻っていく。何も変わっていないのに、俺の認識は言葉につられて変えられてしまう。シュレディンガーの箱は開かないまま、覗き込むことはできない。中の兎はやっぱり俺からは観測できないままらしい。


「それじゃ、輝ちゃんが帰ってきたお祝いに私のチップ代としてもらったお小遣いで何か食べようよ」

「いや、まずバニーガールをどうにか」


「僕が何か作ってあげるから、服買うのはネットにしてスーパー行こうよ」

「なんか輝ちゃんの手料理って久しぶりだね。その方が楽しみかもねぇ」


 俺の隣で輝と楽しそうに話す美空先輩を見て、少しだけ嫉妬する。


「輝は男なんだろ。美空先輩はやらないからな」

「なるほど。そういう可能性もあるんだ」

「可能性ってお前が言うなよ」


 なんだか急に不安になってくる。やっぱり輝は女の子でいてくれた方が都合がいいんじゃないか。


 考えている間に、夕食の献立こんだての話をしながら、美空先輩と輝は先へと進んでいく。


 その背中を俺は慌てて追いかけた。輝の性別が何であっても振り回されるのは変わらない。でも、そんな生活がもうたまらなく好きになっている自分がいる。


「待って! スーパーにバニーガールのまま入らないでくれー!」

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シュレディンガーの兎 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

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