第11話 自分の生まれた場所が人生に与える負の影響について

 てるを残して遊んでいたことに対しては悪かったと思っているけど、今日こうして温泉に誘ったのはそれだけが理由じゃない。


 輝の正体を観測するためにここまで連れてきたのだ。ここで見失ってしまったらその目的も何もなくなってしまう。


 脱兎のごとく廊下を走り去っていく輝は、普段のダラけた姿なんて微塵も感じさせないほど俊敏で、細い廊下を軽やかな足取りで駆けていく。


「これが、若さか……!」


 敗因は年齢よりも俺の運動不足のせいだってことはわかっている。ただ輝の身のこなしはそれを差し引いても華麗で、廊下を3度曲がって宿の外に出た頃にはすっかり見失ってしまっていた。


「ちくしょう。引きこもりキャラのくせに」


 悪態をついても輝の答えは返ってこない。どこへ行ったのかと辺りを見回す。温泉街と言ってもそれほど広くない。走り回ればもう一度見つけることくらいできるはずだ。

 左右に伸びている道のどちらに向かおうかと考えていると、ふいに肩を叩かれた。


「おや、またお会いしましたね」

「またあんたか」


 振り返ると、先ほど駅前で演説をしていた政治家の男だった。口元は笑っているが目にはゆるみがない。悪だくみが表情にまで染み付いて離れなくなっている。だから俺は政治家が嫌いだ。


「石崎と申します。お坊ちゃんにこんなところでお会いできるとは光栄です。本日はご視察ですか?」

「嫌味か? 俺はただの大学生だ。日帰りで温泉に来ただけだよ」

「それはそれは。ちょうどご案内したい温泉がございまして。こちらへどうぞ」


 石崎は俺の答えなど聞かずに、俺の両肩をがっしりとつかんで押していく。いつの間にか秘書が回してきたらしい高級車に押し込まれる。


「おい、これ誘拐だぞ」

「誘拐くらいいくらでもごまかせますよ。あなたはよくご存知でしょう?」


 石崎は邪悪な笑みを浮かべて答える。俺は苦虫を噛み潰したように黙ってシートに深く座り直した。


 どこまで連れて行かれるのかと思ったけど、俺を乗せた車は数分走っただけで温泉街の外れあたりで止まった。竹で編まれた垣根に小さな小屋があるのが見える。その奥は大きな川が流れていて、温泉が混じっているのか、うっすらと湯気が立ち上っている。


「なんだここ?」

「さぁさ、中へどうぞ」


 俺の質問に答えることなく、石崎は俺の背中を押して小屋の中へと押し込んでくる。


 小屋の中は脱衣所になっていた。そこでようやくここも温泉の一つだと気付く。小さな棚にかごが入っていて、ここに服なんかを入れるようだ。あとは申し訳程度の蛇口が2つついた流し台と有料のドライヤーのついた鏡台が1つだけ。必要最低限の設備という感じだった。


「いらっしゃるのならもっとよいところをご用意していたのですが。しかしここもなかなかの穴場で風情がありますよ。ここは川底の浅いところに源泉が湧いていましてね。少し掘って川の水で温度を調整すると温泉として楽しめるのですよ」


「誰も頼んでないけど」

「急ごしらえですが、趣向もご用意していますので」


 俺の話なんて少しも聞いていないように石崎は言いたいことだけ言って脱衣所から出ていった。入り口で見張っているだろうし、素直に出してはもらえそうにない。温泉に入りに来たのは事実だし、物珍しい露天風呂に興味がないわけでもない。


「しょうがないから入っていくか」


 俺は諦めて空いているかごに荷物と脱いだ服を放り込んで、風呂へと続くガラス戸を引いた。


 湯けむりが立ち上って前もよく見えない。足元は河原だからか角が取れた丸い石ばかりで足が傷つくことはなさそうだけど、特別整備されていないようだった。ゆっくりと進んでいくと、湯気の発生源が見えてくる。本当に河原の石をどけて掘っただけのような湯船は、普通に入ると川遊びのようで少し恥ずかしく感じられた。


 熱い湯に足を入れると湯船の全体が見えてくる。貸し切りだと勝手に勘違いしていたけど、先客がいるらしかった。


「いらっしゃ~い」

「サービス、しますねぇ」


 両手をつかまれてそのまま温泉の中に引き込まれる。冷えた体が一気に芯まで温まっていく。


「って、なんで人がいるんだ!?」

「サービスです」

「サー、ってなんでだっ!」


 両隣には知らない女性が二人。湯の中にいるからはっきりとは見えないけど、たぶん裸だ。大人の女性らしい豊満な体が見えそうで見えない。温泉に浸かっているんだから当たり前なんだけど。


 両隣に座った二人の女性はそれぞれ俺の手をしっかりと握っていて逃げ出すこともできない。こんなところ輝に見られたら、また何を言われるか分かったものじゃない。


「石崎先生から、とても大切な方のお子様なので、たっぷりとご奉仕するように言付ことづかっています」

「大学生? こういうことをしてくれるお店にはもう行ったのかなあ?」


 両サイドで路線の違う女性が言いたい放題言ってくる。だけど、俺はどちらの方も向かずにまっすぐ前を向いて無視を決め込んだ。


 さすがに性風俗で働いている相手というわけじゃないみたいで、俺が黙ると肌を近づけてきたり甘い言葉をささやいてきたりということはなかった。ただ無言のまま数分経った頃に、耐えきれなくなったのか、左側の女性が声色を普通に戻して聞いてきた。


「ねぇ、あなたのお父さんって何者なの? 石崎先生ってもう4期連続当選中の衆議院議員でただの新参議員じゃない。観光関係の勉強会も主催しているくらいなんだから。そんな人がただの大学生をここまで接待するなんて考えられない」


「そんなのあのおっさんが勝手にやってることだろ。俺には関係ないっていうのに」

「あなたに関係ないってことは本当にあなたのお父さんがすごいってことじゃない」


「すごくない。ただ人一倍あくどいってだけ」

「あくどい? 石崎先生はそんな不正な政治家じゃないですよ!」


 さっきまで黙っていた右隣から大きな声が上がる。耳を塞ごうとしたけど、両手はしっかりとつかまれていて眉根を寄せて耐えるしかなかった。


「さっきの奴があくどいとは言ってない。うちのアレがあくどいって言っただけだ。あの石崎ってのもIR計画に一枚噛んでるのか?」


「勉強会で何度も議題にしているみたいですが、これからの日本には必要なことです!」


「あぁ、そうか。だったらこれ以上話すこともない。俺の父親は山王遊技さんのうゆうぎの社長。日本のパチンコ業界の親玉。悪の権化だ。だけど俺には関係ないことだ」


 両手を振り払って立ち上がる。勢いよく湯の中から出たせいで少し立ちくらみがしたけど、なんとかごまかして脱衣所に逃げ込んだ。湯気の奥を振り返ったけど追いかけてくる様子はなさそうだった。


「あの家から逃げ出せても、俺はアレの息子扱いか」


 せっかくの旅行気分を台無しにされた俺は、溜息をつきながら体を拭いて、石崎の車を無視して宿に逃げ帰った。

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