第10話 裸の付き合いが本当に人の心の距離を近づけるかという考察

「なぁ、ちゃんと風呂入ってるか?」

「なーちゃん、って誰?」

「いや、そういう古典的ないたずらをしたいわけじゃない」


 先日、一人きりで輝を部屋に置いてカラオケに行っていた埋め合わせに俺はボードゲームのテレビゲームに付き合わされていた。


 俺は2連続で目的地一番乗りを決めて、駅を独占したところだ。とはいえ2位の輝は妨害カードを貯めこんでいて、いつ使ってくるかわからない不気味な動きをしている。


 徹夜でぼんやりとした頭で戦況を整理しながら、俺は思い出したように輝に風呂の話を聞いたのだった。


「ちゃんと入ってるよ。こーすけがいないお昼の間に。ほら、臭くないでしょ」

「臭くないのはわかってるから頭を振るな」

「じゃあなんで、そんなこと聞いたの?」


 輝は乱れた髪を整えながら不満そうな顔で尋ねる。

 もちろん俺だって輝が臭うと思ったことはない。


 同じ風呂に入って、同じせっけんとシャンプーを使っているはずなのに、むしろ輝からは甘さを帯びたいい香りがする。その秘訣ひけつを教えてほしいくらいだった。


「実はな。こういうのをもらったんだ」


 俺が取り出したのは近くの温泉の日帰り入浴券だった。電車で2時間ほどの場所にある温泉街の中にある。部屋も借りられるので休みの日なら一日観光しながら施設の温泉も楽しめるというものだった。


「どうしたの、これ?」

「関本、このあいだ一緒にカラオケ行ったやつがくれたんだよ。迷惑かけた埋め合わせだって」


 すっかり輝を俺の彼女だと勘違いしている関本は、俺たちみたいになるなよ、とわざわざ仲直りのために用意してくれたのだ。


 関本の方は彼女に平謝りして許してもらったらしく、合コンも日を改めて開催すると言っていた。


「そこに僕と行こうと思ってるってわけだ」

「変に勘繰るなよ。もらいものなんだから」


 そう答えながら、俺の背中には汗が流れる。本当にこういうときだけは輝の勘はよく働く。


 温泉入浴券を手に入れたのはたまたまだけど、俺の狙いはもちろん輝の性別を観測すること。そのためにこんなまたとないチャンスを使わないわけにはいかない。


「嫌なら美空先輩を誘ってみるか」

「誰も行かないとは言ってないでしょ。いつ行くの?」


「明日の日曜日でいいか?」

「うん。僕は全然構わないよ」

「一日中部屋でマンガ読んでゲームしてるだけだもんな」


「ちゃんと家事の手伝いはやってるから」

「それくらいで自慢げに言うなよ」


 ぽつりとこぼすと、次のターンに輝から妨害の豪速球が俺の列車に投げ込まれた。


*   *  *


 普段乗らない方向の電車に乗り込むと、気の早い冷房の風が首筋を撫でた。


 日曜日ということで俺たちと同じようにどこかに出かけていく家族連れや友人グループが多い。二駅先で運よく目の前の座席が空いて、輝と並んで座った。


 日帰りとはいえ温泉旅行ということで普段着ない開襟シャツにラフなチノパンを合わせてみた、と言いたいところだけど、完全に美空先輩の受け売りだ。


 輝の方はすっかり気に入ったらしいセーラーワンピースを着ている。自称男だということを忘れてるんじゃないかというくらいの着こなしで、髪には一緒に買った髪留めもしっかりつけている。


「言っておくけど、入るときは別々だからね」

「いや、別々って温泉なのにか?」


「他の人がいるのはいいけど、こーすけはダメ。僕のこといやらしい目で見るから」

「いや、見たことないだろ」


 俺が輝を見ているのは観測のため。あくまでいつか輝を部屋から追い出すために情報を集めようとしているだけだ。


 電車に揺られて2時間と少し。駅に降りると湿気を含んだ空気にほんのりと硫黄の香りが混じっている。改札を抜けるといきなり足湯スペースがあり、観光客が座って楽しんでいる。土産屋の温泉まんじゅうののぼりが並んでいて、にぎやかな呼び込みの声も聞こえてくる。


「こーすけー! こっちこっち! ここ無料で入っていいんだって」


 ちょっと目を離した隙に、隣にいたはずの輝はさっそく足湯に少し肉付きのよくなった脚を浸している。最初に部屋に来た頃は病的な細さと白さが一番に目についたのだけど、今はすっかり年相応といった柔らかそうな丸みを帯びている。部屋から出ないせいで相変わらず白さは変わらないけど。


「あんまりはしゃぐなよ」


 やれやれ、と輝の方へ向かおうとすると、駅前に低い台に乗って声を上げているスーツの男が目に入った。


「観光は資源です。温泉という日本の文化を世界中の人に楽しんでもらい、魅力ある日本を作っていこうではありませんか!」


 どうやら政治家が演説をしているらしい。観光立国とか言って外貨を稼ごうとしているのをオブラートに包んでごまかして叫んでいる。せっかくの観光だというのに気分が台無しだ。


 苛立ちを隠す気もなく政治家を睨みつけると、怒るどころかこちらに向かって小走りに駆け寄ってきた。


「応援ありがとうございます」

「誰も応援なんてしてない」


「いえいえご謙遜を。次回の選挙にはぜひご協力をよろしくお願いいたします」

「俺は1票しか持ってないし、入れるとも限らない」


 政治家の男は俺の話なんて少しも聞いていない。お願いします、と何度も繰り返して両手で俺の手を握りしめるように握手させられる。数秒経ってようやく解放されると、一気に疲れたような気がした。


 その疲れを洗い流すために足湯に浸かる。隣に座った輝が首を傾げながら体を寄せてきた。


「さっきの人、知り合い?」

「そんなわけないだろ」

「でもなんか向こうはこーすけのこと知ってるみたいだったよ?」


「政治家なんてあんなもんだろ。票が入るかどうかで人生が変わるんだから。それより日帰りだけど部屋がついてるから、荷物を置いてくるか。浴衣も借りられるらしいし」

「おっけー。荷物置いたら解散ね」


 足湯から上がって借りる予定の宿へと向かう。駅前の大きな通りから少し外れた奥まった場所にあるその宿は、少し寂れてはいるけど風情がある。通された1階の座敷は8畳の畳部屋で、外から漂う湯気と共にイグサの青々とした香りが非日常的な和を感じさせる。


「さて、どこから回ろうかな?」

「本当に一人で行くのか? 迷子になるぞ」

「こーすけじゃないんだからへーきだって。夕方5時までには帰ってくるからね」


 それだけ言うと、輝は逃げるように和室を出ていく。その背中を俺は慌てて追いかけた。

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